BIOGRAPHY
本名リッキー・ウォルターズ。1965年1月14日生まれ、ロンドンはサウス・ウィンブルドン出身。
トレードマークとなっているアイパッチは、生後18か月のときにガラスが目に入って失明してしまったため。
1976年に家族と共にブロンクスへ移住したリックは高校時代にデイナ・デインと出会い、彼を含めた5人の仲間たちと
カンゴール・クルーなるラップ・チームを結成。1984年にはブロンクスで開催されたラップ・コンテストで
ダギー・フレッシュとの邂逅を経て、翌年にはダギー・フレッシュ&MCリッキー・Dの名義で”The
Show”と”La-Di-Da-Di”を録音。
即座にヒップホップ・クラシックとして認知されたこのカップリング・シングルは見事ゴールド・ディスクに輝き、
その名を全米中に轟かせることになる。
1988年にデフ・ジャムと契約を交わしたリックは、相棒のDJヴァンス・ライトと共にデビュー・アルバム
『ザ・グレート・アドヴェンチャー・オブ・スリック・リック』を完成させる。 “Children’s Story”や”Mona
Lisa”など、リックのストーリーテラーとしての才能が一気に開花した同作は、
翌年10月にはプラチナム・ディスクを獲得するという大ヒットに繋がった。
順風満帆に思えたリックのキャリアだが、1990年7月、以前に彼のボディーガードを務めていた男に対しての
殺人未遂と銃刀法違反の容疑で逮捕されるというアクシデントに見舞われる。
当時のデフ・ジャムCEO=ラッセル・シモンズは80万ドルの保釈金を払い、
その3週間に及ぶ保釈期間中に21曲のレコーディングと5曲のビデオ・クリップの撮影を完了させる。
結果としてリックは最高10年の投獄を言い渡されることになるが、
それら録り溜めしたマテリアルにトラックを被せることで1991年に2ndアルバム『Ruler’s Back』、
1994年には3rdアルバム『ビハインド・バーズ』のリリースに至っている。
イミグレイションの関係でなかなか仮出所できなかったリックだが、
彼の獄中生活が大々的にフィーチャーされたヒップホップ・ドキュメンタリー『ザ・ショウ』の公開と共に、 折からの[Free Slick
Rick]キャンペーンが一気に加熱。その成果もあって1996年に晴れて出所を果たした。
1999年には4thアルバム『ジ・アート・オブ・ストーリーテリング』をリリース、
スヌープ・ドッグやノトーリアスBIGらに多大な影響を与えた卓越した語り口に何ら衰えがないことを証明してみせた。