高岩 遼 アルバム『10』オフィシャル・インタビュー
ーソロデビューアルバム『10』は自分にとって、どのような存在に仕上がりましたか?
高岩 遼(以下略):オレにとって始めの1歩目です。そして、0歳から28歳までの高岩 遼の音楽歴において間違いなく頂点ですね。アーティストとしての自分の最先端の作品です。アメリカの文化も完全に溶け込んだ現代日本で生まれ育った自分自身のパーソナルな物語であり高岩 遼のジャズ・フロントラインです。
ー『10』はジャズ・アルバムとしてクレジットされていますが、エレクトロニカやHIPHOPなど様々な要素を感じさせる内容です。スタンダードなジャズを表現しなかったのは理由がありますか?
自分のソロ作として往年のジャズのカヴァーをやったとしても、それはオレのジャズ愛の枠を超えないわけです。もちろん、オレの根底には深いジャズ愛があるんですけど、それをそのままやるというのはエゴでしかないですからね。それに、高岩 遼として表現する音楽は、絶対的なオリジナリティを伴って歴史に残っていかなくてはいけない。もちろん往年のジャズ・カヴァー・アルバムであっても、盤としては歴史に残るかもしれない。でも、オレが目指しているのは、もっと上にある高みなんです。
ー今作のプロデューサーにYaffle(Tokyo Recordings)を迎えた理由は?
Yaffleは今作の制作にあたって、ディレクターに紹介してもらった人物なんですけど、最初に会ったときに心に響くものがあったんですよ。彼はこれまでにオレが出会ってこなかったタイプの人間だったので、タッグを組めばきっと面白い化学反応が起きるんじゃないか、と思ったんです。そういった期待感を持って、プロデュースをお願いさせていただきました。結論として、最高の結果になったと思います。
アルバム『10』のプロデューサーを務めたYaffle (Tokyo Recordings)
ーこれまでセルフ・プロデュースで活動してきたと思うのですが、人に制作の核となる部分を託すことは不安ではありませんでしたか?
不安は微塵もありませんでしたね。というより、今作の制作については、最初からセルフ・プロデュースでやる気持ちはまったくなかったんです。自分が所属しているSANABAGUN.、THE THROTTLEにおいては自分が”ああしたい、こうしたい”という主張を通させてもらっているんですけど、そのスタイルのまま高岩 遼のソロ作品を作るとポピュラリティのある音楽を生み出せないと思ったんです。今作については、より多くの人に聴いてもらえる音楽を作り出す必然性があったんです。
ー『10』のプロジェクトはどのようなキッカケでスタートしたのか教えてください。
2017年の春頃、BATICA(恵比寿のクラブ)でジャズ・ライヴをやっていたんですが、そこに本作のディレクターが会いに来てくれたんです。彼も自分と同い年で、交流を深めていく中で『ソロ・アルバムを出さないか』という話になりました。
ーその時点で高岩さんの頭には『10』の構想はあったんですか?
ええ、最初からソロとしてやるならビッグバンドでしかないと決めていましたね。1番最初のデモ的な音源が1曲出来たのが昨年の6月頃で、それが13曲目の「Try Again」になっていきました。
ービッグバンドへのこだわりというのは?
そもそも、ジャズのソロ・アルバムを作ろうと考えていた頃はいつか? と考えると、オレが22、3歳くらいのときだったんじゃないかな、と記憶しています。当時、オレは東京に来て初めてのバンドを組んだわけなんですが、それがRyo Takaiwa With His Big Bandというバンドネームだったんですよね。仲間を集めてフル編成で。もがきながら、なんとかデモを録音したりしました。そのときにレコーディングした曲は「Come Fly With Me」と「That’s All」の2曲、どちらもフランク・シナトラのスタンダードですね。そのときからソロで作品を作ろうか考えたりしていたので、ビッグバンドでやっていくということは、オレが音楽活動を始める当初から描いていたことなんですよ。
※Ryo Takaiwa With His Big Band
ーRyo Takaiwa With His Big Bandが『10』の母体となった?
