イーグル・ロック イーグル・ロック

イーグル・ロック

2015年7月29日発売  第1弾 アルバム解説

解説執筆者: 赤岩和美


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ライヴ・イン・シドニー

カルチャー・クラブ


<解説>

 80年代のMTVエイジを象徴するバンドのひとつが、カルチャー・クラブだった。デュラン・デュランやスパンダー・バレエ、ウルトラヴォックスなどと共にニュー・ロマンティックと呼ばれるファッショナブルなムーヴメントの中心に立ち、60年代のビートルズ旋風に続く、セカンド・ブリティッシュ・インヴェイジョン・ブームを巻き起こしている。その中でも、カラフルなファッションと中性的なイメージを打ち出したボーイ・ジョージはソウルフルな歌声の魅力も持ち、時代のポップ・アイコンとして一世を風靡し、軽妙洒脱なポップスを武器に世界的な人気も集めた。84年のグラミー賞では新人賞を獲得し、2作目のアルバム『カラー・バイ・ナンバーズ』(83年発売)は全世界で1000万枚を売り上げ、約50ヶ国で1位に輝いている(現在までには1600万枚を超えている)。
 本作は、正にカルチャー・クラブが絶頂を迎えていた84年に初めてオーストラリアを訪問した際にシドニーでのライヴを収録した映像作だ。直前には2度目の日本公演を行い、その後、オーストラリアに向かい、6月29日にメルボルンに到着し、5公演を行っている。その後、シドニーに移動し、7月11日のコンサートで収録されたのが、このライヴだ。地元シドニーのTV局チャンネル9が撮影し、FMラジオでも中継放送が行われている。 ボーイ・ジョージ(vo)、ジョン・モス(ds)、ロイ・ヘイ(g)、ミッキー・クレイグ(b)というメンバーに、準メンバーであるヘレン・テリー(vo)とフィル・ピケット(kbd)、ふたりのホーン奏者という編成による演奏だ。テリーはボーイ・ジョージとのデュエットなど欠かせない存在だったが、このツアーがカルチャー・クラブに参加した最後のツアーで、その後、ソロ・シンガーとして独立している。ピケットは70年代のハイパー・ポップ・グループ:セイラーのメンバーで音楽監督としてサポートし、彼らの最大のヒット曲「カーマは気まぐれ」(英米1位)の共同作曲も手掛けている重要人物だ。本作では、「君は完璧さ」「タイム」「チャーチ・オブ・ポイズン・マインド」「カーマは気まぐれ」「ヴィクテムズ」「イッツ・ア・ミラクル」の全英トップ5ヒットに加え、アメリカでのトップ10ヒット「アイル・タンブル・4ヤ!」「ミス・ミー・ブラインド」と、この時点での全ヒット曲が歌われているのも、嬉しい。


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ホーリー・ダイヴァー・ライヴ

ディオ


<解説>

 2010年に胃癌の為に亡くなってしまったロニー・ジェイムス・ディオは、エルフ、リッチー・ブラックモアズ・レインボー、ブラック・サバス、自身のリーダー・バンド:ディオなどの活動で知られるヘヴィ・メタル界のスーパー・ヴォーカリストのひとりだ。
 82年に、ブラック・サバスの同僚だったヴィニー・アピス(ds)とレインボウでの同僚ジミー・ベイン(b)に、当時はまだ無名だったヴィヴィアン・キャンベル(g、スウィート・サヴェージ)と結成したディオはアルバム『ホリー・ダイヴァー』でデビューを飾っている。トールキンの「指輪物語(ロード・オブ・ザ・ロイング)」やアーサー王伝説などのファンタジーをヒントに制作された作品は、ディオの文学観を発揮したヘヴィー・メタリックな傑作となっている。
 ディオは、ロニー以外のメンバーを代えながら、82年から04年の間に10枚のスタジオ・アルバムを発表している。04年の『マスター・オブ・ザ・ムーン』のリリースに合わせて、ディオは11公演のイギリス・ツアーを行っているが、その最終日の05年10月22日のロンドンのアストリア・シアターでのライヴを収録した映像が本作である。このツアーの目玉はデビュー・アルバム『ホリー・ダイヴァー』の全曲を曲順どおりに演奏するというものだった。本作の4曲目から12曲目までの9曲が『ホリー・ダイヴァー全曲に当たる。また、レインボー時代の「タロット・ウーマン」「バビロンの門」「銀嶺の覇者」「ロング・リヴ・ロックン・ロール」、ブラック・サバス時代の「南十字星」「ヘヴン&ヘル」、ディオの「ワン・ナイト・イン・ザ・シティ」「ウィー・ロック」がそれを挟んで収録されている。尚、ステージの背景に飾られているのはディオのシンボルでもあり、いくつかのジャケットにも登場するマレイという悪魔を描いた絵画である。
 この時のディオの編成は、ロニー(vo)、ダグ・オルドリッジ(g、元バーニング・レイン、後にホワイトスネイクなど)、ルディ・サーゾ(b、元クワイエット・ライオット、ホワイトスネイクなど)、スコット・ウォーレン(kbd、元ウォレントなど)、サイモン・ライト(ds、元AC/DC)という布陣である。ロニーはこの後、ディオを解散し、ブラック・サバスの変形版であるヘヴン・アンド・ヘルに参加している。


