『ディグ・ユア・オウン・ホール』メンバーによる全曲解説
ケミカル・ブラザーズ『ディグ・ユア・オウン・ホール(25周年記念エディション)』
『ディグ・ユア・オウン・ホール(25周年記念盤)』リリースを記念して、ケミカル・ブラザーズのメンバーが全曲解説を公開。
日本語訳を掲載します。
01. ブロック・ロッキン・ビーツ / Block Rockin’ Beats
「ブロック・ロッキン・ビーツ」は、僕らがロンドンでDJをしていた時、土曜日の夜にプレイするために作ったものだ。ごく限られた特定のダンスフロア用に作った曲だったから、それが突然ブレイクして世界中でヒットしていく様子は見ていてものすごくエキサイティングだった。僕らのヒップホップ愛から大きく影響を受けた曲だよ。
このアルバムの中で、ミックスするのが一番簡単だったのがこのトラック。作曲とアレンジは前年に終えていたから、アルバム・セッションの初日にミックスするだけで完成した。いつも通り、スティーヴ・ダブが素晴らしいサウンドに仕上げてくれている。
とてつもないミュージック・ビデオを手掛けてくれたのは、本作の「セッティング・サン」のビデオも担当したドムとニックだ。彼らは本当に素晴らしい監督で、長年にわたって彼らと一緒に仕事ができて、僕らは幸運だったよ。
「“ブロック・ロッキン・ビーツ” - 僕がDJをやる時は、いつもスタンバイしている曲だ。盛り上げたい時に欠かせない、特別なパワーが備わっている」——ティム・バージェス
02.ディグ・ユア・オウン・ホール / Dig Your Own Hole
本作の表題曲でありながら、あまり世に知られていないところが結構気に入っている。この「ディグ〜」は、南ロンドンにある〈オリノコ・スタジオ〉でレコーディングとミックスを行った。アルバムのタイトルは何にしようかと、かなり時間をかけて探していて、スタジオの外の壁に〈ドリル・ユア・オウン・ホール〉(=自らの墓穴を掘れ)というグラフィティが描かれているのを見つけた。
コンピュータでの作業に取り掛かる前に、長い時間をかけて、曲全体を通して流れていく二、三層の異なるベースラインを作った。それをサンプリングして、膨大な数の小節にぴったり合わせながら入れ込んでいかなきゃならないのは悪夢だったよ。最終的にはその甲斐があったけどね。
03. エレクトロバンク / Elektrobank
これを作っている間ずっと、こいつは化け物みたいなトラックだなと感じていた。いきなり手に負えなくなって暴れ出し、高速でノイジーになる。この曲ではリフを書こうと試みていたんだ、自分が普段作っているサウンドに飽きていたからね。
イントロでマイクを握っているのは、伝説的DJのクール・ハーク。1996年にニューヨークの〈アーヴィング・プラザ〉で僕らがコンサートをやった際に録音した音源だ。
このトラックにも最高のベースラインがある。本作は、極上のベースラインと潤沢なディストーションという、素晴らしいコンボから成るアルバムだ。
エンド・セクションは、ピエール・アンリの「サイケ・ロック(Psyché Rock)」という曲にインスパイアされた。彼は、エレクトロニクスとロック・ギターを融合させた、驚くべきキャンプ・ロック作品を手掛けた前衛作曲家。自分でこれをギターで弾こうとしたんだけど、失敗してね。それから違うものを思い付いて、それを全部逆回転にしたらいい感じの音になったのを憶えているよ。そこにちょっと良さげなディレイ・エフェクトをかけた。
BBC Radio 1(*英国で世間的な影響力が最も高い公共放送ラジオ局)でこの曲をプレイできるのかどうか、当時は色々と議論が持ち上がったんだ。今では普通にかかっているし、誰も気にしていない。
このミュージック・ビデオの監督を務めたのはスパイク・ジョーンズで、ソフィア・コッポラ(*映画監督・女優。スパイク・ジョーンズの元妻)が披露してくれた体操が印象的だ。
04. ピク / Piku
漕ぎ舟の名称に因んでタイトルを付けた曲。
オランダのライヴで「ピク」をプレイした時のことが思い出されるな——とにかく凄まじい反応だった。1996年当時としては、かなり未来的なヒップホップだね。
この曲では、E-MU サンプラーを多用している。サンプル・スタートを駆使して音を移動させるという新たなテクニックを発見したから、前と後ろの両方に同時に移動が可能なんだ。この曲に入っているギターは全て通常のギターで、どれもそのままの——最初に弾いた時に出たままのサウンド通りに処理されている。
05. セッティング・サン / Setting Sun
