寺田恵子『PIECE OF MY HEART』
寺田恵子がソロのキャリアをスタートさせてから、来年で25周年を迎える。そのアニバーサリー・イヤーを前に7thソロ・アルバム『PIECE OF MY HEART』を制作した。ソロ作としては実に13年ぶりとなる本作だが、アルバム・タイトルを見てロック・ファンならジャニス・ジョプリンが歌った曲と同名タイトルであることを気付く人も多いだろう。ましてやそれがジャニスをフェイバリット・シンガーの一人としてあげている寺田恵子のソロ作とくれば、思わずニヤリとしてしまうのではないだろうか。だが、当の寺田本人に言わせると、本作の想いを一番的確に表わしたワードがこの<PIECE OF MY HEART>だったというだけで、アルバム・タイトルに関してはジャニスを全く意識していなかったという。つまりそういうことを考えるまでもなく、本作は寺田恵子の中にある幾つかの‟心のカケラ”を嘘偽りなく綴った作品なのだ。
「楽しいことも悲しいことも、ダメなところも弱いところも、社会に対して考えていることとか、今私の中にある想いを全て包み隠さずありのままをさらけ出したいと思ったし、それにふさわしいサウンド…ハードなものやブルースや、バラードやミディアムとか、今自分がやりたい音楽を吐き出したいと思った。そういうふうに寺田恵子の中にある幾つもの‟心の断片”をアルバムで表現したかったの。だから、そのまま素直な気持ちをアルバム・タイトルに込めただけ」
収録曲は、寺田から湧き上がった思いを書き留めた40~50曲のストックから選ばれた曲に加え、レコーディング終了近くで誕生した曲、提供曲、カヴァー曲、そしてSHOW-YAのセルフ・カヴァー曲で構成されている。作家陣は初期の頃からSHOW-YAに作詞提供しているお馴染みの安藤芳彦、SHOW-YA再結成後から作詞を手掛ける森雪之丞、さらに湯川れい子、元NOBODYの相沢行夫、織田哲郎といったSHOW-YAの楽曲に名を連ねた豪華なメンバー。いずれも寺田と接点のある人たちとのセッションである。
「ソロの歴史+SHOW-YAの歴史も私の音楽人としての歴史。その中で関わった人たち…今現在、そして過去にお世話になった方たちと改めて仕事がしたかった。それこそ若かった頃はただ歌が好きなだけで歌そのものがどういうものかわかっていなかったところもあるので、今は少なからずも私自身成長していると思うし、歌を人に伝えるために大切なことをいろいろわかってきているから、そういう方々と再び仕事をした時、果たして自分はどういう表現をするのだろう?という思いがあった。今回、実際に歌ってみて、本当にいろいろ勉強になったと思う」
カヴァー曲は2曲。彼女は以前からソロ活動の一環として行っている弾き語りライブやアコースティック・ライブなどで洋邦問わず様々な楽曲のカヴァーを披露しているということもあって、本作制作前からカヴァー曲を取り上げることはアイディアとしてあったそうだ。その中で寺田自らが強く望んだのは、木村充揮とのデュエットによる憂歌団の「嫌んなった」と、スタッフから熱いリクエストがあったダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「身も心も」。
「「身も心も」は大好きな曲なんだけど、自分がこの歌を歌いきれる自信がなかったので最後まで悩んだ。だけど、寺田恵子だったらこの曲をどうカヴァーするのか?っていうのも、自分がソロでやってきた流れだから、自分がどう表現できるのか興味があったのでトライした」
そんな彼女の‟幾つもの心の断片”をサウンド面で具現化するのを手伝ったのは、寺田と共にサウンド・プロデューサーとして名前を連ねた是永巧一。ギタリストであり、アレンジャーであり、音楽プロデューサーの彼は、過去に寺田の1stソロ・アルバム『BODY&SOUL』(’92年)や寺田によるカルメン・マキ&OZのカヴァーアルバム『悪い夢』(’94年)、その後のソロ・アルバム『END OF THE WORLD』(’96年)などのアレンジを手掛けており、寺田とは良き音楽仲間のひとりである。
