Biography

“ヴォイス・オブ・アメリカ”あるいは“レッド・ロッカー”の異名でも愛される、アメリカン・ハード・ロック・シーンを代表するヴォーカリスト。
1947年10月13日カリフォルニア州サリナス生まれ。高校のときにビートルズやローリング・ストーンズに触発されて音楽に興味を持ち、仲間たちとファビュラス・カスティールズを組んで活動を始める。以降、モバイル・ホーム・ブルース・バンド、ソルト・アンド・ペッパー、ビッグ・バン~ジャスティス・ブラザーズといったローカル・バンドで活動した。

73年にはエドガー・ウインター・グループのギタリストだったロニー・モントローズと出会い、モントローズを結成。同年『ハード・ショック』でレコード・デビューを果たす。
翌74年には『ペイパー・マネー(灼熱の大彗星)』を発表するも、75年2月にバンドから脱退し、ソロ・アーティストとしてキャピトル・レコーズと契約。
『ナイン・オン・ア・テン・スケール』(76年)、『サミー・ヘイガー』(77年)、『ミュージカル・チェアーズ』(77年)、『ストリート・マシーン』(79年)、『バイオレンスの逆襲』(80年)という5枚のオリジナル・アルバムをリリースした(キャピトルにはほかに78年の『オール・ナイト・ロング』、83年の『ライヴ!!』という2枚のライヴ・アルバムを残している)。
その後はゲフィン・レコーズへと移籍して『スタンディング・ハンプトン』(81年)、『スリー・ロック・ボックス』(82年)、『VOA(ヴォイス・オブ・アメリカ)』(84年)を発表。
『VOA』からは全米26位を記録した「非情のハイウェイ55号」のヒットも生まれた。
同じころジャーニーのニール・ショーンらとのプロジェクト・バンドとなるH.S.A.S.(ヘイガー、ショーン・アーロンソン、シュリーヴ)を結成して『炎の饗宴』(84年)を発表して大きな話題を呼んだ。

85年、ヴァン・ヘイレンに2代目ヴォーカリストとして加入。在籍中に発売した『5150』(86年)、『OU812』(88年)、『F@U#C%K』(91年)、『バランス』(95年)の4枚のオリジナル・アルバムすべてを全米1位に送り込むなどして一世を風靡。その間の87年にはソロとして『ヘイガー・USA』も発表した。96年のヴァン・ヘイレン脱退後はソロへと立ち返り、豪華ゲストを迎えた『マーチング・トゥ・マーズ』(97年)をリリースしたのちに自身のグループとなるザ・ワボタリスを編成して『レッド・ヴードゥー』(99年)、『テン・サーティーン』(2000年)、『ノット・4・セール』(02年)といったオリジナル作とライヴ盤『ライヴ・ハレルヤ』(03年)を発売。その傍ら99年にはグレイトフル・デッドのミッキー・ハートとヘイガー/ハート・プロジェクトを組んで「Code War」をデジタル・リリース。02年にはヴァン・ヘイレンの初代ヴォーカリストであるデイヴィッド・リー・ロスとの“サム&デイヴ・ツアー”を敢行するなどの活動も行なった。
また、そのロスとのツアーを終えてからニール・ショーン、ディーン・カストロノヴォ、ヴァン・ヘイレンでの盟友マイケル・アンソニーらとプラネットUSを結成したが、アルバムの発表までには至らずに解散している。翌03年には自身のツアーにおいてモントローズを再結成して注目を集めた。04年にはヴァン・ヘイレンに復帰したものの、新たに取り組んだ3曲の新曲を含むベスト・アルバム『ヴェリー・ベスト・オブ・ヴァン・ヘイレン』に伴うツアー終了後に再び脱退。再びザ・ワボリタスとの活動に戻って『Livin’ It Up!』(06年)、『コズミック・ユニヴァーサル・ファッション』(08年)を発表。さらに08年には、ジョー・サトリアーニ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのチャド・スミス、マイケル・アンソニーらとスーパー・グループのチキンフットを結成し、現在までに『チキンフット』(09年)、『チキンフットⅢ』(11年)とライヴ・アルバム『Chickenfoot:Lv』(12年)の3枚の作品を残している。

 チキンフットの活動休止後はソロとして『サミー・ヘイガー&フレンズ』(13年)、サミー・ヘイガー・ウィズ・ヴィック・ジョンソン名義の『Lite Roast』(14年)をリリースしたあと、ジョンソン、マイケル・アンソニー、ジェイソン・ボーナムらと新バンドのザ・サークルを結成。15年にはライヴ・アルバム『At Your Service』を発表するなど現在も精力的に活動中。
なお、その活躍ぶりは音楽の世界だけにとどまらず、実業家としても成功を収め、クラブの経営やテキーラのブランドなどの事業を幅広く展開中。
10年には自らの半生を振り返った自伝『RED 俺のロック人生 サミー・ヘイガー自伝』も出版されている。