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“プログレ降誕”ドキュメンタリー:ELPの誕生

エマーソン・レイク・アンド・パーマー


<解説>

 69年末にアメリカ・ツアーを行っていたナイスのキース・エマーソン(kbd)は、同じくアメリカ・ツアー中だったキング・クリムゾンのグレッグ・レイク(b,g,vo)と意気投合し、バンドを結成することになった。当初はジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンスのミッチ・ミッチェル(ds)を誘うという構想もあり、ミッチェルはジミ・ヘンドリクス(g)も加えたセッションを進言するが巧くいかず、最終的にはクレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウン〜アトミック・ルースターのカール・パーマー(ds)を迎えて、70年にエマーソン・レイク&パーマーを結成している。 プログ・ロックのスーパー・グループと目されたEL&Pは、70年8月23日にプライマスのギルドホールでのギグでデビューを飾ったが、その6日後の第3回ワイト島フェスティヴァルが本格的な御披露目となった。
 本作は、そのワイト島フェスでのライヴを中心に描かれたドキュメンタリーで、新たに05年にメンバー3人の証言も収録して制作されたものだ。監督に当たったのは、当時、ワイト島フェスの映画を撮影していたマレー・ラーナーである。運営会社の資金不足で映画は未完成のまま埋もれてしまったが、95年に発掘され、『ワイト島1970〜輝かしきロックの残像〜』として発売されている。
 第3回ワイト島フェスは、70年8月26日から30日までの5日間開催されたが(メインは後の3日間)、EL&Pは、ザ・フー、テン・イヤーズ・アフター、ドアーズ、マイルス・デイヴィスら13組と共に、29日に出演している。因みに、前年の69年にはナイスとキング・クリムゾンが別々に出演していた。
 『ワイト島1970〜輝かしきロックの残像〜』ではEL&Pの演奏は「展覧会の絵」の抜粋のみが使われていたが、本作ではそれに加えて、ファースト・アルバムから「石をとれ」とナイス時代の「ロンド」のライヴ映像も見ることができる。エマーソン得意の「ロンド」でのハモンド・オルガンとの格闘は映像ならではの楽しみでもある。ボーナスでその3曲とタイトル・バックに使われている「ナットロッカー」のオーディオ・トラックも収録されている(CDもあるが・・)。


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ダブ・ルーム・スペシャル

フランク・ザッパ


<解説>

フランク・ザッパは93年に52歳の若さで癌の為に亡くなってしまったが、その伝説は彼の音楽界の業績と共に語り継がれている。ロック、ジャズ、R&B、ドゥーワップ、クラシック、現代音楽など多彩な分野をクロスオーヴァーし、スタジオ録音とライヴ録音の音源を編集技術を駆使して作り上げたザッパ独自のスタイルは他の追随を許さない唯一無二のサウンドとして孤高の存在になっている。 本作も、ザッパ流の手法で制作された映像作品で、74年8月27日にLAの独立TV局KCETのスタジオで収録されたライヴと、81年10月31日のニューヨークの劇場ザ・パラディアムでのハロウィーン・ショーでの2種類のライヴ映像に、ブルース・ビックフォードによるクレイ・アニメーションとインタビューを交えて、編集した作品。元々は82年にメイル・オーダーのみでコアなファン向けにVHSとベータ・カセットでリリースされたもので、一次はコレクターズ・アイテムになっていた作品だった。05年にDVD化されて一般発売され、多くのファンを狂喜させたお宝作品でもある。尚、ザッパ本人が未発売に終わったレーザーディスク用の容量に合わせて、ふたつの短いトーク部分を省略して再編集していた映像がDVDにも使われている。  また、74年のバンドは、ザッパ(g,vo)、ジョージ・デューク(kbd,vo、ソロのジャズ・ミュージシャンとしても活動)、チェスター・トンプソン(ds、後にジェネシスのサポート・ドラマーとしても活躍)、トム・フォウラー(b)、ナポレオン・マーフィー・ブロック(fl,sax,vo)ルース・アンダーウッド(perc)という布陣。81年のバンドはザッパ(g,vo)、スティーヴ・ヴァイ(g,vo、ソロ、ホワイトスネイク他)、レイ・ホワイト(g,vo)、エド・マン(perc,vo)、トミー・マーズ(kbd,vo)、ボビー・マーティン(kbd,sax,vo)、スコット・トゥーニス(b,vo)、チャド・ワッカーマン(ds、アラン・ホールズワース、ソロ)という布陣。ボーナスには娘ムーンと息子ドゥイージルのドキュメンタリーも収録されている。因みに、06年に息子のドゥイージル(g,vo)が父親の楽曲を演奏するバンド:ザッパ・プレイズ・ザッパを結成しているが、前記の内、ブロック、ヴァイ、ホワイト、デューク、トゥーニスはライヴのゲスト・メンバーとして参加し、フランク・ザッパの遺産を受け継いでいる。


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ワン・ナイト・イン・ダブリンートリビュート・トゥ・フィル・リノット