「自分が音楽的に影響を受けた60年代、70年代、音楽の世界に入った80年代~90年代、そして現在という流れがあるから、それを踏まえてそういう古き良きものと新しいものを両方知っていて上手くミックスできるのは是ちゃんだなって真っ先に浮かんだ。それに自分でもある程度1曲1曲の音のビジョンが見えていたので、これまで一緒にやってきた経験上、是ちゃんなら私のそのビジョンを理解してひとつひとつの音の世界を積み上げていく作業をスムーズに具現化してくれるんじゃないかと。是ちゃんの感性が好きだし、是ちゃんと一緒に仕事をしているマニピュレーターのHALKIさんの感性も好きなので、彼ら2人の感性が私の今やりたいことにマッチすれば間違いないと思った」
共同プロデューサーの是永と共にプリプロにたっぷりと時間をかけ、音色や音作りに徹底的にこだわった。「1曲1曲、クオリティーを上げていくことしか考えてなかった」そうで、レコーディング後半には作り込みすぎて、「ここまでやる必要性があるんだろうか?という想いがふとよぎったほど」と苦笑する。それぐらい細部に至るまで神経を注いで丁寧に仕上げていったのだ。そして楽曲のテイストに合わせて選ばれた一流のミュージシャンたちが多彩なサウンドを形作った。
「自分のオリジナルにせよ、カヴァー曲にせよ、音楽は時代が変わっても残るべきだし、歌い継がれていかなきゃいけないものだと思う。新しい時代だから新しいものを作らなきゃいけないじゃなくて、自分の中から出てきた曲を一番最適に表現できるアレンジやサウンドを追求すべきだと思っていたから、自ずとその楽曲に合ったサウンドになっていると思う」
それは時代に合わせるとか、売れるために何かをするとか、そんなことはお構いなくただひたすらに自分の音楽を作りたいという純粋な欲求そのもの。ルーツを取り入れ、思考し練り直して自分の音楽として表現する。そこにはSHOW-YAで見せる鋼の女といった強靭で男前のイメージはない。冒頭で記したように寺田の個の心情や感情を彼女の根にある音楽と共に吐き出した、素顔の寺田恵子がいるだけなのだ。寺田は言う。「確かに売れるアルバムを作ろうなんて初めて一切考えなかった。だけど、売れるつもりで作っていないけど、売れたいという気持ちはある(笑)」
「制作中はずっと13年ぶりに出すのだから、今の寺田恵子として恥ずかしくないもの、嘘がないもの、そんなことばかり考えていた。結果的に苦しんで苦しんで生み出している歌になったなって。そういうふうに導かれた歌になっているんじゃないかなと思う。私は歌しか歌えない愚かな人間でもいいかなって。だって私は歌で初めて人生が成り立っているところがあるから」
だからこそ、音楽のジャンル関係なく、彼女の歌に寺田恵子のブルースを感じるのだ。音楽に対する渇望と愛に溢れた本作は、寺田恵子の本質を表出した魂のブルースの結晶だと私は思う。
「ソロで25年やってきて、挫折を経験して歌への熱意も失ったこともあった。だけど、のたれ死んでもいいから見失った自分をもう一度見つめ直すために30代半ばでギターを始めて、自分の武器にした。このアルバムは今まで自分がいろいろと経験したり、勉強したりしてきたものの集大成的なところはある。でも集大成的な作品ではあるけれど、ひとつの通過点でしかないというのも事実。ソロ・アーティストとして寺田恵子の音楽人生の中では、寺田恵子は死ぬまでずっと音楽人だから、その中のひとつの形が今回のアルバムだったということ。「これが私だから」というアルバムになったと思う。本当に我ながら傑作を作ったなって(笑)」
大畑幸子