Biography

リッチー・サンボラのニュー・アルバムを聴き始める前に靴を履こう。もし素足のままでいるならくれぐれも気をつけて。床にばらまかれているガラスの破片(=彼に対して抱いている印象)に足の裏を切り刻まれるかもしれないから。

 

〜ここでPLAYボタンをプッシュ〜

 

さて、私は物事を野球に例えるのが好きだ。このバイオグラフィでもたびたび出てくるだろうが、アメリカン・ヒーローを語るには最も適していると思う。選手はどんなに傷ついても戦いに挑み、何があっても毎日芝の上に立つ。まさに、ニュージャージー州パース・アンボイ出身リッチー・サンボラに相応しいと思わないか。

 

〜そろそろ “Burn That Candle Down” の最初のサビにさしかかる〜

 

昨年9月彼は立ち上がり、バットで右足を軽く叩いた。続いて左足も。ホームベースに覆いかぶさり待つ姿は、52歳と聞いて想像するよりはるかにいい感じだ。ピッチャーの目をまっすぐ見ると、初球で思いきりバットを振り抜いた。ボールは芯をとらえ、ぐゎしーーーんと激しい打音は半マイル先まで四方に散っていった。

 

『AFTERMATH OF THE LOWDOWN』はまさにホームランの快音だ。そしてせっせと仕事に励む男の音でもある。おそらく多くが思っている以上に、彼はデキる男なのだ。オープニング・ナンバー”Burn That Candle Down”がスピーカーから流れてきた瞬間からきっとあなたは思うだろう。これがリッチー・サンボラのアルバム? 予想と違うな、と。もちろんそれは、そもそもソロ・アルバムを出すと予想していたならば、だ。

 

時にアメリカン・ヒーローは奇妙な存在だ。どうも我々アメリカ人は、まずはヒーローに挫折して欲しいと願う傾向にある。さんざん痛めつけられドロドロになったあげく、最後に立ち上がり我々をあっと言わせる。リッチー・サンボラもそんなキャラクターのひとりだ。自分は公衆の面前で大人になっていったからね、と言う。「赤ん坊の頃の写真まで世界中の新聞に載った」。そして彼ほどどん底を見た人間は、逆にそれをインスピレーションの元として受け取める。ニュージャージー訛りの口癖は「だから何をどうしろってんだー」。たしかにその通り。

 

しかし彼は音楽を通じ謙虚に変化し、何かをどうにかしてしまった。その何かこそが、今あなたが手にしている作品だ。

 

「ここにあるのは事実、そして内情。真相(=lowdown)を語ると必ず余波(=aftermath)がついてくる。この10年は良いことも悪いことも合わせて本当にいろんなことがあった。個人的なことも、吐き出してしまえばカタルシスになる。どれも、誰に起きてもおかしくないことばかり。と同時に、僕は世界最大級のコンサートを行うバンドの一員であり、四六時中世間の目にさらされている」

 

〜そろそろ曲について話そう〜

 

怒りを吐き出すような”Burn That Candle Down”でアルバムは幕を開けるが、次の”Every Road Leads Home To You”は一転、メロディックな虹のよう。この曲を聴けば、彼がソングライターの殿堂の一員であることを改めて思い出す。そして2番のサビに入る頃には、リスナーは強烈な印象を受ける。リッチーが本気で歌っている! なんて声だろう。もちろんボン・ジョヴィの楽曲でも彼の声は常に出たり入ったりしているが、ここでは自信に満ち、威厳があり、なによりアツい。彼はボン・ジョヴィがポップであることを承知し、ジョンや仲間たちとの仕事を大いに誇りに思っている。彼がそれ以上に嬉しそうな顔をするのは家族の話をする時だけだ。とは言え、世界一のツアー・バンドで身を立てている人間でさえ、代わりとなる道を敷きたいものなのだ。

 

〜ルーツに戻るということ〜

 

そう、リッチーにはルーツがある。80年代初めにインディーズ・レーベルを立ち上げ、仲間のバンドのために、曲を出したり、アメリカ北東部のカレッジ・ラジオに売り込んだり、ニュージャージー界隈のクラブで出演交渉をしたりした。リッチーはそういう奴だ。あの笑顔と寛大なハートで人助けする。地元の顔。このアルバムにもあるように、リッチー・サンボラという男は経験と声と夢と希望でできている。相手の目を見ながら、少し頭をかしげて奥深くまで探ろうとする。様々な体験談を記憶しておもしろおかしく語るから、彼のテーブルは常に笑いにあふれている。そして本人に会うと、商売道具である手と、前腕の太さに目を奪われる。まるで野球バットのようだ。もし1983年にジョン・ボン・ジョヴィというイカした青年に出会わなければ、おそらくジャージーの波止場で荷下ろしの仕事にでも就いていただろう。