いえ、そのバンドと『10』はまったくの無関係です。過去にそういう出来事があった、というだけです。ですが、時を経て、そのときのバンドメンバーの何人かが『10』に参加してくれています。今作は自分を含めてアンダー28歳(2018年6月時点)のミュージシャンによって構成されているのですが、過去の繋がりから本作にも参加してくれたミュージシャンがいるのは非常に感慨深いですね。
ージャズ・ヴォーカリストとしての高岩さんのルーツはどこになりますか?
レイ・チャールズとフランク・シナトラですね。歌という点に関してはシナトラだと思います。技巧だけの問題じゃなく、その歌声から届いてくるものに感動させられます。だって何十年も前に録音された声を聴いて、今でも泣けますから。それってすごいことじゃないですか。それに、シナトラの規模感には憧れを抱きますね。なんせ20世紀を代表するスターなわけじゃないですか。だから『10』にもカヴァーを収録しています。
ーでは、音楽的なルーツというと?
幼い頃にママが車でかけていた音楽たちだと思いますが、小学3年生のときにスティーヴィー・ワンダーの「涙をとどけて(Signed, Sealed, Delivered I’m Yours)」を聴いてブラックミュージックに傾倒していきました。それが血となり、たくさんの音楽に出会って。雷のような衝撃を受けたのは、小学6年生の頃に見たレイ・チャールズのVHS。「何なんだ、これは。カッコよすぎる……」となり、すぐにレコードショップに音源を買いに走りました。
※Red Bull Studios Tokyoでのアルバム『10』レコーディング時
ー高岩さんにとって、ジャズとはどんな存在ですか?
現在28歳のオレとしては、ジャズは自分の音楽だ、とは言い切れないです。それもジャズ愛があるからこそなんですが。そもそもアメリカで生まれた音楽を日本人である自分がやることには、世界中のミュージシャンと比べたときに絶対的なハンディキャップがあるんですよ。言語も異なれば、育ってきた環境や気候も違うわけですから。この葛藤は、これから年を重ねていかないと踏ん切りがつかないんじゃないですかね。
ーそういったルーツを持ちつつも、高岩さんはソロのジャズ・ヴォーカリストとしてではなく、SANABAGUN.、THE THROTTLEのフロントマンとして活動していくことになり、今も継続中です。それは何故ですか?
アルバム『10』でも歌っていることですが、オレは多分、誰よりも野心家なんですよ。そもそもSANABAGUN.、THE THROTTLE、SWINGERZを作ったのも、それが起因していると思います。岩手から上京してきたオレは音楽家としてジャズ・ヴォーカリストの道を選び、その手法でスーパースターになろうと考えていました。しかし、音楽シーンの現状を知っていく過程で、往年のジャズ・ヴォーカリストのスタイルでは現代において、自分が思い描いているスターダムにのし上がることができないと考えるようになったんです。
ーいわゆる時代感にあったジャンルや音楽を知って、視野が広がったわけですね。
そこで、オレの血肉となっている才能やセンスにジャズ・ヴォーカルを混ぜて器を作ろうと思ったのが、SANABAGUN.、THE THROTTLE、SWINGERZだったんです。ですが、それは自分のやりたかったことを曲げたわけでは決してない。もともとスーパースターになるという野心が根底にあるからこそのプロセスだったわけです。
ーソロであれバンドであれ、核になる高岩 遼という人間は変わらない?
ええ。上京して10年を超え、肉体的にも精神的にも様々な変化がありましたが、自分の思考、野心は何も変わることがない。ピカピカなまま、今も存在しています。そして、バンド活動を行っていくことで、そこであらゆる経験を積みました。今ではバンドで培ってきたことは、オレ自身に完全に溶け込んで、今現在の自分の声やスキルに繋がっているんです。そう考えると、今作に至るまでのバンド活動は自分に必要なことだったのだと感じています。
ーSANABAGUN.やTHE THROTTLEで発信している音楽と『10』は、どのように異なりますか?