ゲイリー・ムーア・アンド・フレンズ


<解説>

 2012年に58歳で心臓発作の為に亡くなってしまったアイルランドが生んだ最高峰のギタリストのひとりがゲイリー・ムーアだった。スキッド・ロウやシン・リジー、コロシアムⅡでの活動を経て、自身のリーダー・バンドで成功を収めたスーパー・ギタリストでもあった。ムーア亡き後だが、14年の冬季ソチ・オリンピックで羽生結弦選手がムーアの「パリの散歩道」を使用し、一般にも知られるようになったことも忘れられない。
 本作は、ムーアとはスキッド・ロウとシン・リジーで共に活動した故フィル・ライノット(vo,b,86年に36歳で逝去)の偉業を称える為に、彼が生きていれば56歳になる前日の05年8月19日に故郷のダブリンに建立されたライノット像開眼を記念し、翌20日にダブリンのポイント・シアターで開催された追悼コンサートのライヴ映像作である。
 ムーア(vo,g)、シン・リジーのブライアン・ダウニー(ds)と元ジェスロ・タルのジョナサン・ノイス(b)を軸に、ムーアのブルース・カヴァー「ウォーキング・バイ・マイセルフ」でスタートし、まずは4曲目からシン・リジーの黄金時代のギタリストの一角だったブライアン・ロバートソン(g)が登場し、2曲を演奏、ムーア&ロバートソンという入れ替わりでシン・リジーに加入したギタリストの珍しい共演も聞ける。6曲目からロバートソンに代わってはスコット・ゴーハム(g)が加わり、メガ・ヒット曲「ヤツラは町へ」(英8位、愛1位、米12位)など3曲を共演。アンコールでは初代ギタリストだったエリック・ベル(g,vo)も登場し、彼の在籍時の初ヒット曲「ウィスキー・イン・ザ・ジャー」(英6位、愛1位)が演奏されるのも印象的だ。
 ラストはトリオでライノットのソロ曲「オールド・タウン」のさわりから、ムーアとライノットが共作したムーアのメランコリックなギターが響き渡る名曲「パリの散歩道」がライノットに捧げる「ハッピー・バースデイ」のメロディを交えて演奏されている。今はふたりとも亡くなってしまったが、ムーアとライノットの音楽の遺産を伝えるライヴ・パフォーマンスを記録した作品として、記憶されるべき貴重な映像だ。


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ライヴ・イン・’71

アイク・アンド・ティナ・ターナー


<解説>

 60年代のソウル/R&Bシーンで、ダイナミックなパフォーマンスではジェイムス・ブラウンと双璧を成したのが、アイク&ティナ・ターナーだった。彼らの活動は60年からティナがソロとして独立する76年までだったが、彼らがR&Bシーン以外にも広く知られるようになったのは、66年にフィル・スペクターのプロデュースにより発表した「リヴァー・ディープ・マウンテン・ハイ」のイギリスやヨーロッパでのヒットだった。そして、その年のローリング・ストーンズのイギリス・ツアーの前座に起用され、更に69年のストーンズの北米ツアーにも起用されたことで、ロック・ファンの間でも評判となっていった。 70年にはビートルズの「カム・トゥゲザー」、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの「アイ・ウォント・トゥ・テイク・ユー・ハイアー」(米25位)、クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルの「プラウド・メアリー」(米4位)などのカヴァー・ヒットを出し、「プラウド〜」ではグラミー賞のR&Bヴォーカル・パフォーマンス・デュオ&グループ部門を受賞し、観客層を広げている。
このDVDは、71年2月からスタートしたヨーロッパ・ツアーからオランダでのパフォーマンスを現地のTV局が収録した映像を発掘した作品である。アイク・ターナー(g,vo)とティナ(vo)に、7人編成のキング・オブ・リズムスとコーラスとダンスの女性3人組アイケッツからなる12人編成によるアイク&ティナ・ターナー・レビューによるものだ。
 ショーは、キング・オブ・リズムスによるインストでバディ・マイルス(エレクトリック・フラッグ、バンド・オブ・ジプシーズ)の曲「ゼム・チェンジス」からスタートし、アイケッツが登場し、スウィート・インスピレーションズの「スウィート・インスピレーション」と続き、ティナが登場し、前記の「〜テイク・ユア・ハイアー」「リヴァー・ディープ〜」「カム・トゥゲザー」「プラウド・メアリー」や、ジェシー・ヒルの「ウー・プー・パー・ドゥ」、マーサ&ザ・ヴァンデラスの「ラヴ・ライク・ユアーズ」、ストーンズの「ホンキー・トンク・ウーマン」といったカヴァー・ソングを披露している。これはアイクのジュークボックス・ヒットを基本にアレンジする手法だったという。ラストの「アイ・スメル・トラブル」はボビー・ブルー・ブランドのスロー・ブルースをアレンジしたもの。DVDのボーナスに収録の映画「ソウル・トゥ・ソウル」のトレイラーはアイク&ティナ・ターナーがこの1ヶ月後に出演したガーナでのフェスでのものだ。ドラッグ過やアイクのDVなどで76年にふたりは離婚し、ティナはソロで大成功するが、デュオとしてのピークはこの頃にあたり、そのライヴが伺える貴重な映像作品と言えるだろう。


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ウーマン・オブ・ハート・アンド・マインド~ジョニ・ミッチェル・ストーリー~

