<海外プレス・リリース訳>『ジョーカー』50周年記念2CDエディション 9月15日発売
スティーヴ・ミラー・バンド
『J50:エヴォリューション・オブ・ザ・ジョーカー』
STEVE MILLER BAND / J50 : THE EVOLUTION OF THE JOKER
海外プレス・リリース
シングル「The Joker」は1973年10月に世界各国で発売された。アメリカではリリース直後からヒットを飛ばし、FMのアンダーグラウンド・ラジオから当時のAMポップ・ラジオへと人気の裾野を広げていった。それからまもなく、この曲はまずアメリカのシングル・チャートで1位を獲得し、その他の国でも大ヒットを記録した。このメインストリームでの画期的な成功の背後は、バンドの顔ぶれとミラー自身の曲作りのアプローチが劇的に変化したことがあった。『J50: The Evolution of The Joker』はオリジナル・アルバムの収録曲と未発表音源を組み合わせることで、ミラーの創作プロセスを明らかにしている。今回のボックス・セットは、1972年のツアー中に録音された「Children of the Future (未来の子供達) 」、「Brave New World (すばらしき新世界) 」、「Space Cowboy」の美しいアコースティック・ライヴ・ヴァージョンで幕を開ける。それまで長年にわたって、ミラーは絶え間ないライヴ・ツアーでファンを増やしてきた。年に何百もの街を訪れるのが彼の日常生活となっていたのである。当時のスティーヴ・ミラー・バンドはキーボードのディッキー・トンプソン、ベースのジェラルド・ジョンソン、ドラムスのジョン・キングが加入し、結成以来初めて4人編成で活動していた。トンプソンのB3オルガンとエレクトリック・ホーナー・クラビネットがある種の刺激材料となったこのバンドは個性的な新しいサウンドを発展させ、その結果、ミラーならではのサイケデリック・ブルースと狙いのはっきりとした曲作りがうまく調和することになった。ミラーは様々な方面からの影響とインスピレーションを巧みに融合させ、完全にオリジナルで独創的な楽曲をまとめあげていた。
スティーヴ・ミラー・バンドの長時間に及ぶライヴでは、ヤング・ジェシーの「Mary Lou」やクローヴァーズの「Your Cash Ain’t Nothin’But Trash」といったR&Bの名曲のカヴァーがハイライトとなっていた。この2曲はやがてアルバム『The Joker』にも収録された。バンドがステージで繰り広げる演奏に活力をもらいながら、ミラーはアメリカ中のホテルの部屋でティアックの4トラック・テープ・レコーダーを使いながら深夜にデモ・テープを制作している。そこでは、主に12弦ギターで新曲作りが行われていた。1973年7月、スティーヴ・ミラー・バンドはロサンゼルスにあるキャピトル・レコードのスタジオBに入り、すぐに仕事に取りかかった。そしてミラーのプロデュースのもと、アルバムのレコーディング、ミキシング、マスタリングをたったの17日間で完了させた。
「レコードを作りたいと思っている若者なら忘れてはいけない一番重要なルールがある。スタジオに入るときは、最初の一発目でいきなりすべてやれるように準備をしておくこと。というのも、録音するなら一番最初がベストだからね」とミラーは言う。「最初のパフォーマンスをうまく記録できるかどうかに、すべてがかかっている。『The Joker』の重要な部分の多くはそうやって録音したんだ。すべて最初のテイクだった。いつだって、最初のテイクのほうが完璧なテイクより良いものだよ」。
「ヒット・レコードを作るには、人を惹きつける要素が5つあるのが一番だと思った」と彼はさらに語る。「1つでも2つでも3つでも4つでもなく、5つでないといけない。本当にヒットを出したいのならね。たとえば「The Joker」の場合、いきなり”ある人は俺をスペース・カウボーイと呼ぶ”という歌詞で始まる。これは一体何なんだと疑問がわく。そのあとに、さらに関心を引きつけるものが出てくる。スライド・ギターとか、サビとか、ハーモニーとか、いい女を見たときに吹く口笛とか、そういうものがすべて積み重なっていく。これらはどれも曲作りの要素にすぎない。こうした要素の使い方を身につけて、それを楽しく応用していくんだ」。
