BIOGRAPHY

Soulja Boy Tell’em / ソウルジャ・ボーイ


Bio  ソウルジャ・ボーイは、リル・ジョンやイン・ヤン・ツインズとともに”クランク・サウンド”を世に送り出した立役者ミスター・コリパークにして「彼は天才だぜ。
レコードディール前のマイケル・ジャクソンに出逢うようなものさ。それくらいの才能があるよ」といわしめた17歳のシカゴ生まれアトランタ育ち。
シカゴで生まれたソウルジャ・ボーイ(本名ディアンドレ・ウェイ)は6歳の頃アトランタに引越した。
現在、音楽のクリエイティヴィティが最も集結する場所として盛んなA-タウンは、アウトキャスト、アッシャー、ジャーメイン・デュープリ、グッディ・モブなどのアーティストがローカル・ヘビーウエイトから全国のセンセーションへと名乗りを上げていた頃だ。
これを機会にサウスは必然的に注目を浴びるようになった。
当時のソウルジャは、周囲にも助けられ、若いなりにも音楽へと情熱を持ち始めた。彼は友人を通しプロダクション面にも興味を持ち始め、能力を研ぎ澄まし始めた。
そしてミシシッピに移った際、父親の持っていたコンピューターを駆使した彼はインターネットという武器を持ち、クラスメートで”共謀者”でもあるアラブとデュオ”ザ・30/30・ボーイズ”を組み、自分のホームページwww.souljaboytellem.comをたちあげた。
そこで徐々に彼は小学生を中心にカリスマ的なポジションを得るようになる。
インタースコープ契約に導いたミスター・コリパーク自身こう言っている。 
「彼のことを知らない大人に取っては、彼はタダの”流行”に過ぎないだろう。しかし、ファンベースなどを実際調べてみると、彼はカルト的存在となっている。
彼の全体的なライフスタイル、彼のファッション、自分の名前を書いたグラサン、着用していたスニーカー。全てが絡み合って、そして例のミュージックを持ってきた。
ソウルジャが私と会う以前でも、あそこまで人気だった理由は、ファンが彼の音楽を”自分たちだけのもの”、と認識していたから。他の誰のものでもなくね。
でもそれを感じることが出来なければ、彼のことを一発屋としか認識することが出来ないだろう」。
2004年、ソウルジャはアトランタに戻る。
“インターネット・セレブリティ”としての瞬間を満喫しながら、ソウルジャは自身の名声を今度はUSドルに転換させようと決心した。 
ソウルジャは初のライヴ・パフォーマンスをインディアナ州インディアナポリスのティーン・クラブで行った。 
そこでは既にインターネットなどを通しカリスマとしてソウルジャを崇めるファンで満員となっていた。
そしてコリパークはポテンシャルを確信、契約を結んだ。
すでに約1000万人がソウルジャ・ボーイのMySpaceページを訪れ、彼のファンは、(ソウルジャ・ボーイ)ダンスを真似し、毎日のようYouTubeクリップをアップロードしている。
彼の”クランク・ダット・ソウルジャ・ボーイ”アンセムは既にラジオでヘヴィプレイされ始めた。
そしてこの10月インタースコープ・レコーズより、デビューアルバム『ソウルジャ・ボーイ・テレム・ドット・コム』がリリースされる。
「俺の今の人生はTVショウのようなモンさ。毎日新しいエピソードが流れてる」と彼は続ける。 
「みんな俺の次のステップを待ち遠しく感じてるのさ」。
もう彼には全てがお見通しなのだ。弱冠17歳、ソウルジャ・ボーイのデビューである。