ジョニ・ミッチェル


<解説>

 今年15年3月31日に、ジョニ・ミッチェルはLAの自宅で昏睡状態で発見され、一時は危機を伝えられたが、5月時点では大事には至らず、意識は戻ったが、脳動脈瘤による深刻な状態が続いているようだ。無事の回復を願いたいところだ。
 本作は、03年にアメリカの公共放送局PBSのスペシャル・シリーズ<アメリカン・マスターズ>の為に制作されたジョニ・ミッチェルの濃密なドキュメンタリーをDVD化した作品だ。このシリーズはミュージシャンに限らず、映画俳優や芸術家など幅広く取り上げるもので、200作以上が放送されている。
 このジョニのドキュメンタリーでは、本人の深い証言は勿論、かつて恋仲だったグレアム・ナッシュ、デヴィッド・クロスビー、ジェイムス・テイラー、エリック・アンダーソン他のミュージシャン仲間や、マネージャーだったエリオット・ロバーツやデヴィッド・ゲフィン(アサイラム・レコーズ、ゲフィン・レコーズ設立者)等々、多くの証言も交えながら彼女の人生模様も語られている。
 60年代の故郷のオンタリオからデトロイト、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジ、そして、ローレル・キャニオンへとその時々の音楽シーンの中心に存在したジョニのミュージカル・ジャーニーに始まり、70年代初頭のシンガー・ソングライター・ブームの中心にも立ち、ジャズとバンド活動の新機軸へ、絵画の才能の発見、そして、その中にも恋多き人生の物語も赤裸々に語られている。学生時代に生み、施設に預けられていた娘を探し出し、孫とも再会するという劇的な場面と幸福そうなジョニの姿も深い印象を残す。
 また、劇中にフィーチャーされる「青春の光と影」「サークル・ゲーム」「ウッドストック」「ブルー」「恋するラジオ」「アメリア」「逃避行」 など50曲近い楽曲と、レアなTVやライヴ映像も見逃せない。また、別のDVD作品”Painting With Words And Music”からのセレクトとなるスタジオ・ライヴ4曲と本編で未使用だったインタビューのアウトテイクもボーナス収録されているのも、ファンには嬉しいものだ。


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ハイワイヤー・アクト・ライヴ・イン・セント・ルイス2003

リトル・フィート


<解説>

 近年では<アメリカーナ>と呼ばれるアメリカのルーツ・ミュージックを志向していたバンドのひとつがリトル・フィートだった。創立者であるローウェル・ジョージ(g,vo、元フランク・ザッパのザ・マザーズ・オブ・インヴェンション)の存在が大きかったが、79年に34歳の若さで亡くなっている。ドラッグと肥満を起因とする心臓発作だった。ジョージはバンドの中心人物だったが、他のメンバーとの音楽的な対立が起き、79年にバンドを解散し、ソロ・アルバム発表に合わせてのツアーの途中の死だった。ジョージは対立したビル・ペイン(kbd,vo)とポール・バレア(g,vo)を除くメンバーらとリトル・フィートを再結成する計画も持っていたという。
 そのペインとバレアとリッチー・ヘイワード(ds)の3人は86年にヘレン・ワトソンのレコーディング・セッションに招かれたことをキッカケに、87年にサム・クレイトン(conga,perc,vo)とケニー・グラッドニー(b)という解散前のラインアップ5人(故ローウェル・ジョージを除く)に、クレイグ・フラー(vo,g)とフレッド・タケット(g,mandolin,tp)を加えてリトル・フィートを再結成している。この編成は93年まで続くが、フラーがツアーに疲れて脱退してしまったことから、新たに女性シンガーのショーン・マーフィー(vo,tambourine、09年に離脱)を迎えた新体制で再出発している。 
 本作はマーフィーが参加した最初のアルバム”Kickin’ It At The Barn”(03年)のリリースに先駆けて03年8月にセントルイスで行ったパフォーマンスを収録した映像作品だ。同作からの楽曲も演奏されているが、ローウェル・ジョージ時代の楽曲”Oh Atlanta”、”Dixie Chicken”、” Let It Roll”、” Willin”、” Feets Don’t Fail Me Now”など、リトル・フィート・クラシックとも言うべき代表曲も織り込み、彼らの根差すファンキーなアメリカン・ルーツ・ミュージックを展開させる陽気なライヴが楽しめる。


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グッド・ヴァイブレーション・ツアー

ビーチ・ボーイズ


<解説>

 1976年に、ビーチ・ボーイズは15周年を迎え、15曲入りのニュー・アルバム『15ビッグ・ワンズ』を発表した。この作品はブライアン・ウィルソンが単独でプロデュースしたものとしては『ペット・サウンズ』(66年)以来の作品だった。65年からブライアンはライヴ・パフォーマンスに参加しなくなり、スタジオでの作業に打ち込むようになり、メンバー間の緊張やブライアン自身の精神状態も不安定になっていった。その後の67年から73年の間にリリースしたスタジオ・アルバム8作は、ブライアンの参加はあったものの、バンド全体でのプロデュース・クレジットという民主的な形態に変化していった。
 そんな中、74年にリリースされた2枚組ベスト盤『エンドレス・サマー』が米1位を記録し、トリプル・プラチナム・アルバムに輝いている(翌75年には同じく2枚組ベスト『 スピリット・オブ・アメリカ』も米8位のヒットに)。こうして、ビーチ・ボーイズ人気に再び脚光が当たると、ブライアンの本格的な復帰も渇望されるようになった。後に問題となったものの精神科医のユージン・ランディがブライアンの復帰の為に雇われ、ブライアンの再帰に繋がっている。ブライアンは当初は『15ビッグ・ワンズ』を”Group Therapy”と命名する案も持っていたとか。
 また、ビーチ・ボーイズ自体もブライアン、カール、デニスのウィルソン兄弟と従兄弟のマイク・ラヴに、一時期離れていたブライアンの親友アル・ジャーディンという60年代前半期の黄金メンバーでの再帰も図られた。 こうした”Brian’s Back”を祝して、デニスに提案で、TVバラエティ「サタデイ・ナイト・ライヴ」のプロデューサーだったローン・マイケルズ(ビートルズのパロディ「ラットルズ」なども)が制作したNBCの特番が”The Beach Boys-It’s OK”だった。本作はそれをDVD化した作品である。76年7月3日のアナハイム・スタジアムでのビーチ・ボーイズのライヴを軸に、教会でのゴスペル・セッション、「サタデイ〜」の人気出演者だったジョン・ベルーシとダン・エイクロイド(同番組から生まれたブルース・ブラザースのふたり)が警官に扮してブライアンをベッドからサーフィンに連れ出す場面やポール&リンダ・マッカートニーも列席したブライアンの34歳の誕生日パーティー、カリフォルニア・ライフを描いたスケッチなどの演出も交えた構成は、TVバラエティ的な一面を示したものだろう。ステージでのブライアンはまだ全快には見えないが、ライヴ復帰の記念すべき瞬間を捉えた映像は貴重なものだ。


