【真田丸】
みなさま、こんにちは。プロデューサーの左衛門佐です。
本日は「真田丸」についてお話ししたいと思います。
「真田丸」は1614年、「大坂冬の陣」の際に真田幸村が大坂城平野口の南に造った出城です。
当初、徳川との戦が始まる前の軍議にて幸村は、西上してくる徳川家康の本陣を奇襲する野戦を献策しましたが、
城方は籠城策を決断。やむなく、平地に面し守りが最も手薄な城の南方に出城を築いたと言われています。
この真田丸は深い堀や柵、鉄砲狭間を設けた本格的なトーチカともいうべき要害でした。父昌幸から受け継いだ
誘引伏撃戦術によって、まずは敵を挑発し真田丸へ攻めかかるように誘い、深い堀や狭間に脚を取られているすきに
砦内からの2段構えの鉄砲射撃により敵を殲滅しました。まさに二度に渡り徳川軍を破った上田城合戦を彷彿とさせる
戦いぶりであり、幸村が初めて指揮を取った実戦での勝利ともいわれています。
この真田丸での徳川軍の戦死者は大坂の陣の戦いのうちの八割にも及んだといわれています。
緒戦を制した幸村の武名は瞬く間に日の本の諸将の間に拡がっていきます。
そして、いよいよ戦国時代最後の戦いといわれた「大坂夏の陣」が始まるのです。