この曲がラジオでかかっているのを聴いた時は興奮したね。BBC Radio 1の『ブレックファスト・ショー』(*英国内での影響力が非常に高かった朝の帯番組)はこの曲のことが気に入らなくて、途中でかけるのを止めてしまった。
ノエル・ギャラガーは本当に良くやってくれたよ。彼が参加してくれたおかげで、最先端を走る急進的な曲を、大衆文化にこっそり持ち込めたと言っても差し支えない。
ヴォーカル全体にリバース・リバーブをかけていた。まだ本物のテープを使ってやっていた時代だよ。ものすごく時間をかけてリバーブを全て録音し、テープを逆再生するだろ、そしたら「ああ、これじゃまだ長さが足りないぞ」って、また最初から全部録音し直さなきゃならなくなる、といった具合でさ。
ドムとニックが監督した、「セッティング・サン」の本物のレイヴ・ビデオはこちら。
「この曲が全英1位になった日のことはよく憶えている。バタシー(*ロンドン南部の町)にあるトムの兄弟のフラットに皆で集まっていてね。この曲が1位になったかどうか、ヴァージン・レコードから事前に教えてもらうこともできたんだけれど(*当時、全英シングル・チャートの最新週間トップ40は、BBC Radio 1の番組内で日曜午後〜夕刻にカウントダウン形式で公表されていた)、トムとエドは、チャートの結果報告を事前に受けることを断っていた。“セッティング・サン”が1位を獲得したのがどれほど重大なことだったか、なかなか実感が湧かなかったよ。ケミカル・ブラザーズはまだアンダーグラウンドのダンス・アクトだったから。この曲は、マジでめちゃくちゃクレイジーなサウンドをしているね」——ロビン・ターナー
この曲のエンジニアリングを担当したのはジョン・ディーで、今まで僕らがレコーディングしてきた曲のうち、スティーヴ・ダブと仕事をしていない数少ない曲の一つ。この曲が全英1位になった時、ジョンが自分の母親に聴かせたのを憶えているよ——彼女はあまり興味なさげだった。
06. イット・ダズント・マター / It Doesn’t Matter
全てを支配するバスドラム。生きていて良かったと実感させてくれる、そんなトラックだ。
〈マンチェスター・ウェアハウス・プロジェクト〉で「イット・ダズント・マター」をプレイしたんだ。多分、ケミカルズの曲の中で僕が一番好きなトラックかもしれない。それにバスドラも最高だ。
この曲はライヴでしょっちゅうプレイしたんだけど——20分の長尺ヴァージョンをやっていたものだから、うちのクルーの中にはちょっと飽きていた人もいたっけ。
この曲には、ローター・アンド・ザ・ハンド・ピープルという60年代のサイケデリック・バンドのサンプリングが使われている。ブレナム・クレセント(*ロンドン西部ノッティングヒル地区にある通り)の〈スタンドアウト・レコード〉という店で、僕らは変わったサイケデリックのレコードを山程買っていた。あの店には足繁く通っていたんだけど、魔法使いみたいな人が店にいてね。エレクトロニクスやサイケデリックな音楽を僕が好きだってことを彼は知っていたから、そういう嗜好に合うものなら何でも僕のために取っておいてくれたんだ。彼は素晴らしい音楽の案内人で、彼からは刺激になる良いレコードを沢山買った。そのレコードも彼の店で手に入れたものだ。
彼ら(=ローターのメンバー達)はこの案にすごく乗り気で、僕らが米デンバーでライヴをやった時、メンバーの一人が観に来てくれた。彼は実にイカしてたな。僕らのライヴ・ショーで、強烈なヴィジュアルと、バグ・サウンドシステム、そして熱狂する観客を見て、「これぞ正に僕らが1972年にやろうとしていたことだよ。それを今、君達がやっているんだな」と言ってくれた。誰かの曲をサンプリングして、その本人に実際に会った場合、かなり面白いことにもなり得るだろ。彼はこの件全てに関してとても肯定的だった。かなり過激で虚無的な曲なんだけど、彼は「正にこれだ、よくぞやってくれた」と言っていたよ。
07. ドント・ストップ・ザ・ロック / Don’t Stop the Rock
これには元々「アイ・ラヴ・テクノ(I LOVE TECHNO)」という仮題が付いていた。僕らのテクノに対する愛に、レコード制作へのカットアップ・ヒップホップ的なアプローチを組み合わせようとした。
間違いなくこれは「イット・ダズント・マター」の姉妹トラックだった。ライヴでこれをプレイする時は、よくこの2曲を行き来していたものだよ。これもまた、卓上のジャムから生まれた産物だと言える。皆がコンソール卓のフェーダーや様々なディレイのつまみを手にしていて、うちのエンジニアのスティーヴ・ダブが卓でEQをかけていた。その場で思い付いたものを色々とそこに加えていったんだ。そしてそこからがロングパスの送り合いになる——つまり、DATテープに何時間分もの音源を録音して、そこから意味を成すものを作り出そうと試みながら、編集作業にたっぷり時間をかけたというわけ。
