BIOGRAPHY

WHITE LIES / ホワイト・ライズ 


Photo _Big TV_72RGB

 Harry McVeigh (vocals / guitar),
Charles Cave (bass) & Jack Brown (drums).

 ロンドン・ウェンブリー・アリーナでヘッドライナーとしてライヴ・ステージに立つということ。それはどんなバンドにとっても、素晴らしいアルバム・ツアーの締めくくり方だ。2011年12月、1年をかけて回ったセカンド・アルバム『リチュアル(Ritual)』のツアーが終わりに近づいた時、ホワイト・ライズにその瞬間が訪れた。それは彼ら自身にとっても、また彼らのファンにとっても、これ以上は望めないほどにスペシャルなものであった。だがそれが、ノンストップで突っ走ってきた4年間 ―― 彼らは全英1位に輝いたデビュー・アルバムのツアー終了後、すぐに2作目に取り掛かっていた ―― の集大成であることを考えると 、それはひとつの区切りであり、ひと休みすべき時が来たことも意味していた。ヨーロッパのあちこちで行った数回のライヴを別にすると、2012年は頭を整理するための1年であった。考えるための時間。見直すための時間。これまでに成し遂げてきた数々の偉業と向き合い、そしてまたこの次に何を成し遂げ得るかについて考えるということ。

「あのアルバムのツアーをやり切った時には、沢山のことを学んだと間違いなく感じたし、今度のアルバムでは何をやりたくないかってことも分かったと思う」と語るのは、ヴォーカル兼ギターのハリー・マックヴェイ(Harry McVeigh)だ。「まず今度のアルバムでは何もかも、今までよりもっとずっとシンプルにしたいと思ったんだ」。

色々な意味において、それは昔からバンドが通る典型的な道筋でる。つまり、まずはオーディエンスの共感を呼ぶ、簡潔でパンチの効いたダイレクトな曲が詰まったデビュー・アルバムを出し、大きな成功を収める。その次は、世界中の人々が自分達の作品を聞いてくれる状況になり、音的に実験したり、革新性を求めたり、危険を冒してみることにする。それからまた次には、前述の冒険で学んだあらゆることから不必要な要素を取り除き、自分達の本質を保つための何かを抽出できるということに気づくのだ。

「今は自分達の強みが分かってるよ」と言うのは、ベーシスト兼作詞担当のチャールズ・ケイヴ(Charles Cave)だ。「ライヴを通じて、「Death」や「Bigger Than Us」といった曲では毎回、毎晩、必ず良い反応が得られるのを肌で感じたんだ。それで今回のアルバムを作るに当たっては、『なるほど、人々がより共感し、より思い入れを注いでくれるのは、こういうタイプの曲だということがが分かった。なら、どうすればこういうのをもっと作れるだろうか、しかもより進化させられるだろうか?』って感じになってね。そして実際どういうことなのか分析して、よく考えてみたんだ」。

ハリーがさらに続ける。「セカンド・アルバムの制作に向けた僕らの考えとしては、プロダクションに関して、音響的にテクニカルな作品を創りたいってことだった。そして多分、伝統的なソングライティングよりもそちらに重きを置きたいってね。それって多分、ナイン・インチ・ネイルズみたいなバンドがアルバム作りをするときに取るアプローチ方法なんじゃないかな。だけど実際にそれをやって、ツアーをした後、僕らは同じことを二度はやりたくはないと思ってることに気づいた。今回のアルバムでは、レコーディングのプロセスよりも、ソングライティングにもっと焦点を当てたいと考えたんだ。そのやり方で人は進歩できる。でもその進歩によって、ホワイト・ライズをホワイト・ライズたらしめているものが抽出されるんだ。そう気づいたんだよ。文字通り、自分達を少しずつ削り取っていくことによって、その純粋な核に到達するためにね」。

他にも、バンドにとっての“悟りの瞬間”だったとハリーが説明する場面があった。それは、自分達が目指しているのはどんな名声や称賛よりもずっと基本的で純粋なものだと、彼ら全員が共通認識を持った時だ。あるいは彼がシンプルに表現する通り、「僕らは、カッコつけるという考えを捨てたんだ」ということ。チャールズの回想によれば、グラストンベリー・フェスに初出演した時にも、自分達が本当にやりたいこととは何かを感じ取ったという。自分達のセットで非常に好い反応を得た後は、一日ずっと会場を巡り、ホラーズやアニマル・コレクティヴといったオルタナティヴ・バンドを観て過ごし、楽しんだ。しかし彼らが最も共感したのは、メインステージのクライマックスを飾ったブルース・スプリングスティーンの、大観衆が宗教的なまでに一体となったライヴであった。「僕らはスプリングスティーンの大ファンってわけじゃないのにね」と彼。「でもあんな一体感を目の当たりにするなんて経験は、この何年を振り返っても、数回くらいしかない。何が大事か気づかされるよね」

「新しいインディものより、むしろ、」と彼は言う。「僕らが今も主に聴いているのは、時代のどこかで重要な足跡を残したバンドだし、やっぱりそれが僕らの目標なんだ。どんな種類のものであれ、時代精神に合わせたいという欲求からは脱したよ。僕らはそういうのには関心がない。僕らは自分達の観点から見て、よりピュアなものを目指しているんだ。2、30年後もカラオケに入っているような曲を少なくとも1つは書きたい思ってやっている。僕らが抱いてるのはそういう野望だよ、『WIRE』誌とかそういうのに載りたいっていうのとは対照的だね」。

