『ブルー&ロンサム』祝最新12/12付オリコン週間アルバムランキング3位獲得!レジェンドのレジェンドをおさらい!!

1995年3月3日、4日の2日間、あのザ・ローリング・ストーンズがここ日本の東芝EMI(現ユニバーサルミュージック)があった溜池山王本社ビル7階の第3スタジオでレコーディングを行った。全18曲がレコーディングされ、そのうちの5曲はアルバム『Stripped』に収録されている。

『ブルー&ロンサム』のリリース、3位獲得を記念し、2006年の来日公演直前に東芝EMIサイトのために公開されたレコーディング記を特別公開!

『俺とストーンズ』番外~
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『ストーンズが東芝EMIのスタジオでレコーディングする?!』

俺とストーンズ。
かつての部下“ミッシェル雄鶏”が、ストーンズの元担当ディレクターとして、
ストーンズのレコーディング目撃談を私に書けと言う。
締め切りは来日公演前、ナルハヤで仕上げろとまで注文を付ける。

メシおごれと頻繁にせがむわ、
元の上司に向かってアゴで指示するわ、
まったくもって図体だけじゃなく態度もデカイ男である。

おまえは仕事にかこつけてダラダラとブログ書いてりゃいいが、
こっちは当の昔に別のセクションに移っているのだからして、
決算前でバタバタしているというのに勤務時間外で執筆しないといかんのだ。
ヒトとして、いい年をした一人の会社員として、
一体どのような形で感謝の気持ちを元上司に表明するつもりでいるのだろうか。
楽しみなものである。

さて。私がストーンズを担当したのは、
ストーンズが東芝EMIに戻ってきた1993年からの数年間だ。
今でこそスキンヘッドの堅実なサラリーマンをやっている私だが、
いたいけな少年だった頃は、「大人になったら絶対ミック・ジャガーになる」
と夢見ていた位のストーンズ好きである。
1975年、ニューヨークの五番街で行われた、
トラック上での伝説のパフォーマンスをTVのニュースで観た瞬間から、
体の中で何かが確実に変わったと思っている人間である。

ある意味、ストーンズの担当だったあの時代が、
私の東芝EMI人生のハイライトだったのかもしれないと思ったりもする。
そんな私が体験した、『ヴードゥー・ラウンジ・ワールド・ツアー』での来日狂騒劇、
これから御紹介させていただきます。

1995年2月。

いよいよ2回目のジャパン・ツアーも目前に迫ってきた。
だんだんストーンズ周りが慌しくなってきて、

「あぁ、オレはストーンズの為に、こうして寝る間を惜しんで働いてるんだ」

とマゾヒスティックな恍惚感に浸りながら連日深夜残業をしていたある日、
その情報は、ロンドンから入った。

曰く、

「ストーンズが来日中にスタジオ・レコーディングをする可能性があるので、東芝EMIのスタジオを手配して欲しい。ただし、まだ100%やるとは限らない。バンドが日本に到着するまで、最終結論は出ないかもしれない」

だの、

「バンドとのディナーを完璧にコーディネートする為に、LAからEMIのスタッフをディナーの3日前に送り込む。一緒にレストランに行って、完璧なアレンジをしておくように」

だの、相手がストーンズじゃなかったら、間違いなく
「いい加減にしてくれ!」と怒鳴っているであろう各種のリクエストが、
毎日ガンガン飛び込んでくる。

2月28日。

南アフリカを飛び立ったチャーター便3機に乗って、
ストーンズ一行は再び日本に舞い降りた。

ホテルで出迎えた私は、ミックのマネージャーに、
この数週間ずーっと気になって仕方がなかったことを真っ先に尋ねた。

「やるんですか、レコーディング? 本当にやるんすかっ!?」。

マネージャーは、こいつは今さら何を聞いてくるんだ
というような怪訝な顔をして言った。

「あぁ、やるとも」

そんなもんなのだ。

ストーンズ帝国では、ミックを頂点に何百何千という人間が常に動いている。
極東のレコード会社の担当がピラミッドの何合目に位置するのかは分からないが、
全てはメンバーの気の向くままに物事が決定していく。
そして、メンバーと私の間には、クリアしなければならないハードルが幾つも用意されていて、
一つのことが前に進むためには、べらぼうな時間とエネルギーと幸運が必要だ。

いかん。チープな感傷にふけっている場合ではない。
速攻で会社に電話を入れ、レコーディングが正式にGOサインである旨を伝える。

しかし、ここでもう一つの問題が起きた。

<つづく>