08. ゲット・アップ・オン・イット・ライク・ディス / Get Up on It Like This
ヴォーカル・サンプリングのレコーディングには、かなり時間をかけた——実際、何日という単位でね。目指していたのは、古いサンプリングのようなガリガリっとした音だった。でもその努力の甲斐あって、確かに本物のサウンドに仕上がったよ。
ここでは、ジョン・シュローダーの「マネー・ランナー(Money Runner)」という曲のサンプリングを使っている。Radio 1の番組(*週末夜中の2時間番組『エッセンシャル・ミックス』のこと。エレクトロ・ダンス・ミュージック系のDJやプロデューサーをゲストに迎え、彼らが手掛けた既存曲等のミックスをぶっ通しでかける。ケミカル・ブラザーズが「マネー・ランナー」のミックスをかけたのは1995年3月の出演時)に出た時に、この曲のロング・ミックスをかけたんだけど、それがきっかけでこの曲が生まれたんだ。
09. ロスト・イン・ザ・K・ホール / Lost in the K-Hole
後になって、“K・ホール”(*麻酔薬ケタミンをドラッグとして過剰に摂取した際に陥る麻痺状態のこと。時間や空間の感覚、平衡感覚、言語感覚等を失う)体験はこういうサウンドじゃないって言われたんだけど、僕らとしては、掛け布団で作った洞窟のような巣穴っぽいものをイメージしていたんだよね……。
「1997年当時、“K・ホール”というのは、殆ど馴染みのない概念だった。これは彼らがアメリカから持ち帰った言い回しで、向こうの人たちが夢中になってハマっていたことだと思う」——ロビン・ターナー
ここではセグズ・ジェニングスがベースを弾いている。彼は「リーヴ・ホーム」(*『さらばダスト惑星』収録)や、「アイル・シー・ユー・ゼア」(*『ボーン・イン・ザ・エコーズ』収録)、「サーフェス・トゥ・エアー」(*『プッシュ・ザ・ボタン』収録)でも弾いていたんだ。素晴らしいベーシストであり、伝説的なひょうきん者でもある。
ある特別な新テクノロジーを、僕らはここで試していた。リンリンと鳴る小さな音が聴き手の頭の中をぐるぐる回るようにしたいと思ってね。左から右に音を移動させるパンニングをあの手この手で色々試したんだけど、それでもまだ満足のいく結果は得られなかった。そこで、ローランドかヤマハが新しく開発したマシンを借りてきたんだ。今ヘッドフォンをして聴くと、頭の後ろの方をそれが通っていくような感じがする。かなり上出来だよ。この音をスピーカーの外に取り出そうと、僕らは相当な時間をかけて試行錯誤を重ねたんだ。
10. ホエア・ドゥ・アイ・ビギン / Where Do I Begin
ファースト・アルバムの「アライヴ・アローン」に続き、ベス・オートンと再び一緒に仕事ができたのは本当に良かった。歌詞は既に僕が書いていたんだけど、彼女が歌ってくれたら絶対もっとずっと良くなると分かっていたし、実際その通りだった。彼女はこの曲にうってつけだよ、完璧だ。
僕らがやってきたあらゆることに必ずしも興味がないという人達でも、これを聴いて、気に入ってくれている。アメリカでとあるレイヴに出た後、そこから歩いて帰ろうとした時のことを思い出す。ちょうど僕らの出演が終わり、キャンプエリアを通りかかったら、小さなカセット・プレイヤーを囲みながらこの曲を聴いている人達を見かけたんだ。良い思い出だよ。
11. ザ・プライベート・サイケデリック・リール / The Private Psychedelic Reel
このアルバムを締め括る曲で、最後に行き着く場所。これには長い時間をかけたし、沢山の別ヴァージョンがあった。
僕としては、このトラック全体をフェイズさせたいと考えていたから、すごく記憶に残っているよ。今はそれを簡単にやれるようにしてくれるものがあるけどね。確か卓には、この曲を2ヴァージョン用意したんだ。それから、フェーダーにセロテープで鉛筆を貼りつけたセクションを設けた。で、エフェクト音の方には、“MU-TRON BI-PHASE”というフェイザーをかけた。狙い通りの位相のスイープを捉えようと、何テイクも何テイクも試したよ。卓では、複数のフェーダーを一つのグループとしてまとめて同時に動かせるように、鉛筆をセロテープで貼り付けて、そいつを動かしながら良い結果を得ようとしていたんだ。