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ライヴ・アット・ネブワース

ビーチ・ボーイズ


<解説>

 1980年6月21日にイギリスのハートフォードシャーにあるネブワース・パークで開催された<ネブワース・フェスティヴァル>は、ビーチ・ボーイズをメイン・アクトに、スペシャル・ゲストのサンタナ、マイク・オールドフィールド、ブルース・バンド(ポール・ジョーンズ)などの出演で、約4万5千人の観客を集めている。前年にはレッド・ツェッペリン、それ以前にはピンク・フロイド、ローリング・ストーンズ、ジェネシスなどがメイン・アクトを努めたが、80年のビーチ・ボーイズは、特にイギリスでの人気の高さから出演が実現したものだった。60年代後半には本国アメリカではチャート上(60〜100位台も多かった)では低迷していたビーチ・ボーイズだったが、イギリスではほぼトップ20入りする人気があり、イギリスでのライヴ盤『ライヴ・イン・ロンドン』(70年)が独自にリリースされることもあった(アメリカでは76年の人気再燃後にリリース)。
 彼らがネブワース・フェスのトリに出演したのは、アルバム『キーピン・ザ・サマー・アライヴ』(80年)のリリースに合わせたツアーでイギリスを訪問し、ウェンブリー・アリーナでの2夜のコンサートを行った直後のことだった。この時の布陣は、ブライアン(vo,kbd)、カール(vo,g)、デニス(vo,ds)のウィルソン3兄弟に、従兄弟のマイク・ラヴ(vo)、親友アル・ジャーディン(vo,g)、一時期ジャーディンに変わって参加していたブルース・ジョンストン(vo,b,kbd、『キーピン〜』のプロデューサー)という最強メンバーに、エド・カーター(g)、ジョー・チェメイ(b,vo)、ボビー・フィゲロア(perc,ds,vo)、マイク・メロス(kbd)の4人のサポート・メンバーだ。残念なことに83年にデニスが亡くなってしまった為に(98年にもカールが亡くなってしまった)、この最強6人編成での唯一のライヴとなってしまった貴重な映像でもある(CD化もされた)。
 演奏曲は60年代のサーフィン系ヒット曲を中心に、「グッド・ヴァイブレイションズ」「英雄と悪漢」などのポケット・シンフォニーに加え、ジャーディンが歌うのは79年に英6位を記録したヒット曲「レディ・リンダ」、デニスのバラード「ユー・アー・ソー・ビューティフル」(ジョー・コッカーでもヒット)とビーチ・ボーイズのベスト集といった趣もある。当時のイギリスのパンク旋風の影響ではないだろうが、デニスのアグレッシヴなドラミングや強烈なロックン・ロール色も感じさせるビーチ・ボイズのライヴは聞きものだ。


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ブルータリー・ライヴ

アリス・クーパー


<解説>

 アリス・クーパーは2000年に約6年ぶりとなるアルバム『ブルータル・プラネット』をイーグル・ロック・エンターテインメント傘下のスピットファイアー・レコーズからリリースした。その間の6年はツアー活動は続けていたが、メジャーのエピック・レコーズ(CBS)からドロップされ、レコーディングには恵まれていなかった。しかし、ニュー・レーベルと契約したアリスは、リリースに合わせて”Live From Brutal Planet”と銘打ったツアーを開始している。このツアーの内、00年7月19日のロンドンのハマースミスにあるラバッツ・アポロ(旧ハマースミス・オデオン)で撮影されたライヴが本作である。
 90年代のアリスはアルコール過で記憶が飛んだという80年代の<停電期>を脱し、89年の「ポイズン」で12年ぶりのトップ10ヒットで再起するが、グラマラスなハードなポップ・ロック路線へと変化していった。しかし、『ブルータル・プラネット』ではかつての怪奇と暗黒のシアトリカルなスタイルに回帰し、アリスのダークな面をリブートさせている。本作でもアリス独自の死神メイクや、ナース、鞭ダンサー、死刑執行人などのパフォーマーを交えた演出をバックにしたソリッドなハード・ロックが展開されている。
 バンドは、元キッスのエリック・シンガー(ds)、ライアン・ロキシー(g)というアルバム参加メンバーに、ピート・フリーゼン(g)、グレッグ・スミス(b)、テディ・ジグザグ(kbd)というライヴ・メンバーが起用されている。前半は『ブルータル・プラネット』収録曲を中心に、中盤以降は「エイティーン」「ノー・モア・ミスター・ナイス・ガイ」「俺の回転花火」「スクールズ・アウト」「アリスは大統領」「ビリオン・ダラー・ベイビーズ」といった70年代の名曲や「ポイズン」などのヒット曲が連発され、往年の勢いを感じさせるパフォーマンスが繰り広げられている。現在に至るナイトメア・アリス(悪夢のアリス)の転機となった時期のライヴとして見逃せない。


