年代別ストーンズLIVEの目撃者たち:佐藤 晃彦 / JEFF SATO氏

2017.11.30 TOPICS

『オン・エア』発売記念企画
年代別ストーンズLIVEの目撃者たち

 
ストーンズ初のBBC音源作品『オン・エア』の発売を記念して1962年にバンドを結成して以来、2017年の現在に至るまでライヴ活動を続けているストーンズのLIVEの魅力を実際に見ている方々の言葉で語っていただく本企画。

第4回目は佐藤 晃彦 / JEFF SATO氏。
音楽プロデューサー/ギタリスト/新宿レコード・オーナーである佐藤氏が目撃した1981年に行われたアメリカン・ツアーのロサンゼルス公演。
お楽しみください。


佐藤晃彦 / JEFF SATO(1981)

『スティル・ライフ』、映画『レッツ・スペンド・ナイト・トゥギャサー』にも刻まれた1981年アメリカン・ツアー

―1981年のアメリカン・ツアーでご覧になったのは10月9日、11日のロサンゼルス・メモリアル・コロシアムですか。

はいオリンピック会場だったところ、その2日間を観ました。エアー、ホテル、チケットなどのツアーを組んでくれるという人がいたんです。初日は夕方からでしたが、2日目は少し早く、昼間から始まりました。何しろオープニング・アクトが凄いんですよ。最初はデビューしたばかりで人気がまだなかったプリンスで30分くらいやりましたね。2日目の彼は観客からコップを投げられて、途中で引っ込められちゃったんですが(当時のストーンズ・ファンからは受け入られなかった)。次がジョージ・ソログッド&デストロイヤーズで1時間くらい。これがまたよかったんですよ。次が「堕ちた天使」のヒットで人気が絶頂になりかけていたJ.ガイルズ・バンドで、90分くらい、オープニング・アクトなのにアンコールもやっていましたよ。

―それだけでもお腹いっぱいですね。

もう、フェスティヴァルみたいな雰囲気ですよね(笑)。それで、10万人が自由席だったんです。だから、入場の際に列の最後尾を探すだけでも1時間くらいかかったんですよ。いまの日本のフェスみたいに整備されていないんで、実に適当ですよね、あのころのコンサートは。トイレもなかなか見つからないし、フィールドには椅子もない状況で、そこで6時間くらいライヴをやってるわけですよ。あの映画『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』(83年公開)でもわかるように、ストーンズも2時間半近くライヴをやったのでかなりの長時間でした。帰りも車を見つけるのにものすごく時間かかりました(笑)。当時はその規模に圧倒されましたね。

―ステージで印象に残ってらっしゃることは。

いまみたいにネットなどで事前に曲目の情報も知らずに行ったので、何をやるかまったくわからなかったんです。特にツアーの序盤でもありましたし。それで、「アンダー・マイ・サム」や「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」など古い曲をやったでしょう、驚きました。それと、キースが(それまでとは違って)かなり健全になった感じを受けました。“このひとたち、ステージでこんなに動き回るんだ”っていうのが最初に受けた感覚でしたね。ミックもスポーティーな格好で走り回っていましたし。もっとルーズで暗い感じのショウを想像していたので、思っていたよりもかなりアクティヴだったんです。だから、それまで思っていた印象とは全然違うバンドに見えましたね。ステージもすごく広くて。曲も30曲近く続けざまにやるんで、すごくバンドが健康的になったなって思いましたね。(古い曲もある)意表を突く選曲でもあったのと、とにかくとても興奮していたので、終わってからは“あれ、何の曲をやったんだったかな?”という状態にさえなりました。キースが一番好きだったんですが、当時はあれほどまでにステージ・アクションがカッコイイとは思ってなかったです。やっぱり、あのツアーのころからでしょうか、立ち位置変えずに弾いているだけじゃなくて、ソロになると前に出てきたり、素肌にベストを着るようなシンプルで真似したくなるようなファッションになっていたり、とにかく魅せられましたね。それと、日本ではいろいろなコンサートを観ていましたけど、決してよい音とは言えないライヴが多かったんです。しかし、あのコンサートの音はすごくよかったんですよ。ライヴであんなに全員の音がクリアに聴こえたのは初めてでした。野外だったので、室内だったらまた違ったのかもしれませんが、じっくり聴けました。それでいてアメリカではこんなに馬鹿騒ぎしてコンサートを観るんだな、っていう面も知ったんですけど(笑)。「ミス・ユー」などは、フィールドのうしろはディスコ状態でした。それとあのツアーから曲目が増えてステージングも大規模なものになりましたよね。とにかくたくさんの曲を演奏するなって思いました。確か初日のアンコールが「サティスファクション」で、2日目が「ストリート・ファイティング・マン」だったと思います。

