BIOGRAPHY
TIGARAH (ティガラ)
かねてから政治家か外交官になることを志し、慶応義塾大学法学部政治学科に入学したひとりの女子がいた。政治に関して教養を深めていくにしたがって、その不誠実な現実を目の当たりにした彼女は、自らは政治の道ではなく、社会に対するメッセージを込めた表現者=アーティストになることに強い意識を持つようになる。
在学中に日本に住むブラジル人の友人を通して、ブラジルのアンダーグラウンドなダンスミュージック、バイレファンキに出会い、音楽における人生最大の衝撃を受ける。
居ても立ってもいられない彼女は、他にも様々なダンスミュージックを聴き漁り、新しいダンスミュージック、およびマスターピース(時代を変えてきた傑作)に出会うことの楽しさを知り、ついには自身でコンピューターを駆使し、見よう見まねでトラックプログラミングを始める。
「音楽を作って自分を表現したい!」という衝動は抑えられず、なんと、リアルなオーディエンスとクリエイティブを求めて、単身ブラジルに渡ることをあっさり決意してしまう。
そしてここは現地ブラジル、リオデジャネイロのイベントでの出来事。たまたまそこに出くわしたプロデューサー兼DJとして活動するヨーロッパ系クリエイターMr.Dに偶然出会い、バイレファンキやダンスミュージックの話題でコミュニケーションし意気投合。あれよあれよという間に話は進み、さっそく彼の拠点であるロサンゼルスの、彼所有のレコーディングスタジオで、一緒にトラックメイキングをすることになる。それ以降TIGARAHは、その作業のため東京とL.Aを行き来する生活が始まった…
大学卒業とともにTIGARAH自身もL.Aに拠点を移し、その年年末には全7曲の自主制作盤EPを完成させる。そのトラックたちをmyspaceをはじめとした、ネットワーク上でのクリエイティブをアピールできるSNSなどを使ったセルフプロモーションを始めると、そのプリミティブなトラックと、TIGARAHの日本語によるラップリリックが音色的なおもしろさから大きな評価を受け、このネットワークシーンで次第に注目が高まっていく。
当時、SNS系のクリエイティブコミュニケーションを、ユーザーはもちろん、大小のインディーズレーベルからUSメジャーレコードカンパニーまで、新しい才能を発見するメディアとして大きく注目されていたのもあいまって、これ以降信じられないほどの反応や評価を受けることになる。
2006年、Steave Aokiに発見され、L.Aのパーティー・シーンで話題になる。
4月メジャー音楽誌BLENDER Magazine
の編集者の一人が、myspaceでTIGARAHを発見したことをきっかけに、myspace上にアップされていた楽曲「Girl
Fight!」が、”Top20 songs you should download this
month”=今月最もダウンロードするべき注目曲TOP20という項目で、なんと9位にランクイン。
また、「Everything is in your hands」がアメリカのテレビ・ドラマ「L
Word」や「Numbers」の挿入歌として、「Japanese
Queen」がFOXの携帯サイトmobizzoのCMソングにも使用されるなど着実に認知度を増す。
その他
「Radio」:91X, NPR等に出演。
「TV」:アメリカのG4TVに出演や元アメリカ副大統領Al Goreが創設したことでも有名なテレビ局、Current TVの「New
Icons of 21th Century」に選ばれ、21世紀の新しいアイコンの一人として、TV-CMに起用される。
「新聞、雑誌」:「L.A Times」2回にわたる特集(アメリカ)
「Dazed & Confused」(イギリス)「URB Magazine」「XLR8R」「BPM」
「Sonic Magazine」(スウェーデン)「San Francisco Weekly」「Folha de Sao
Paulo」(ブラジル)等、アメリカだけに留まることなく、南米、ヨーロッパでも頻繁に取り上げられる。
さらに大手ゲーム会社Electronic Artsのゲームソフト
「Need for Speed Carbon」に「Girl Fight RMX」、「FIFA 2007」に「Girl
Fight」、「FIFA2008」に「Color, Culture, Money, Beauty」
が挿入されるなど、ゲームマーケットを通じても世界中に訴求中である。