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フリークン・ロール

ブラック・クロウズ


<解説>

 アメリカ北西部のジョージア州アトランタ近郊のマリエッタ出身のブルース・ロック・バンド:ブラック・クロウズはクリス・ロビンソン(vo,g)と3歳下の弟リッチ・ロビンソン(g)を中心に89年に結成されたバンドで、90年代に向かう時代に、ローリング・ストーンズやフェイセズ、ハンブル・パイなどのブリティッシュ・バンドやサザン・ロックとサザン・ソウルなどもミクスチャーした70年代ロックを標榜する独特のスタイルのバンドとして登場し、意外な評価を得ることになった。デビュー作”Shake Your Money Maker”は米4位、2作目”The Southern Harmony And Musical Companion”は米1位になるなどブレイクし、99年にはジミー・ペイジのバックでレッド・ツェッペリンの楽曲を演奏する2回のライヴも行っている。
 しかし、02年にドラマーの脱退をキッカケに活動を休止し、クリスはソロ、リッチはニュー・バンドを結成し、別行動を取ることになった。ところが、05年にロビンソン兄弟と歴代のメンバーらにより、ブラック・クロウズを再スタートさせ、サンフランシスコのフィルモア・オーディトリウムでのトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの5夜のコンサートのオープニング・アクトとして起用されることになった。本作はそのフィルモアでの2夜目となる8月6日のショーで撮影されたライヴ映像に8ミリ・フィルム撮影のオフステージ映像を交えて制作された作品である。 ブラック・クロウズの6人に、レフト・コースト・ホーンズの4人のホーン奏者とふたりの黒人女性コーラスを加えた編成で、往年のハンブル・パイやジョー・コッカー張りのブルージーでソウルフルなブルース・ロックを発散する一方で、フォーク・ブルース風のアコースティック・セットも交え、サザン・ロック・バンドならではのパフォーマンスも見せてくれる。オリジナル曲の他に、ジョー・コッカーの”Space Captain”や彼らがカヴァー・ヒットさせたオーティス・レディングの”Hard To Handle”といった楽曲、また、ラストのザ・バンドの”The Night They Drove ‘Ol Dexie Down”の独自の味付けも聞きものと言えるだろう。


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ライヴ・アット・ハマースミス・オデオン 1978

ブームタウン・ラッツ


<解説>

 ブームタウン・ラッツの中心人物であるボブ・ゲルドフ(vo)は、84年のエチオピア飢餓問題を受けて制作されたバンド・エイド名義でのチャリティ・シングル「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」のオーガナイザーとして知られている。この動きはアメリカでもマイケル・ジャクソンとクインシー・ジョーンズらのUSAフォー・アフリカの「ウィー・アー・ザ・ワールド」に繋がり、更に85年のチャリティー・コンサート<ライヴ・エイド>や05年の<ライヴ8>にも広がっていった。今では、ゲルドフの名はこうした慈善活動家としてもよく知られているだろう。
 そのゲルドフがロック・シーンに登場したのは、70年代後半のパンク/ニュー・ウェイヴ・ブーム期にアイルランドからも多く出没した若いバンドのひとつとしてだった。ツイン・ギターとキーボードにベースとドラムスのリズム・セクションが打ち出すロックン・ロールに、ヤング・ミック(ジャガー)とも称されたゲルドフの扇動的なアクションとヴォーカルが絡み合うスタイルは、イギリスのロック・シーンでも徐々に人気を集めていった。77年のパンキッシュなデビュー・シングル「ルッキン・アフターNo.1」は英11位(母国アイルランドでは2位)のヒットとなり、78年の4枚目「ライク・クロックワイズ」は英6位、そして、5枚目の「ラット・トラップ」はアイルランドのバンドでは初の英1位に輝いている。本作は正に英1位を獲得した78年にロンドンのハマースミス・オデオンで行われたコンサートで撮影されたライヴだ。 ブームタウン・ラッツは、「ライク・クロックワイズ」や「ラット・トラップ」では、それまでのストレートなロックン・ロールから、ドラマ性のあるポップ・ロックへと変化しており、更にこのライヴの翌79年には最大のヒットとなるバロック調のポップ作「哀愁のマンデイ」(英1位)をリリースしている。こうした彼らのターニング・ポイントに当たる時期の両面を捉えたライヴとしても本作は重要なものだった。ボーナスとしてこの時のライヴ音声3曲と、01年発表のゲルドフのソロ4作目”Sex, Age & Death”から2曲のMVも収録されている。尚、ブームタウン・ラッツは86年に解散したが、13年に再結成している。