忌野清志郎も観た、81年のストーンズの強烈なエネルギー

―ほかにエピソードとしては。

Tシャツ屋がすごいというのをあのとき初めて知りました。Tシャツだけじゃなく、グッズをこんなに売ってるんだということに驚いたんです。日本ではプログラムくらいしか売ってなかったですからね。実は知人の紹介で忌野清志郎さんからギターを譲ってもらったことがあって(61年のフェンダー・ストラトキャスター)、一応顔見知りで同じ日のコンサートを観たんですが、彼はTシャツを山ほど買っていましたよ(笑)。“一体、どれだけ買ったんだ”っていうくらいありました。バンドのメンバーとかへのお土産だったと思うんですが、このときはたまたま、清志郎のマネージャーの方とも知り合いで“今度、ストーンズをアメリカに観に行くんだ”って話したら、丁度“清志郎も行く”と聞いたんです。そうしたら結局、確かホテルも同じでした、当時、音楽業界の日本人がよく利用したマンション・タイプのところでした。そう言うぼくも『刺青の男』柄のTシャツやプログラムも買ったし、すっかりキース・リチャーズになりきって帰ってきました(笑)。もう、感化されちゃって。いまは有名な楽器屋になりましたが、ノーマンズ・レア・ギターズという小さなお店で、テレキャスターも買ってきたんですよ(笑)。ステージでは5弦ギターとして弾いていたやつと同じカラーの。それと当時は日本で8,000円くらいしたジャックダニエルを半ダース買ったら、お土産を買うお金がなくなっちゃいましたけど(笑)。

―強烈な刺激を受けたんですね。

いまだったらまた違うと思うんですが、当時、日本ではあんな派手な仕掛けのコンサートはなかったです。無数の風船を飛ばしたり、あれほどセットが凝ってるコンサートは観たことがなかったですからね。巨大なステージで、せり出しがあるところとか。彼らは当時、30代後半でまだ若いんですけど、ぼくからしたら(ロックをやるには)もう結構、歳だと思っていました(笑)。ロックはまだ歴史が浅かったから、ロック・ミュージシャンが30歳過ぎたらどうするんだろう、と思っていたんです。それが、まさか74歳になってもステージをやっているとは思ってもみなかったですね。でも、あのコンサートでは“こんなに動き回って、どれだけ元気なんだ!”ってびっくりしました。“まだまだ、いけるな”って思いましたよ。本当は、73年に来てくれていれば……という思いもありますけどね。ちなみにあのときは、5日間(73年1月28日~31日、2月1日)ともチケット買ってたんですよ。いまも1枚だけ残してあります(笑)。73年だったらミック・テイラーもいて、あの全盛期と呼ばれた時に観られたわけだから、また違ったとは思うんですけどね。81年のあとはミックとキースの確執もあって、89年まで何もやらなかったでしょう。89年も(90年に)日本に来る半年くらい前にアメリカに観に行ったんですけど、機材やサポート・ミュージシャンが凄くテクニカルになったり、キーボードをふたり入れて。「2000光年のかなたに」などでも顕著でしたが、コンピュータを使ったりしたので“また随分違うサウンドになっちゃったな”と思いましたから、バンドっぽさが強かった81年のライヴを観られてよかったですよね。

10万人を向こうにした生のストーンズの迫力

―81年はやっぱりすごかったですか。

自分の頭のなかでは初来日以降はイメージ的に一緒なんです。そこまでのストーンズは、ものすごく変化してきたけど、以降はそんなに大きくは変わっていない。その後も東京公演はすべて見ていて〈ヴードゥー・ラウンジ・ツアー〉のころは、少しテクニカルな部分が減ってバンドっぽさが出てきた、といったような小さい変化は感じとれるんですけど、やっぱり、81年の印象はそれらとはまったく違います。生の演奏をしている感じがとても強いですね。キーボードはイアン・マクレガンとイアン・スチュワートだったんですが、それもただのハモンド(・オルガン)とピアノだけなので機械的な感じはしなくて。それにアーニー・ワッツのサックスが絡むだけでしたからね。それから、演奏がやたら走ってる感じがしましたね。レコードよりもすごく早く演奏して、どんどんイっちゃってる感じでした。そのなかでは特に「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」には感動しましたね。子供(11~2歳くらい)のころ聴いていたGSやザ・タイガースとかやっていて知った曲でもあったので。当時はGSからストーンズを知ったんですよ、「サティスファクション」をみんなカヴァーしていたり。それで雑誌で写真を見たらいつも真ん中に金髪でカッコいいひとがいるなって思っていたんですが、それがブライアン・ジョーンズでした。ぼくは小学校6年のときにギターを手にしました。それと同時期にストーンズを聴き始めています。まさかそれから50年も弾き続けて、聴き続けているとは思わなかったですね(笑)。だからいま考えれば、無理して81年を観ておいてよかったです、それより前は為替も高く金銭的に無理でしたからね(笑)。古ければよいというわけではありませんが、やはり特別です。初めて行ったアメリカで、初めて観たストーンズ。しかも10万人の規模で、周りはほぼアメリカ人というなかで観たということは、いまでも心に残っています。