ミラーが作り上げた新曲の中には、アルバム冒頭の「Sugar Babe」や長らくライヴで人気を集めてきた「Shu Ba Da Du Ma Ma Ma Ma」が含まれていた。さらには、のんびりしたブルース・シャッフル「The Lovin’ Cup」や、徐々に盛り上がり圧倒的な印象を残す「Evil」といった曲も新たに生まれていた。アルバムでは、「The Lovin’ Cup」の直後にロバート・ジョンソンの「Come On In My Kitchen」を情熱的なアコースティック・アレンジでカヴァーしたライヴ録音が続いている。そこでは足を踏み鳴らす音がパーカッション風の伴奏を奏でていた。また”Evil”は、マサチューセッツ州ボストンのアクエリアス・シアターで録音されたライヴ音源だった。そしてアルバム『The Joker』は、ロマンティックなポップ・ララバイ「Something To Believe In」で締めくくられる。この曲は、聴く者を元気づけるような暖かい雰囲気になっていた。”Like clear water in a mountain stream (山の小川を流れる澄んだ水のように) “とミラーは歌う。”l will come to you in your dreams/Like pictures reflected in a mountain lake/I will be with you when you wake (俺は君の夢の中に現れる/山の湖に映し出された光景のように/俺は目覚めた君の前に現れる) “。
1973年10月にシングルで発表された「The Joker」は、ミラー本人の言葉を借りれば、「冗談でもなんでもない、本物のノンストップのヒット曲」になり、世界中のほぼすべてのラジオ局で放送の電波に乗った。「The Joker」はビルボード誌のホット100チャートで首位を獲得したほか、数多くの国でシングル・チャートのトップ20に到達した。それから10年以上が経過した1990年9月、リーバイスのテレビCMに使われたことがきっかけとなり、「The Joker」はアメリカ、イギリス、その他のヨーロッパ各国のヒット・チャートに返り咲いている。これはまさに歴史的偉業だった。アメリカのチャートとイギリスのチャートの双方で首位を獲得した曲はいろいろあるが、「The Joker」ほど長い間隔でその記録を打ち立てた例は他にない。
アルバムのタイトル。トラック「The Joker」は、ありとあらゆる場所でヒットになった (また、著名な写真家ノーマン・シーフが撮影した覆面姿のジャケット写真は脳裏に焼き付くような強烈な印象を残した) 。その結果アルバム『The Joker』は、たちまちにしてRIAA認定のプラチナ・ディスクとなった。プラチナ・ディスクに認定されるのは、ミラーにとって初めての快挙だった。『The Joker』は芸術的な完成度という点でも傑作だったが、ミラーのキャリアを重要な次の段階へと進める原動力にもなった。このあと彼はトップクラスのヒットメーカーとなり、この時代を代表するアーティストの1人となっていった。これまでのところ、スティーヴ・ミラーのレコードの合計売上枚数は7,500万枚以上、ストリーミング再生回数は50億回を数える。彼はビルボード誌のホット100・チャートのトップ10に5つの曲を送り込み、そのうちのいくつかは首位にまで到達した。ホット100・チャートへのランク入り期間は合計226週に及ぶ。またビルボード200チャートのトップ10には4枚のアルバムが到達しており、同チャート圏内にランクインした期間は合計で528週となっている。
誰にも止められない、永遠に創造的なライヴ・グループとして50年以上にわたって知られてきたスティーヴ・ミラー・バンドは、『The Joker』や、その他多くの傑作を記念するヘッドライナー・ツアーをこの12月まで全米35都市で行う。ツアーの詳細やチケットに関する情報は、公式サイト (www.stevemillerband.com/tour) で確認できる。