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イン・アフリカ

ジンジャー・ベイカー


<解説>

 クリームやブラインド・フェイスで活動したジンジャー・ベイカーは、70年にリーダー・バンドであるジンジャー・ベイカーズ・エアフォースを結成した。ブラインド・フェイスからスティーヴ・ウィンウッドとリック・グレッチも加わり、エリック・クラプトン抜きのブラインド・フェイスの様相も呈していたが、他のメンバーにはグレアム・ボンドやデニー・レインなども招かれ、更にジャズ・ドラマーのフィル・シーメンやナイジェリア出身のパーカッショニスト:レミ・カバカ他も参加する10人編成の大型バンドになった。特にシーメンはベイカーが敬愛するドラマーで、アフリカのドラム・ミュージックにも精通していた。元々、アフリカ音楽に興味があったベイカーは、シーメンを通じ、更に興味を深めるようになり、ナイジェリアで活動していたフェラ・ランサム・クティ(vo,kbd、ロンドンの音楽大学で学んだ経歴も)のバンド:アフリカ70のロンドン公演にジョイントし、71年にライヴ・アルバム”Live!”を出したり、72年にはクティも参加したベイカー名義のソロ作”Stratavarious”をリリースするなど、アフロビートに接近している。
 本作は、71年にベイカーが北アフリカのアルジェリアからサハラ砂漠を陸路、ランド・ローヴァーでフェラの母国ナイジェリアのラゴスを目指す旅とナイジェリアでのフェラのバンドや他の多くのミュージシャンたちとのの邂逅を描いたドキュメンタリー作品だ。ディレクターに当たったのは、クリームの68年の解散コンサートやロリー・ギャラガーの『アイリッシュ・ツアー’74』なども手掛けたトニー・パーマーである。
 ベイカーはラゴスにスタジオを作る予定での紀行でもあり、70〜76年までラゴスにも拠点を持っていた(因みに、ポール・マッカートニー&ザ・ウィングスの73年のアルバム『バンド・オン・ザ・ラン』の録音はラゴスでも行われた)。当時のナイジェリアは軍政下にあり、フェラは反体制派を象徴する存在だったが、彼らが生み出した反骨的なアフロビートは、後のワールド・ミュージック・ムーヴメントのさきがけにもなっている。ベイカーも刺激を受けた熱狂的で、トランス的なトライバル・リズムが炸裂するジャム・セッションはアフロビート・ファンならずとも聞き応えがある。


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アコースティック・ライヴ・ニューポート

ピクシーズ


<解説>

 93年に解散したものの、その音楽的遺産が再評価されるようになっていたピクシーズはオルタナティヴ・ロックの源流を築いたバンドとして伝説的存在にもなっていた。そして、11年後の04年3月に二度とないと言われていた再結成が実現することになった。
 ブラック・フランシス(vo,g、本名はチャールズ・マイケル・キトリッジ・トンプソン4世)、ジョーイ・サンティアゴ(g)、キム・ディール(vo,b)、デヴィッド・ラヴァリング(ds)というオリジナル・メンバーが再結集し、04年にはワールド・ツアーを展開し、以前はホールやクラブ・サイズでのショーに比べて、より大規模なステージでのパフォーマンスを繰り広げることになった。04年のツアー中にはコーチェラ、ムーヴ・フェス、フジ・ロック、ヴードゥー・フェス、オースティン・シティ・リミッツなどの有名なフェスにも多く出演し、ピクシーズの再開を待望していたファンや休止中に新たなファンとなった面々の前に姿を現している。04年の再開後には、復活に至るドキュメンタリー映画”loudQUIETloud”やライヴ映像作”Sell Out 2004 Reunion Tour”、今回、本作と同時に再発される”Live At The Paradice In Boston”と、彼らの再開を祝うように映像作品も多く制作されている。正にピクシーズ伝説を証明する出来事だったと言えるだろう。
 そして、翌05年からも精力的にライヴ活動を続けており、ロラパルーザやT・オン・ザ・フリンジなどのフェスにも出演している。本作は05年8月に開催されたニューポート・フォーク・フェスでのパフォーマンスを捉えたライヴ作だ。ニューポート・フォーク・フェスと言えば、フォーク・ファンから非難を浴びた65年のボブ・ディランのエレクトリック・パフォーマンスはロック史に残る伝説となっているが、ここでのピクシーズは逆に、彼らの初めての全編アコースティックでのパフォーマンスを行っている。通常の彼らのライヴでもアコースティック・ギターが使われる場面もあるが、この時にはアンプは使用しているものの全面的なアコースティック楽器での演奏が貴重だ。エレクトリックでノイジーなギター・ロックはピクシーズの特色のひとつだが、アコースティックで浮かび上がるメロディアスな楽曲の良さが、ここでは魅力になっている。


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ライヴ・アット・ザ・パラダイス・イン・ボストン

ピクシーズ


<解説>

 86年にボストンで結成されたピクシーズは、オルタナティヴ・ロック・シーンをリードしつつも僅か4枚のアルバムをリリースした後の93年に解散を迎えている。インディーズ・レーベル(4AD)でのセールスの限界と、中心メンバーのブラック・フランシス(vo,g、本名はチャールズ・マイケル・キトリッジ・トンプソン4世)と女性ベーシスト/シンガーのキム・ディールの間に生じた微妙な亀裂、ツアー生活での疲弊などが要因だったといわれている。しかし、デヴィッド・ボウイが彼らの曲「カクタス」をカヴァーしたり、ニルヴァーナのカート・コバーンが代表曲「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」はピクシーズをパクッたものと明かすなど、ピクシーズの影響はグランジやブリットポップなどにも及んでいる。
 解散後は、フランシスはフランク・ブラック名義でソロ活動を行い、キムは双子の姉妹ケリーとブリーダーズを結成、フランシスとピクシーズを結成した創立メンバーのジョーイ・サンティアゴ(g)は婦人とのバンド:マーティニスやソロで活動、デヴィッド・ラヴァリング(ds)はマジシャンになっていた。そして、解散から11年が経った04年に、このオリジナル・ラインアップでピクシーズは再結成されることになった。
 04年春にはウォームアップ・ツアーと銘打った北米ツアーが行われ、夏にはコーチェラ、ムーヴ・フェス、フジ・ロック、オースティン・シティ・リミッツ等々の米英日の野外フェスなどにも出演し、以前のクラブやホール規模のショーから数万人規模の聴衆の前でのライヴが繰り広げられるようになっていた。休止期間の10年余りの間にピクシーズは伝説になっていたのである。
 本作は彼らの地元ボストンのパラダイスというクラブでのパフォーマンスを撮影したライヴ作で、<クラブ・デイト>というTVプログラム用に収録されたものだ。彼らの04年リユニオン・ツアーのボストン公演は2万人規模のローウェルのツォンガス・アリーナで2夜開催されているが、この小さなクラブでのライヴは幸運なファンのみが体験できた観客と接近した貴重なライヴが見ることができる。また、ボーナスで、画質は最悪だが、86年10月31日の地元近郊のケンブリッジのクラブ:T.T.ザ・ベアーズでのデビュー当時のレア・ライヴが見られるのも要チェックだ。


