【幸村の目指したものは】
みなさま、こんにちは。プロデューサーの左衛門佐です。
いよいよ大河ドラマの方もクライマックスが近づいてきました。
私の予想ではいくら三谷さんでもビックリ仰天の結末にはしないのではないかと思っています。
したがって幸村は討死するでしょう (しない方の結末は是非スピンオフで描いてほしいと切に思ってますw)
この連載を始めたころ、幸村が目指したものは何だったのか?をいつか記してみたいと話していましたが、
ようやくその時期がきたようです。
「真田左衛門佐幸村が目指したものは何だったのか?」
この「テーマ」は実に、人間の生き方について純粋なもので、かつ大きなものだと私は考えています。
おそらくは多くの人が心に思うこと、若い頃は強く感じなかったとしても、歳を重ねていき、円熟期、もしくは老齢の域に差し掛かる前に考えることなのでは、と。
幸村は父昌幸から託された「真田の名をあげよ」を当初は強く意識していたと思います。
真田家は兄信之の血筋をもって存続されるので絶えることはないと考えたに違いありません。
が、そうではなく「武」をもって真田の名を日本に知らしめることこそ、父昌幸からの遺言であったと思います。
そして、幸村は見事に大坂冬の陣において「真田丸の戦い」で真田の名を日本全国に知らしめました。
しかし、真田左衛門佐幸村、としてはどうだったのだろう、「私」という自分自身としてはどうなのだろう。
そう自分に問いかけたのでは?と強く思わざるおえません。
「人としてこの世に生を受け何をか為さざらんや」
まさにこの境地に達したのではないか、と考えます。まもなく尽きようとする生命、その刹那の瞬間までに何が自分はできるのか?何をこの世に残せるのか?ということです。
具体的には大局としては負けが決まった大坂の陣で、でも、最後には徳川家康の首級をあげる、この一点に集約されたのだと思います。が、結果的には為しえなかった。幸村は討死した。
が、矛盾かつ皮肉かもしれませんが、為しえなかったからこそ、その一点に向かって突撃し昇華していった幸村の生きざまに後世の人々は感銘を受け感動を覚えたのだと私は思います。
「死ぬまでにいったい何がこの世に残せるのだろうか」
私はいつもこのように考えて日々生きています。そして、この生き方はまさしく幸村から教わったものです。