 

働き者のブルーカラーと、組合のアンセムと、歴史ある遊歩道で有名なニュージャージーはアメリカの中のアメリカと呼べる地域だ。俗名”ガーデン・ステート”出身者はバランス感覚に富み(=両肩に不満を乗せているから)、この州生まれのアーティストには強者が多い。フランク(シナトラ)、フランキー(ヴァリ)、ブルース(スプリングスティーン)、そしてジョンとリッチーも。ニュージャージーはまた、長年に渡ってレス・ポール氏の居住地だった。そう、エレクトリック・ギターとマルチトラック・レコーディングの発案者。リッチーとは長い付き合いで、よくマーワーという小さな町にあるポールの自宅でお喋りをしていた。自らを、卒業のない音楽学校の生徒と呼ぶリッチーにとって、ポールと過ごす時間はまさに最上級のクラスだった。『AFTERMATH』を楽曲のコレクションと呼ぶならば、その一部が、レス・ポールに影響された人生を反映していると言っても過言ではない。

 

そんな生徒が作ったアルバムは生命力と自己表現の追求である。名声など二の次だ。とは言え、彼が歌う11曲分の言葉からは、世界中の音楽チャートを席巻し、通算11枚のアルバムで1億3000万枚を売ってきた男の日常が垣間見られる。『AFTERMATH OF THE LOWDOWN』は、言わば、そんなスポットライトから一歩引くための手段。何故この作品を作ったのかと問われると、まるで吐き出すかように答えた。「作るなって方が無理じゃない?」

 

アーティストにとって最大の喜びは同業者から認められること。リッチーにとって同業者とはソングライター仲間たち。彼らは数年前、リッチーの首にソングライターの殿堂の紋章が彫られた名誉のメダルをかけた。このアルバムは、そんな仲間たちへの感謝のうなずきだ。これら11曲は、彼がしっかり自らの足で立っていることを証明する。ツアーですり切れた指先や野球バットのような腕が作り出した作品。故郷パース・アンボイからどんなに遠くまで旅しようと、リッチーは決して初心を忘れてはいない。

 

ボン・ジョヴィの歌にもあるように、リッチーは数限りない人々の顔を見て、すべての人をロックしてきた。3500万枚ものチケットを売った人間なら、いい加減リラックスして、高級車を買い、太陽の下に寝そべって、時々、ちょっとしたトラブルに巻き込まれるというのがパターンだろう。もちろんリッチーだって、ご多分にもれず、以上のことをすべて、場合によってはやりすぎなほどやってきた。しかし今回ボン・ジョヴィの記録破りなツアーが終わった後、彼は長年の相棒ルーク・エビンに連絡を取った。さっそく二人で書いた曲は”Every Road Leads Home To You”になり、それは言ってしまえば、バンドのキャリアを確立させるに十分な楽曲だった。ちょっとした午後の戯れのつもりが、気がつけば、来る日も来る日も作業は続き、曲を書きたくてウズウズしていた気持ちは次第に日常的追求となった。しばらく前にスーパーマーケットのレジ横の棚に置かれた素晴らしい雑誌たちを賑わせた”依存症”はやがて音楽への執着に変わり、ありがたいことに、この執着は生産性が高く、留置所で過ごす夜ではなく楽曲の山を手に入れた。そして追い風に乗ったリッチーは、ちょっと音を出してみないか、と数人に声をかけた。

 

やってきたのはドラマーのアーロン・スターリング、ベーシストのカート・シュナイダー、ピアノ/オルガン奏者マット・ロリングス、ポール・マッカートニーのギタリスト、ラスティ・アンダーソン、そしてベック・バンドの一員、ロジャー・ジョセフ・マニングJr.もヴィンテージ機材をトラックいっぱい積んで現れた。いよいよ出発進行だ。

 

基本的に、このアルバムで聞こえてくるのは彼らのジャム・セッションである。一堂に会したミュージシャンが共に陶酔していく様子。リッチーがコード・チェンジを叫んだり、ドラマーに変化を指示する中、コントロール・ルームでルーク・エビンが録音ボタンを押す。そこに決めゴトはいっさいない。生々しさと真のミュージシャンシップのみ。リッチーはまるでホコリを蹴り上げて、オープン・リール・テープに貼り付けていくかのよう。これは重要なポイントだ。いや、私がそう思ったからじゃない。実際”Nowadays”を聞いてみて欲しい。きっと耳を通りすぎる瞬間、空気中の微粒子までも感じられるはずだ。

 