こういった新たな心構えの下、久しぶりの長い休暇で普通の生活を取り戻し、休息をしたチャールズとハリーは、新曲の曲作りに取り掛かった。だが今回は前作の時のセッションと異なり、自らに制限を課していた。「『リチュアル』の曲を書いていた時はね、」とハリー。「『これに色んなサウンドをたっぷりを詰め込んで、楽しもう』って感じだったんだ。今回は、すごく抑制したやり方で書く必要があった。だからボロいシンセ・サウンドとドラムマシーンのみを使って書いたんだ。それだけだよ」。

その結果生まれた曲の骨子だけのデモは、チャールズが笑って言うには「レコード会社が聴いたらゾッとするようなタイプ」のデモで、それゆえそこに入っていた曲は、最も簡素なプロダクション的装飾しか施されていなくても充分なインパクトがあるだけの、高いクオリティを持ったものではならなかった。それは短時間で、しかも有機的な形で生み出された。「「First Time Caller」は一番最初に出来た曲のうちの1つで、非常に重要な曲だった。それから「Mother Tongue」や「There Goes Our Love Again」とあと1曲が、約1ヶ月の間に生まれたんだ」とチャールズ。「つまり、その時点で僕らの手元にはデモの形で4曲あったわけだけど、そのうち3つが今回のシングルになるんだよ。 そこが前作とはかなり違ってる。前作では、よりコマーシャルな曲は後の方で終わりに近くなってから生まれたからね。そんな風に逆の状況だと、すごく生産的なんだ。というのも、もっとコマーシャルな曲を思いつかなくてはいけないっていうプレッシャーをかけられている状況と違って、頭を休ませながら、バラードやそういうのを追求できるからね。「Change」や「Heaven Wait」といった曲は、後でスタジオ内で書いたんだ。「Heaven Wait」は基本的に、「Mother Tongue」のコードと「First Time Caller」のリフを元にして、それを別物に捻り合わせたものなんだ。でもそういうのって、初期の段階で重要な曲を作り上げていない限りやれないことなんだよ」。

ホワイト・ライズの3作目の制作において、もう1つの鍵となった成分であり、何が最も重要になるかの指針をもたらしてくれたのは、彼らが選んだプロデューサーだ。エド・ブラーはデビュー作「トゥ・ルーズ・マイ・ライフ(To Lose My Life)」のプロデュースを手掛けていたが、2作目には参加していなかった。チャールズが指摘する通り、「レーベル側は常に、誰か違う人とやってほしがってるんだ」。しかしホワイト・ライズは、自分達が何を実現したいのか、そしてそれには誰が必要なのか、自分達は分かっていると自信があった。エドが呼び寄せられたのは、制作に入ってから3ヶ月後のことだ。「彼とは5人目のメンバーのように接してるんだ」とチャールズ。「彼の言葉は、決して耳に優しくはない。でもそういう意見を歓迎してる。彼が曲に参加してくれるのは本当に最高さ」。

ハリー:「北ロンドンにある彼の自宅で3ヶ月ほど仕事をしたんだけど、そのうち約2ヶ月は曲を磨き上げるためだけに費やした。自分達では準備が完了していると思っていた5曲を持って行ったんだけど、彼はトラックを途中で止めて、それをもっと練り上げるよう指示してきたんだ。時には、ほとんど最初からやり直しになったこともあった。「Getting Even」は、ものすごく色んなヴァージョンを彼と試したんだ。あの曲での彼のアレンジは本当に素晴らしかったな。間違いなく、僕らが一番苦労した曲だね」。

「音楽的にも歌詞的にも、今回のアルバムを象徴」することになる曲が突然生まれたのも、そういった曲作りの過程の途中だ。「Big TV」がアルバムのオープニング曲かつ3作目の表題曲となったのは、そういう理由からだ。「“成功”とか、“うまくやり遂げる”ってことについて考えている曲だね。そして現代の生活において、成功とは何を意味してるかってこと」とチャールズは語る。「大型テレビのイメージが、このアルバムのテーマを表現しているんだ。つまり、薄っぺらで空虚って意味でね。またこのアルバムは、ヨーロッパの地方の小さな町を出て、アメリカの大都市に行った女の子の物語でもある。「Big TV」って曲が、その状況を説明しているんだ。彼女は多分、汚らしいアパートに住んでいて、有り金をはたいて小さなベッドと大きなテレビを買った。それが彼女の持っている全てなんだ……」。

オープニング曲の歌詞は、疑いようがないほど魅力的だ。だが、もし希望がないように聞こえるとしたら、バンドで唯一人作詞を手掛けているチャールズは、全くその逆だと強く主張する。バンド活動を一旦休み、休養を取っていた間、彼は「昔からの友達と旧交を温めたり、新しい友達を作ったりする」時間を取ることができた。歌詞は、アップリフティングなメロディにふさわしいものを作り上げなくてはいけないと考え、主に、よりポジティヴでダイレクトでシンプルなものへと行き着いたのである。「Tricky To Love」は、これまでのホワイト・ライズの曲の中で、最も事実に基づいていない歌詞をしていると、バンドは指摘する。

チャールズ曰く:「前2作にあった、ややニック・ケイヴ的な要素は、少しずつなくなってきている。というのも、僕はもう人生に対してそういう見方はしていなからね。例えば「Mother Tongue」は、言語についてのラヴ・ソングなんだ。今はそういったことの方が、死だとか何だとかよりもずっと興味深いし面白い。僕は25歳になったんだ。もう18歳じゃない」

それこそが、正に『Big TV』の本質である。つまり、自分が何者であるかに自信を持ち、これまでの自分達の物語に満足しており、敢えて大股で前に進んでおり、偉業を目指している、そんな青年達のサウンドだ。