BIOGRAPHY
ロビー・ロバートソン / Robbie Robertson
いまや60年にもおよぶキャリアを誇る、カナダが生んだ偉大なるシンガー・ソングライター/音楽プロデューサー。14歳の夏にトロント郊外とオンタリオ湖の湖岸で開かれたカナダ国立展示会を廻った巡回見世物小屋でのアシスタントを経験したのち、友人のピート“サンパー”トレイナーとロビー&ザ・リズム・コーズを結成して音楽活動を始める。その後はロビー&ザ・ロボッツ、リトル・シーザー&ザ・コンスルズ、サンパー&ザ・トランボンズといったバンドで活動を行ない、1958年にロニー・ホーキンスのバック・バンドであるザ・ホークスに加入。しばらくしてホーキンスと分かれたザ・ホークスは65年からボブ・ディランのサポートを務め、ツアーだけでなくレコーデイングにも参加。68年にはその名をザ・バンドとあらためて『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』でデビューを飾る。以降、バンドのギタリスト兼メイン・ソングライターとしてアメリカン・ロック・シーンはおろか世界中に多大なる影響を与えた。
76年11月24日にサンフランシスコのウインターランドで開催されたザ・バンドの解散コンサートを終えてひとりになった彼は、ニール・ダイアモンドやバンド・メイトだったリック・ダンコ、リヴォン・ヘルム&ザ・RCOオールスターズ、リビー・タイタスらの作品にギタリスト、プロデューサーとして参加。78年にザ・バンドの映画『ラスト・ワルツ』のプロデュースを行なったことをきっかけに映画の世界にも足を踏み入れ、80年公開の映画『カーニー』の企画制作、脚本、主演、音楽を担当。この作品は、巡回見世物小屋での思い出を描いたものだった。同年にはマーティン・スコセッシ監督の『レイジング・ブル』で音楽監督を務め、それからは音楽とともに映画との関わりを軸に活動を進め、『キング・オブ・コメディ』(83年)、『ハスラー2(The Color of Money)』(86年)といった作品でも音楽制作を行なう。
86年6月、ソロ・アーティストとしてゲフィン・レコーズと契約。翌87年10月にダニエル・ラノワとの共同プロデュースによる『ロビー・ロバートソン』を発表した。U2やピーター・ガブリエルらが協力したこのアルバムは全米チャート最高位35位/全英23位を記録し、ゴールド・ディスクを獲得。89年の第31回グラミー賞で最優秀男性ロック・ヴォーカリスト賞にノミネートされたほか同年のジュノー賞において、年間最優秀アルバム賞および年間最優秀プロデューサー賞、年間最優秀男性ヴォーカリスト賞を受賞した。この年には坂本龍一の『ビューティー』にも客演している。
91年9月には、ソロ第2弾となる『ストーリーヴィル』をリリース。ニューオーリンズ音楽からの影響を露わにした作品では、ミーターズやアーロンとアイヴァンのネヴィル親子、リバース・ブラス・バンドといったニューオーリンズのミュージシャンに加えて、ザ・バンドのメンバーだったリック・ダンコとガース・ハドソンやブルース・ホイーンズビー、ニール・ヤング、ジンジャー・ベイカーらがアシスト。全米69位/全英30位に送り込んだ。アルバムは各方面から高い評価を得て、92年の第34回グラミー賞では最優秀ソロ・ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞と最優秀アルバム技術賞にノミネートされもした。
93年にキャピトル・レコーズへと移籍。94年10月にアメリカPBS制作のテレビ・ドキュメンタリー『The Native Americans』のサウンドトラックとしてロビー・ロバートソン&ザ・レッド・ロード・アンサンブル名義となる『ネイティヴ・アメリカン(Music For The Native Americans)』を発売。自身のルーツであるアメリカ先住民の音楽に正面から対峙した作品として話題を呼んだ。アメリカでの成績は149位に止まったものの、95年のジュノー賞で年間最優秀プロデューサー賞の栄誉に輝いた。
98年3月、ソロ4作目となる『コンタクト・フロム・ジ・アンダーワールド・オブ・レッド・ボーイ』をリリース。アメリカ議会図書館に残されていたリア・ヒックス・マニングの録音をサンプリングした「サウンド・イズ・フェイディング」を始め、民族運動家で政治犯として収監されているレナード・ペルティエからの電話の声を使用した「サクリファイス」など、前作に続いてアメリカ先住民の問題を取りあげるなかハウィー・B、マリウス・デ・ヴライスらを共同プロデューサーに迎えたことでエレクトロニカなサウンド・プロダクションを導入。その実験的で斬新な切り口が話題を呼んだ。なお、ソロとなってからはライヴ・パフォーマンスをしなくなっていた彼だが、収録曲の「ストンプ・ダンス(ユニティ)」は2002年のソルトレイクシティ冬期オリンピックの開会式で披露されている。このアルバムは、98年のジュノー賞で年間最優秀アボリジナル・レコーディング賞に選ばれるとともに同年のネイティブ・アメリカン・ミュージック・アワードにて特別功労賞を授かっている。
この間の89年にはザ・バンドのメンバーとしてカナダ音楽の殿堂入りを果たし、94年には同じくロックの殿堂にも選出された。97年、ナショナル・アカデミー・オブ・ソングライターから生涯功労賞を贈られ、03年には個人としてオンタリオのクイーン大学の名誉学位を授与されると同時にカナダのナショナル・アボリジナル・アーカイヴメント・アワーズで特別功労賞を受賞。カナダのウォーク・オブ・フェイムにもその名が刻まれることになった。さらに05年にヨーク大学から名誉博士号を与えられ、翌06年には長年の功績が認められて彼はカナダのパフォーミング・アーツ・アワードで最高の栄誉であるパフォーミングアーツ賞に輝き、08年にはザ・バンドとともにグラミー賞特別功労賞を受けている。また、00年からはドリーム・ワークス・レコーズのクリエイティヴ・エグゼクティヴの任に就き、映画関連のさまざまなプロジェクトに取り組みながら新たな才能の発掘にも尽力を注ぎ、このころから始まったザ・バンドのリイシュー・プロジェクトのスーパーヴァイザーも務めている。
11年4月には前作から13年ぶり、通算5作目となる『ハウ・トゥ・ビカム・クレアヴォヤント』を発表。エリック・クラプトン、トレンド・レズナー、スティーヴ・ウィンウッド、トム・モレロらがゲストとして加わったこのアルバムは、全米13位というキャリア・ハイの数字を叩きだし、イギリスでも『ストーリーヴィル』以来のチャート入りを果たして56位にランク・インするヒット作となった。その年の5月27日にはカナダ総督のデヴィッド・ジョンソンからカナダ勲章を授けられ、カナダのソングライターズの殿堂入りも決定。14年にはザ・バンドの一員としてもカナダのウォーク・オブ・フェイムに入っている。
そして16年、自叙伝『ロビー・ ロバートソン自伝/ザ・バンドの青春(Testimony)』が発売されてベストセラーを記録するとともに、同年11月にはロニー・ホーキンスやボブ・ディランと共演した際の音源も含めたそれまでのキャリアを包括するアンソロジー『Testimony』をリリース。
19年9月には、その自叙伝に基づいたドキュメンタリー・フィルム『ワンス・ワー・ブラザーズ:ロビー・ロバートソン・アンド・ザ・バンド』と自身がスコアを手がけたマーティン・スコセッシ監督の最新作『アイリッシュマン』からインスピレーションを得たニュー・アルバムの『シネマティック』が発表されることが決まっている。彼の音楽人生はこれからも続いていく。