Biography
【ベイビーフェイス】
ベイビーフェイスことケネス・エドモンズは、1959年米インディアナに生まれた。地元でのバンド、マンチャイルド(77年前後)を経て、LAリードらと組んだバンド、ディール(83年~)で3枚のアルバムをリリース、この頃からソング・ライター/プロデューサーとしての頭角を表してくる。ディールの活動と並行しながら、80年代半ばころから他アーティストのプロデュース(ソング・ライティング)を手掛け始めた。自らの初アルバム『ラヴァーズ』(86年)を皮切りにソロ・シンガーとして活動を開始、プロデューサーとしてはウィスパーズ「ロック・ステディ」(全米シングル・チャート87年7位)が出世作となる。以降LAリードと共にプロデュース・チームを組みながら多くのヒットを生み出していく。主なところで、ボビー・ブラウン「ドント・ビー・クルール」(同88年8位)、「エヴリ・リトル・ステップ」(同89年3位)、「オン・アワ・オウン」(同89年2位)、キャリン・ホワイト「スーパーウーマン」(同89年8位)、ぺブルス「ガールフレンド」(同88年5位)、ポーラ・アブドゥル「ノックト・アウト」(88年)、シーナ・イーストン「ザ・ラヴァー・イン・ミー」(同89年2位)等々、そして自らのセカンド・アルバム『テンダー・ラヴァー』(89年)からもシングル・ヒットを連発する。89年LAリードと共にラフェイス・レコードを設立、90年代以降TLC、アッシャー、トニ・ブラクストンといったアーティストを成功に導いていく。90年代前半~中盤のプロデュース作品としては、ホイットニー・ヒューストン「アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト」(同90年初1位)、「エクセイル(シュープ・シュープ)」(同95年1位)、TLC「ベイビー・ベイビー・ベイビー」(同92年2位)、「ディギン・オン・ユー」(同95年5位)、トニ・ブラクストン「ブリーズ・アゲイン」(同94年3位)、ブランディ「シッティン・アップ・イン・マイ・ルーム」(同96年2位)、メアリーJブライジ「ノット・ゴン・クライ」(同96年2位)、アズ・イェット「ラスト・ナイト」(同96年9位)、エリック・クラプトン「チェンジ・ザ・ワールド」(同96年5位)等々を手掛け、自らのアルバム『クローサー・ルック』(91年/リミックス企画アルバム)、『フォー・ザ・クール・イン・ユー』(93年)、『ザ・デイ』(96年)もベスト・セラーを記録する。直近アルバムは、幼少の頃から慣れ親しんでいた楽曲のカバーを中心とした作品集『プレイリスト』(07年)。
<結婚・離婚歴>
1992年にTracy Edmondsと結婚 (2人の間には2人の息子がいる)
2005年にTracy Edmondsと離婚
現在ガールフレンドのNicole Pantenburgとの間に1人の娘がいる
今作はベイビーフェイスにとって約7年振りの作品
【トニ・ブラクストン】
1967年米メリーランド生まれの女性R&Bシンガー。前述通りラフェイスよりベイビーフェイス・プロデュースの下、「ギヴ・Uー・マイ・ハート」(92年)でデビューする。93年に初アルバム『ラヴ・アフェア(Toni Braxton)』をリリース、「アナザー・サッド・ラヴ・ソング」(同93年7位)、「ブリーズ・アゲイン」といったベイビーフェイスが作・プロデュースした楽曲で人気シンガーの仲間入りを果たす。初の全米1位となった「ユアー・メイキン・ミー・ハイ」(96年/これもベイビーフェイス作品)、「アンブレイク・マイ・ハート」(同96年11週1位)を収録したセカンド・アルバム『シークレット』(96年)は、全世界で1000万枚超のセールスを記録、トニ史上最も売れた作品となった。以降『ザ・ヒート』(00年)、『モア・ザン・ア・ウーマン』(02年)、『リブラ』(05年)、『パルス』(10年)といったアルバムをリリースしている。
<結婚・離婚歴>
2001年にKeri Lewisと結婚 (2人の間には2人の息子がいる)
2013年7月にKeri Lewisと離婚
今作はトニ・ブラクストンとって2010年リリースの『パルス』以来の作品