BIOGRAPHY

 

1950年
5月13日ミシガン州サギノウで誕生。本名スティーヴランド・モリス・ジャドキンズ。保育器内の過量酸素が原因で、生まれてすぐ永遠に視力を失う。

 

1961年
モータウン社長ベリー・ゴーディの前で初めて歌と演奏を披露。ゴーディはその場でスティーヴィと契約。

 

1963年
5月、『フォインガーティップス』でアルバム・デビュー。
6月、4枚目のシングル「フィンガーティップス」が全米チャートを制覇。

 

1966年
1月に「アップタイト」が全米3位を記録。この年は「太陽のあたる場所」など5曲がチャート・イン。67年と68年も4曲がヒット。

 

1969年
シングルのB面「マイ・シェリー・アモール」が7月に大ヒット、全米4位まで到達。

 

1970年
9月14日、モータウンの元秘書で作詞家・歌手のシリータ・ライトと結婚(72年に離婚)。

 

1971年
5月13日の誕生日にモータウンから未成年時代の印税100万ドルを受け取る。

 

1972年
6月からのローリング・ストーンズ全米ツアーに自らのグループを率いて参加。アンコールでは両バンド合同で「アップタイト」「サティスファクション」のメロディーも披露。10月にアルバム『トーキング・ブック』をリリース、全米3位まで上昇。

 

1973年
1月、ジェフ・ベックのために書いた「迷信」のスティーヴィ・ヴァージョンが全米チャートを制覇。8月4日に交通事故で瀕死の重傷を負い、四日間も生死のあいだを彷徨う。同月、傑作アルバム『インナーヴィジョンズ』をリリース。

 

1974年
3月、グラミー賞で「アルバム・オブ・ザ・イヤー」をはじめ5部門を受賞。8月には『ファースト・フィナーレ』をリリース、全米チャート1位を獲得。

 

1975年
3月、グラミーで再び主要5部門を独占。4月、ヨランダとのあいだに愛娘アイシャ誕生。

 

1976年
8月、7年間で1300万ドルというレコード産業史上の最高金額でモータウンと契約更改。9月、2枚組LP『キー・オブ・ライフ』を発表し、全米で14週間連続1位を記録。

 

1979年
10月、2枚組LPのサウンドトラック盤『シークレット・ライフ』をリリース。

 

1980年
10月、アルバム『ホッター・ザン・ジュライ』をリリース。シングル「マスター・ブラスター」も大ヒット。

 

1982年
4月、ポール・マッカトニーとの「エボニー・アンド・アイヴォリー」が7週全米1位。

 

1984年
9月、映画『ウーマン・イン・レッド』サウンドトラック盤から「心の愛」が特大ヒットに。

 

1985年
1月、USA・フォー・アフリ カの「ウィ・アー・ザ・ワールド」に参加。2月14日、南ア大使館前でアパルトヘイト抗議デモの先頭に立ち、逮捕される。9月、「パートタイム・ラ ヴァー」が全米1位を記録。10月、アルバム『イン・スクエア・サークル』発表。11月、ディオンヌ&フレンズ名義のエイズ・チャリティ曲「愛の ハーモニー」に参加、これも全米1位に。

 

1987年
10月、アルバム『キャラクターズ』をリリース、シングル「スケルトンズ」「ユー・ウィル・ノウ」がR&Bチャートの首位を獲得。

 

1989年
1月、「ロックの殿堂」入り。

 

1991年
5月、スパイク・リー映画のサウンドトラック盤『ジャングル・フィーヴァー』を発表。

 

1993年
6月、JODECIによるカヴァー「レイトリー」が全米3位を記録

 

1995年
8月、「楽園の彼方へ」をサンプリングしたクーリオの「ギャングスタ・パラダイス」が大ヒット。

 

1996年
8月5日、アトランタ・オリンピック閉会式で「ハッピー・バースデイ」を熱演

 

1999年
缶コーヒー「FIRE」のCMに出演して「フィール・ザ・ファイア」を披露。

 

2001年
9月21日、全米同時多発テロの犠牲者追悼チャリティ・イヴェント『アメリカ:ア・トリビュート・トゥ・ヒーローズ』に参加し、「ある愛の伝説」を世界に向けて披露。

 

2005年
最新アルバム『タイム・トゥ・ラヴ』発売。プロモーション来日も敢行。

 

2007年
2003年末以来およそ3年ぶりとなる来日ツアー”STEVIE WONDER LIVE IN JAPAN 2007″。