【上田藩主屋敷跡(現上田高校)】
みなさま、こんにちは。プロデューサーの左衛門佐です。
今日は上田藩主屋敷跡をご紹介します。1600年、関ヶ原の戦いの後、西軍についた真田昌幸、幸村親子は死罪を免れたものの紀州九度山へ配流されます。
その後、父昌幸の所領を継いだのが真田家長兄の真田信之です。彼は父から名づけられた「信幸」の「幸」の文字をこの時期から「之」にあらためています。
徳川家を気遣ってのものでしょう。信之は現在のこの場所に上田藩主屋敷を築きます。その後、時は過ぎ、上田藩主は仙石氏、松平氏と替わっていきますが、屋敷は明治維新まで他の場所へ移転することはありませんでした。
写真にある東側表門は一度、1789年に焼失していますが翌年再築されました。現在はその跡地がほぼ上田高校として存在しています。
表門、土塀、濠などには昔の藩主屋敷だった頃の面影が残っています。
当然のことですが、旧藩主屋敷だった土地で上田高校の生徒たちは勉学、スポーツに励んでいるわけです。
上田高校は吹奏楽部や野球部をはじめ、真田の息吹が感じられる文武両道の名門校です。
部活動のユニフォームやジャージ等にも誇り高き「六文銭」が刻まれています。
上田駅から徒歩約10分で東側表門に着きます。そして、そこから上田城まで約7分。是非、上田市に訪れた際は立ち寄ってみてください。
4月上旬の桜の季節が特におすすめです。