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ワイト島のマイルス 1970

マイルス・デイヴィス


<解説>

 60年代の後半に、マイルス・デイヴィスはサウンドを電化させ、新たなジャズの道を開くことになった。68年の『マイルス・イン・ザ・スカイ』と『キリマンジャロの娘』に始まった変化は、『イン・ア・サイレント・ウェイ』(69年)と『ビッチェズ・ブリュー』(70年)で本格的なエレクトリック・スタイルにシフトし、当時のプログレッシヴ・ロックのファンなどの間でも注目を集めている。そして、70年に開かれたロックの祭典である第3回ワイト島フェスティヴァル(8月26日から30日の5日間)に招かれるという異例の展開も待っていた。
 本作は、ワイト島フェスの時のバンド・メンバーだったチック・コリア(electric p)、キース・ジャレット(electric org)、アイアート・モレイラ(perc)、ゲイリー・バーツ(ts,ss)、デイヴ・ホランド(electric b)、ジャック・デジョネット(ds)に加え、ハーヴィー・ハンコック、カルロス・サンタナやワイト島フェスにマイルスの前に出演したジョニ・ミッチェルなどの証言も交えて、マイルスの<エレクトリック時代>を探るドキュメンタリーである。
 本作の目玉は、70年のワイト島フェスでのマイルスの完全版ライヴの発掘である。映画用に撮影されていたフェスだったが、当時はプロダクションの資金不足で未完成に終わってしまった。それを当時の監督だったマレー・ラーナーがキャッスル・コミュニケーションズの下で、95年に記録映画「ワイト島1970〜輝かしきロックの残像」として完成させている。この映画にもマイルスの場面は3分程度に編集されて収録されていたが、本作では70年8月29日午後5時から始まったマイルスの38分間のパフォーマンスがノーカットで発掘されている。マイルスは、曲名は「コール・イット・エニシング(何でもいい)」と答えたが、11年にリリースされたCDでは”Directions〜Bitches Brew〜It’s About That Time〜Sanctuary〜Spanish Key〜The Theme”とクレジットされている。これは『イン・ア・サイレント・ウェイ』と『ビッチェズ・ブリュー』からの抜粋メドレーである。


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ザ・ウェイ・アップ・ツアー~ライヴ・イン・コリア

パット・メセニー・グループ


<解説>

 パット・メセニー・グループが05年にリリースした通算12作目のスタジオ・アルバム『ザ・ウェイ・アップ』は、06年のグラミー賞でベスト・コンテンポラリー・ジャズ・アルバム部門を受賞した意欲的な作品だった。CD1枚に68分10秒(日本盤はボーナスとして4分弱を追加72分3秒)の楽曲1曲のみを収録するという実験的な作品でもあった。CDのトラック表示では便宜上4パートに分けられているが、メセニーはこれは組曲ではなく、ひとつの楽曲であると表明している。また、以前にコラボレーションを行ったこともある現代音楽のスティーヴ・ライヒにインスパイアされたもので、更にメセニーが77年にECMレコーズから発表したソロ2作目『ウォーターカラーズ』で共演したドイツのジャズ・ベーシスト:エバーハルト・ウェーバーにも謝辞が捧げられた作品だった。
 メセニーが、その『ウォーターカラーズ』で共演したキーボード奏者のライル・メイズと、77年に結成したバンドがパット・メセニー・グループである。以来、メイズは共同作曲家・アレンジャーとして活動を共に行っており、『ザ・ウェイ・アップ』もふたりの作曲による作品である。
 03〜04年に録音が行なわれたが、05年のリリースに合わせて、約6ヶ月に及ぶツアーも敢行されている。このツアーでは『ザ・ウェイ・アップ』の全編と、他のレパートリーという2部構成のライヴ・パフォーマンスが行われている。そのツアーの内、05年4月に韓国のソウルで撮影された『ザ・ウェイ・アップ』全編パートのライヴが本作である。
 編成は、メセニー(g)とメイズ(p,kbd)に加え、アルバムに参加していたアメリカ人のスティーヴ・ロドビー(b)、メキシコ人のアントニオ・サンチェス(ds,b)、ヴェトナム人のクォン・ヴー(tp,vo,perc,g)、スイス人のグレゴワール・マレ(harp,g,vo,perc,b)と、ツアーから参加したブラジル人のマンド・ロウリア(g,vo,perc)という多国籍布陣である。
ECMジャズや、英カンタベリー系のプログレッシヴ・ロックも彷彿させる深遠で静謐なプレイが圧巻である。


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