バンドにおいて、自分の役割はフロントマンなので、モチベーションがちょっと違いますね。乗り物に例えるなら、バンドのときはギアを常にフルに入れている状態でなくてはいけない。当然そうするとガス欠になったり、調子が悪くなることもあるけど止まるわけにはいかない。だけどソロ作品については完全にニュートラルの状態なんで、自分のペースでやれるんですよ。そこは異なる点でしょうね。
ー逆に過去の自分では『10』のような作品を生み出せなかった?
そうですね。昔の自分であれば「Black Eyes」や「ROMANTIC」みたいな音楽は受け入れられなかったと思うんです。つまり自分が表現したいポップスとは何かを現在のように理解していなかったから、です。今作における表現は10年間を経て、ようやく見つけることができたものだと思っています。歳を重ねて時間が経ったので、自分の所属しているバンドの見え方も違ってきたし、ニュートラルに戻す作業を体が覚えてきたんじゃないかな、と。
ー今回のソロ・デビューというのは高岩さんにとって、どんな意味があると考えていますか?
オレは自分のバンドにおいてフロントマンであり、首謀者なわけです。そこにはタフガイとしての責務はある。今回のソロ・デビューによって、オレが実現したいことをすべてやる、1番気持ちよく歌い、誰よりも目立つ、その結果としてシンパが増える。それがバンドの知名度を上げることに繋がっていくと考えています。もしかすると、ソロもバンドもやることでミュージシャンとしての活動が分散されてしまうと考える人もいるかもしれない。高岩 遼がただ目立ちたい、売れたいだけであれば、バンドを去って1人でやっていった方がいいと思う人もいるかもしれません。でも、高岩 遼という人間はそういう性分じゃないんですよね。そして、オレの仲間たちは、オレがバンドを去っていくようなことをしないし、させない。味のある考え方の人間ばかりなんですよ。だからこそ、オレはすべてを続けていきたい。そして、このソロ・デビューが血を分けたブラザーたちの生活ステータスを一段上の豊かな方向に持っていくことに繋がっていくと思いますね。カッコつけているのではなく、マジでそう考えています。
ー高岩さんが描いている、スーパースター像とは?
皆に愛されるなんてことはもうどうでもよくて。富と名声、そのための規模感がついてくるというか。そういうことです。そして、最終的には教科書に載りたいんです。よく卒業アルバムの最後の方に”今年の出来事”が掲載されるじゃないですか。この先、オレが死んだときに、そのことが記載されるような存在になりたい。「高岩 遼、逝去。享年●歳」ってね。人によっては「オレ、あのスターが死んだ年に生まれたんだよね」っていう(笑)。日本国民みんなに認知されるような規模感ですね、オレが描くスターというのは。
(text by Ryo Tajima)
Album “10” Credits
高岩 遼(vo) Yaffle(produce, programming,arr)
萩原 優(as,fl) 市川海容(as) 石井裕太(ts,cl) 谷本大河(ts,fl) 三上功聖(bs,b-cl)
寺谷 光(tb) 田口 元(tb) 石川智久(tb,b-tb) 笹栗良太(tb,b-tb)
吉澤達彦(tp,f-hr) 堀 京太郎(tp,f-hr) 山田丈造(tp,f-hr) 荒谷 響(tp,f-hr)
千葉岳洋(p,rhodes,arr) 小林修己(electric bass) 勝矢 匠(double bass) 裕木レオン(ds) LA Burger(g on #10)
オカモトショウ from OKAMOTO’S(guest vocal on #2)
Niklas Gabrielson(backing vocal on #4)
Ryo Takaiwa Jazz Set for #16 My Blue Heaven
松本 翼(p) 菊池 藍(double bass) 橋詰大智(ds)
山田元気(drum tech) 小森雅仁(mixing engineer) 小泉由香(mastering engineer) Ryu Kawashima(recording engineer)
田島 諒(artwork design) 濱村健誉(artwork photo) 森田康平(hair make) 田浦幸司(stylist) 千葉陽和(assistant stylist)
Recorded at Red Bull Studios Tokyo, Universal Music Studios Japan & Aoyama Basement