BIOGRAPHY
TONY YAYO / トニー・イエイヨー
<トニー・イエイヨー・ストーリー>
遂に『ソウツ・オブ・ア・プレディケイト・フェロン~解き放たれたG-ユニット最狂のオリジネイター』でソロ・デビューを果たすニューヨークはクイーンズ/ジャマイカ出身、26歳のトニー・イエイヨー。03年2月、50セントのメジャー・デビュー『ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン』に始まるG-ユニットの猛進撃は留まるところを知らない。同年にはG-ユニットのアルバム『ベッグ・フォー・マーシー』、04年にはG-ユニットからのロイド・バンクス、ヤング・バックのソロ・アルバム。そして一巡して50セントのセカンド『ザ・マッサカー~殺戮の日。』。この驚異の数字を叩き出し続けているモンスター・アルバムが冷めやらぬ内に発表されるのがこの主人公、トニー・イエイヨーのソロ作品。G-ユニットの中で、最も50と古い付き合いの彼のデビューが、ここまで遅れたのは”御勤め”のためであることは既に周知の事実である。しかしその”お勤め”が、更なる作品のリアリティを高めたことに役立ったのだ。
「オレのアルバムはノン・フィクションさ。俺がしてきたこと、見てきたこと全て詰まってるんだ。しかもアルバムのほとんどの曲は、刑務所で書き上げたものだ。その緊迫感、臨場感がよりこの作品にアグレッシブかつハードな一面をもたらしているんだ。」
そのアルバムには、50セント、ヤング・バック、ロイド・バンクス、ドクター・ドレー、エミネム、ハヴォック(モブ・ディープ)、シャ・マニー・XL、オービー・トライス、ジャギド・エッヂ、ジョーとファミリーがこぞって参加する。もちろん50セントはエグゼクティヴな立場でこのアルバムをみている。
その50とのイキサツをトニーは語る。「NY、クイーンズはジャマイカで、お互いがビッグ・ダディ・ケインやクール・G・ラップをアイドルに挙げてラップをしていたことから自然な成り行きでダチになったんだ。それで”ストリート”な仕事をいっしょにしてたんだけど、50が真剣にラップにノメリこんでいった時に、オレをその道に誘ってくれたのさ。それは50がオレがイケてるってしってたからさ。」
そして50セントの影響は計り知れない。
「50セントと一緒に過ごすようになってからオレは、50のやり方をみてレコードを作ることを学んだんだ。もちろん他の奴らもクラブや、女のためのレコードを作れるサ、でもオレが違うことは、さらにG-ユニットのレコードの作り方を知ってるってことだ。G-ユニットはベスト・ストリート・レコードを作る工場なのさ。」
その工場で制作されたこのアルバムは、刑期を終え、9月遂に”解禁”になる。