BIOGRAPHY
Roland Gift
ザ・ビート(アメリカではザ・イングリッシュ・ビート)が1983年に解散し、メンバーだったギターリスト、デイヴ・コックス とベーシスト、デイヴィッド・スティールはザ・ビーツのルーツ・ミュージックであるスカにジャズとソウルを加えて新しい音楽を創造したいという意欲に駆り立てられる。バンドの顔であるシンガーを求めて何百人とオーディションするが、彼らが求めているシンガーはなかなか見付からない。そこで、コックスとスティールはザ・ビートをかつてサポートしていたバンドのシンガー達から捜し出すことを決めた。バーを主に活動の場とするザ・ボーンズというR&Bバンドのシンガー、ローランド・ギフトと出会った。シドニー・ポワチエ似だがオーティス・レディングのように歌う存在感のあるシンガーだった。彼こそがコックスとスティールが正に捜し求めていたシンガーだった。ギフトはパンク・ミュージックの出現まで、十代を劇団で過ごし俳優を目指していた。当にパンク・ミュージックがマッドネスのようなツートン・スカ・ミュージック・バンド、もちろんザ・ビートにチャンスをもたらした時でもあった。
1985年にこの3人によってファイン・ヤング・カニバルズは結成される。同年1stアルバム『ファイン・ヤング・カニバルズ』をIRSよりリリース。「ジョニー・カムズ・ホーム」、「サスピシャス・マインド」(エルビス・プレスリーのカヴァー)などのスマッシュ・ヒットが生まれる。1stアルバムから4年後、彼らをスターダムに押し上げる2ndアルバムであり最後のオリジナル・アルバムとなってしまう『ザ・ロー&ザ・クックド』をリリース。「シー・ドライヴス・ミー・クレイジー」は全米No.1に輝く!このシングルのメガ・ヒットを受けてアルバムは全米、全英No.1を獲得。日本においても「シー・ドライヴス・ミー・クレイジー」は某大手自動車メーカーのCMにも使用されるなど話題の楽曲となった。続いて「グッド・シング」もヒット。この時がファイン・ヤング・カニバルズの絶頂期であった。1990年、リミックスに力を入れていたバンドは大ヒット・アルバムのリミックス・アルバム『ザ・ロー&ザ・リミックス』。その後、バンドとしての活動は停止状態に。1996年に正式に解散が発表され、その直後にベスト・アルバム『ファイネスト~ベスト・オブ・ファイン・ヤング・カニバルズ』がリリースになりファイン・ヤング・カニバルズの幕は静に下ろされた。
解散後、ギフトは彼が十代の頃から夢見ていた俳優としての活動、そしてミュージカルのスコアを手掛けるなど活躍の場を広げていく。(アルバム制作に入ってからもミッチー・グリーソン監督による”The
Island of the Mapmaker1s
Wife”に出演するために時間を割いている。)アクター、ミュージカルのスコア・メイカーとして活躍していたギフトは自分が用意した新作の為の楽曲が世間から受け入れられなければシンガーとしてのキャリアに終止符を打つつもりだった。彼の不安を余所に新作をオーディエンスの前で披露すると喝采と共に彼の復帰は迎えられたのだった。2002年春、あの声が戻ってくる。