BIOGRAPHY
シグリッドは誰もが待ち望んでいたポップスターだ。彼女はノルウェーの小さな街の出身だが、その志の高さ、物怖じしない立ち居振る舞い、素晴らしい歌声のどれをとっても、同年代に比較できる者がいない、規格外の20歳女子である。耳に残るノルウェー訛りと、人懐こい笑顔から思わずこぼれる笑い声が、図らずも彼女を“クール”に見せているが、その初々しさにはロード(Lorde)が「ロイヤルズ(Royals)」でデビューを飾った頃に匹敵するワクワク感がある。ユネスコの世界遺産に登録されているガイランゲルフィヨルドの玄関口として知られ、豊かな海山に囲まれた町、オースレンで生まれ育ったシグリッドは、これはもう必然的に、自動車でわずか10分の距離にあるのどかな隣島、ギスケに立地するオーシャン・サウンド・レコーディングス(OSR)に出向いて、その音楽的才能を存分に発揮する運命にあった。偶然にも同スタジオはサンファ(Sampha)の新作の大半がレコーディングされた場所でもある。
ニール・ヤングの大ファンである父と、ジョニ・ミッチェルに深い敬愛を抱く母親を両親に持つシグリッドは、多感な幼少時、7歳にして初めてピアノ・レッスンを受けた頃から、良質なソングライティングの重要さというものを身にしみて感じていた。10代初めにはコールド・プレイ、アデルなどに夢中になり、カヴァーを始めたが、やがて彼らの楽曲を解体してみることによってさらに理解を深めようと決意した。彼女は曲のあちこちの部分を抜粋し、コードやリズムを変化させ、再度ひとつの曲にまとめることによって独自の創作へと変えたのだ。こうして彼女は意図せずして作曲という世界に誘われていった。あこがれのアーティストたちを熱烈に愛するファンでありながら、より高い次元へと志を向けたのだ。
それでは、彼女はいかにしてカヴァーから自作曲へと歩を進めたのだろうか? 「兄よ!」と彼女は微笑んだ。「兄が無理強いしたの!」 16歳の時、ミュージシャンだった兄テレフは、自分のライヴのわずか2週間前にシグリッドに前座を務めるように誘ったのだ。ただし自作曲を何曲か歌うこと、という条件つきで。彼女の姉がガイド・ヴォーカルを入れてオケを作った「Sun」という曲がそのステージで初めての成功作となり、OSRの毎年恒例のイヴェントでコーラスを手伝ったのと引き換えにスタジオの使用権を得た彼女は、直ちにその曲をレコーディングした。兄の薦めで「Sun」を「BBC Introducing」のノルウェー版といえる番組に投稿したところ、曲が紹介されたばかりでなく、すぐさま注目のアーティストとしてフィーチャーされた。シグリッド初の自作曲は、それを耳にしたマネージャーとレコード会社が相次いで彼女にコンタクトを求め、電話を掛けてくるという、望外な結果をもたらした。もしそれが率直なコメントだったのだとしたら(もちろん彼女はいつも率直だが)さすがの彼女もこの時ばかりは少し怖気づいたようだ。
親友であるオーロラ(Aurora)も所属するノルウェーのインディー・レーベル「Petroleum」からの迅速な契約申し入れを受けて立ったシグリッドは、以後しばらくの間、学業と音楽活動の板挟みに置かれた。「ものすごい速さで物事が進んでいって、驚く程の注目を浴びて、とにかく時間を作ることができなくて大変だったわ。ライヴもできなければ、プロモーションの時間もない。なにしろ歴史の試験を予習しなくちゃいけなかったんだから!」 Petroleumから3枚目のシングルがリリースされるや、たちまち全国放送のリストに組み込まれたが、彼女はといえば、自分が心底やりたいと思うことを突き詰めて思案するようになり、やがて18歳になると(今からわずか2年前のことだが)ノルウェー西岸のベルゲンへと移住し、かの地で急成長中のミュージック・シーンの一端を担うことになった。