“Sugar Daddy”は、ぼんやりしたベースラインとしなやかなギターが中心の張りつめたスケッチ。恋愛関係における親密性とその回避について、大胆すぎるほど正直に吐露する。「君のために言うけど、もう俺のことはかまわないほうがいい」「俺の心を和ませようったって時間の無駄/どうせ見込みなんてないんだし/手に入るとしたら金だけさ」。自画像を描く機会を得ても、ほとんどの男はパレットから”正直さ”を省くだろう。しかしリッチーは、ギリギリの所からポストカードを送ってくる。

 

『AFTERMATH』はそんなポストカードの寄せ集めだ。心から飛び出たリフはそのままフレットボードへ。アイディアをiPhoneに録音したら、早くLAの仲間に聞かせたくてたまらない。台北の真ん中でいきなりフレーズが浮かび、消えてしまう前にメモを取る。突然地元の友達と話したくてなって電話を取る。相手は旧友ルーク・エビン(ボン・ジョヴィの『クラッシュ』や『バウンス』もコ・プロデュース)と、A&R担当のフィル・カッセンズ。彼らと共に、曲作りと励ましと思案の作業に取りかかる。

 

長年エルトン・ジョンの共作者バーニー・トーピンのファンであるリッチーは、”Weathering The Storm”でコラボレートできたことが何より光栄だったという。「彼と出会って、つるんで、じっくりディナーして、深い話しをした。そしてあの歌詞をもらったとたん、僕自身と人生に直に繋がった。あの手の曲作りは初めてだった。歌詞を渡されて”いけ!”って言われたのは。けど1時間半で曲を書いた。最高だったよ。そして大変名誉なことだ」

 

〜救いの手は近くの仲間たちから〜

 

“You Can Only Get So High”は、リハビリ施設から出た直後にカッセンズと書いた。カッセンズはリッチーを助けられるかもしれないと、私生活の奥深くまで掘り下げたって失うものはないんだよ、と提案した。するとリッチーは投げられた餌に食いつき、赤裸々な歌詞のポラロイドをテーブルに撒きちらした。背後で流れるのは、ホテルの隣の部屋から漏れ聞こえるひそひそ声のような、もやがかかったピアノの音色。「人生はひとつの長いアフターパーティー/長居しすぎたみたいだ/楽しい時は何度も同じ物語が繰り返されるが/請求書がどう払われてるかなんて誰も語ろうとはしない」。リッチー側から見たストーリー。何かと書き立てたタブロイド紙へのサウンドトラック。事後分析ではあまり楽しそうに聞こえないが、最高のロックンロールのネタではある。腹にケリを入れられたようなインパクト。LAで尊敬されているインディーズ・レーベル、デンジャーバード・レコード(Silversun PickupsやFitz and The Tantrumsなどが所属)のジェフ・カステラスも初めて聴いた時から打ちのめされ、即座にチーム・リッチーに加わった。

 

仕事がら、家から6000マイル離れて何ヶ月も帰れない時、人は慣れ親しみを切望するようになる。だからこそ多くがツアー中に飲み騒ぐ。酒はどの町に行っても酒。慣れ親しんだもの。しかし、10代の娘の姿や声を恋しがる父親の、からっぽの腕を埋められる物質はない。14歳の娘エイヴァを語る時のリッチーは、保護者、崇拝者、そしてファンと化す。”I’ll Always Walk Beside You”は父親から娘へ感謝を込めたオープン・レターだ。アルバムで最後に書かれた曲。タイトルの由来は、大切にしている二人の写真に書かれた言葉にあるという。

 

「エイヴァと歩いている時に撮った写真がある。後ろ姿しか見えないんだけど、その言葉を彼女に向かって書いた。この10年、山も谷もあったけど、ずっと歩いて来れたのは彼女のおかげ。僕のすごく重要な一部なんだ。一方では、誰かが自分の彼女について歌っている歌とも言えるし、ウェディング・ソングにもなりうる。そうやって歌は届けられていくんだ。誰かが歌詞に共感して、”それって俺の人生にも当てはまる”と言ってくれることでね」

 

ところで、この英雄についてひとつ言い忘れてたことがある。それは謙虚さだ。アメリカンなストーリーがエンディングを迎える前には、できれば殴り合いでもして、激しく闘って、再生した上、謙虚でいて欲しい。「そうそう、それも俺の人生さ」なんてね。理想的なキメゼリフだろう。

 

こうして生まれた『AFTERMATH OF THE LOWDOWN』。英雄、生徒、仲間。挿話にスナップ写真、欠点からリフまで詰まった11曲、45分。「これまでの作品の中で一番気に入っている。ミュージシャン人生の中で、最も達成感あふれる美しい経験だった」

 

今まで聴いたことのないリッチー・サンボラを、どうぞ。