BIOGRAPHY
Rooney / ルーニー
Rooney 10項目!!
1) バンドメンバーは
ネッド・ブロワー:ドラム、バック・ヴォーカル
テイラー・ロック:ギター、バック・ヴォーカル
ロバート・シュワルツマン:ヴォーカル、ギター
ルイ・スティーヴンス:キーボード
マシュー・ウィンター:ベース
2) 7月17日、ルーニーはセカンド・アルバム『コーリング・ザ・ワールド』をリリースする。これは極上のポップ・ロックであり、ビートルズやビーチ・ボーイズが始め、ビッグ・スター、ラズベリーズ、クイーン、E.L.O.、チープ・トリック、カーズ、ジェリー・フィッシュ、ウィーザーといったバンド達がその後を引き継ぎ広めてきたロック・ポップに貢献するアルバムだ。
3) リード・シンガーのロバートは、ロックでありつつ「同時人々をダンスさせる」サウンドを追求した末、『コーリング・ザ・ワールド』に収録された曲を全曲作曲した。
4) 『コーリング・ザ・ワールド』からのファースト・シングルは”ホェン・ディド・ユア・ハート・ゴー・ミッシング?”。一度聴いたら忘れられないコーラスにのって、首を振らずにはいられない曲。このシングルのカラフルなミュージック・ビデオは著名監督ベニー・ブーム(50セント、ミッシー・エリオット)によってロサンゼルス各地で撮影された。午後に起床して、ビーチの家でバーベキュー・パーティをし、クラシック・カーでハリウッドをドライブし、夜はシルヴァー・レイクのクラブで楽しむというルーニーのカリフォルニア・ライフの一日が描かれている。
5) ニュー・アルバムにはファースト・シングルの他に、ミニ・ロック・オペラとも言える”アイ・シュッド・ハヴ・ビーン・アフター・ユー”、シンセサイザーが印象的な信じることを呼びかける曲”ビリーヴ・イン・ミー”、爽やかでメロディアスなサウンドに優しいアドバイスをのせた”ホワット・フォー”、他界したロバートの父に向けた歌詞が胸を打つ”ヘルプ・ミー・ファインド・マイ・ウェイ”などそれぞれに魅力的な曲が収録されている。
6) プロデューサーのジョン・フィールズ(アンドリュー W.K.、スイッチ・フット)がルーニーと共にロサンゼルスでニュー・アルバムのレコーディングを行った。彼はライヴ・テイクと即興の演奏を通して、このバンドの優れたミュージシャンシップを生かすようにした。ラップトップPCで急いでその瞬間を捕らえたこともあった。
7) ルーニーはデビュー・アルバム『ルーニー』を40万枚売り上げ、アメリカのみならずヨーロッパまで広くツアーを行っている。
8) ルーニーは2007年の4月、一ヶ月間に渡って毎週月曜日にロサンゼルスのロキシーでショウを行った。そこで彼らは『コーリング・ザ・ワールド』からの新曲を同郷の熱心なファンに真っ先に披露したのだ。人気コメディアンのアンディ・ディックが毎週司会を務めたこの特別なショウには、週代わりで友人のゲスト・アーティストが登場し、ルーニーと共にカヴァー曲等を披露した。出演したのはファントム・プラネット、ザ・ドナス、ザ・チャピン・シスターズ、ベン・リー、チェリートゥリー・レコーズのレーベル・メイトのザ・フィーリング、そしてスザンナ・ホフス(ちなみにスザンナはバングルスの”ウォーク・ライク・エジプシャン”をルーニーとパフォーマンスした)。月曜夜にもかかわらず、毎週何百人ものファンがつめかけ、全公演満杯になった。
9) ルーニーがデビュー・アルバムをリリースした2002年、メンバーの平均年齢は19歳だった。
10) ルーニーは他のバンド達にも人気で、共にツアーしたいというオファーが後を絶たない。彼らがこれまで一緒にツアーをしたのは、ウィーザー、ストロークス、オール・アメリカン・リジェクツ、トラヴィス、ピート・ヨーン。2007年の5月には、イギリスとヨーロッパでクラブ・ツアーを行い、その後はファーギー(ブラック・アイド・ピーズ)のオープニング・アクトとして全米を回る予定だ。