その後2年にわたり丹精込めた曲作りを続けたシグリッドは、遂にはアイランド・レコードとの契約にこぎつけ、現在はベルゲンとロンドンを行き来する日々を送っている。彼女はこれまで自らを影響し、育んでくれた音楽たちを拠り所としながらも、少々風変わりなデンマーク人歌手・ムーと、美しい蝶をも惹き寄せる、特別な魅力をもった若きアデルの中間あたりに位置する、輝かしいスペースを獲得する運命にあるように見える。「私にとって常にインスピレーションの鍵となってくれるのは、ただひたすらに、よく出来たポップ・ソングなの」と彼女は言い切る。「ピアノを弾きながら無意識に降りてきたものを歌う、というのが私の理想ね。」
シグリッドのデビュー・シングル「Don’t Kill My Vibe」は、彼女が年上の男性たちと組んで困難な作曲セッションを強いられた経験から生まれた。そう、連中はまさに彼女の心から波動(vive)を奪ってしまったのだ。「彼らから邪魔者扱いされた気分だったわ。私との仕事を面白くないと思っていることははっきりとわかった。でも、かといってあんなに横柄に振舞う必要なんてないでしょう!」 彼女はきっぱりと言い切った。「ママに電話を掛けたら、彼らのところに戻ってベストを尽くしなさい、と言われたわ。」 言われたとおり彼女は最善を尽くし、その取り組みの中で、当時の感情がどんなものだったか、正確に記憶にとどめておくことにした。「よっぽど彼らに面と向かって“そんな振る舞いはありえない”と言ってやろうかと思ったけど、私もそれほど争いごとに向いた性格じゃないしね。そのときは引き下がって、しばらくしてから曲のテーマにしたのよ。」 ありがたいことに、その結果としてMartin Sjølieプロデュースによる、心底クセになる弾けたポップ・チューンが誕生したのだ。遊び心に満ちたメロディー、壮大なコーラス、そして、ここぞとばかりの「ヘイ!」の掛け声も楽しい。
4月7日にリリース予定のシグリッドのデビューEP(タイトル未定)には、リード・トラック「Don’t Kill My Vibe」のほかにも優れた楽曲ばかりが収録されており、それら楽曲を通じて、この早熟なポップスターの輝かしい将来の姿を予見することができる、まるで窓のような作品に仕上がっている。全曲が濃厚な自伝的色合いに彩られているが、これもSjølieによってプロデュースされた「Fake Friends」はとりわけ印象深く、リード・トラックと近しい励ましを与えてくれる内容だ。「Dynamite」は彼女の悲惨な恋愛経験を題材に書かれたパワフルにして心揺さぶるバラードだ(彼女はこの種の曲もじつに上手く歌いこなす)。「Plot Twist」は、その「Dynamite」の曲中において、とある役割を果たした、とある男についての曲だ。彼女のヴォーカルは幅広いダイナミックレンジを見事に駆使しており、そのパワフルでざらついた高音域の輝きは、聴く者に「Hometown Glory」時代のアデルを連想させずにはおかない。
新たに迎えたバンド・メンバーたちとはすでに親友同然の関係を築いているシグリッドだが、今のところ彼らと演奏を共にしたライヴの本数は片手で数えられる程度だ(“The Great Escape”ツアーがイギリスでの最初のコンサートになる予定)。とはいえ、その演奏には風変わりなエネルギーが満ち溢れており、両者が織り成すシナジーは、その共演期間の短さとは裏腹に十分成熟している。「私は挑戦が好きなの」と彼女は笑う。「腕組みをしているお客さんがいる時は、その腕を動かすことができたら私の勝ちだと思っているわ。」
コンピューター・ゲームにのめり込む時間や(「私は『ザ・シムズ』で育った子供なのよ。ぜひともシム語で歌いたいわ!」)、空想のディナー・パーティー(「テイラー・スウィフトの猫を招きたいの」)といった白日夢は別として、シグリッドがさらなる将来に思いを馳せるとき、故郷の隣島のことを思い出さずにはいられない。「私の夢はギスケ島に家を買って猫と暮らすことなの。それは冗談として、みんなを島に招いて曲作りをして、そのまま一緒に自転車でスタジオに行ってレコーディングができたら最高にクールよね。」 だが、その時が来るまで、彼女は必殺のポップ・チューンを世界中に投下すべく、その弾薬庫をフル稼働させることだろう。だからこそ、彼女から波動(vive)を奪ってはいけないのだ。