教えてポール!『ワイド・プレイリー』
ポール・マッカートニーの公式サイト”PaulMcCartney.com”の「教えてポール!」で8月2日に再発売されたリンダ・マッカートニーの『ワイド・プレイリー』について、ポール自身が質問に答えた内容を翻訳して紹介します!
▼PaulMcCartney.com掲載ページ(英文)
https://www.paulmccartney.com/news-blogs/news/you-gave-me-the-answer-wide-prairie
今回、イギリスで初開催となるリンダ・マッカートニーの回顧展が、グラスゴーのケルヴィングローヴ美術館・博物館で開催されることを記念して(開催の詳細は こちら )、ポールはリンダの『ワイド・プレイリー』アルバムをリマスターしてリイシューすることにしました。このレコードは、1970年代始めから90年代終わりまでにリンダが録音した音源を集めたもので、彼女が初期に影響を受けた音楽から、有名な動物保護活動まで、リンダの人生の様々な側面を知ることができる素晴らしい内容のアルバムです。
『ワイド・プレイリー』をリリースすることは悲しかったのではないですか? それとも、このアルバムをリンダと彼女の音楽を讃えるものだという見方をしていますか?
リンダは亡くなったから、そういう意味では悲しいよ。でも、作っていたときは悲しくなかった。そこには元気な彼女がいたし、楽しい思い出がたくさんあったから。もちろん寂しい気持ちはあったけれど、実際のレコードは楽しいものになっている。出会ったときに、彼女が少しだけ歌ったことがあるという話を聞いた。彼女の大学時代の話を聞いて、あれ、それとも高校時代だったかな、どっちかよく覚えていないけれど、確か、いわゆるグリー・クラブのような合唱クラブにいたとか言っていた。学校の聖歌隊ではなく、もう少しゆるい感じのものだったようだね。そして響きがいいからと、よく鐘楼の下に座って歌っていたらしい。皆で集まって当時のヒット曲とかを歌って楽しんでいたと言っていた。彼女が歌っていたなんて、面白いなと思ったよ。だからウイングスを結成したときに“歌ってみる?”と聞いたら、彼女は“うん!”と答えたよ。
これも楽しもうという気持ちでやったことさ。僕の場合、いつもこの“楽しもう”という精神がちょくちょく顔を出す。自分でも“もっと真面目にやったほうがいいかな?”とか思ったこともあるけれど、その思いに対して“そうだね!”と答えたことは一度もない。いつも、“いや、なぜ今更? 今からそんなことしても、もう遅いだろう!”と思ってしまう。ウイングスを始めた時など、“アマチュアだ”という批判をされて、真剣に捉えたこともあったけれどね。あの頃は、自分たちが何をやっているのか何もわからずに、大学を回るツアーとかをしていて、1人50ペンスの入場料を入り口で徴収して、ライヴをやっていた。つまり、これ以上アマチュアになりようがないっていうレベルだったんだ。でもそのまま続けていくうちにリンダもうまくなってきて、彼女のキーボードの技術も向上した。そしてウイングスが大規模なワールド・ツアーをやるようになったら、彼女はバンドの中で、重要な存在になっていった。彼女はチアリーダーとしても素晴らしくて、いつも観客を煽ってくれたし、ステージでの振る舞いも独特だった。
歌に関して言えば、彼女は歌を作るのが好きだったね。よく2人でちょっとした曲を作っていた。そしてあるとき、彼女に言ったんだ“アルバムをつくってみるなんてどうだろう? やってみたら? もう十分な素材があるよ”そしたら彼女も“そうね”、と言って、レコーディングを始めた。彼女は動物保護活動を通じてカーラ・レーンと知り合いだった。そしてカーラは自分でも歌詞を書く人で、彼女に“これに曲をつけて”と頼んだりしていた。このアルバムの「ザ・ホワイト・コーテッド・マン」はそのような曲のひとつだ。そして「カウ」も。これらはまだまだ始まったばかりだった動物保護活動のことを歌った歌で、時代をかなり先取りしていたと言える。リンダの考え方はかなりパンクっぽかった。彼女はパンクが好きだったんだ。
あなたもパンク音楽は好きでしたか?
うん! 彼女は何よりもあの精神に共感していたね。彼女はモリッシーともよく手紙のやり取りをしていた。実際の手紙を見たことはないけれど、2人とも動物保護に関しては同じような考え方をしていたようだね。実際にパンクっぽい演奏をしたことはなかったけれど、もっとこういう……[ポールは、とても攻撃的なパンクの曲を歌う真似をして]タイプの曲をやってみたかったな! きっと彼女は喜んだと思うよ。でも機会がなかったんだ。
とにかくそういうことで、アルバムをつくろうということになった。彼女の好きなものを色々と詰め込もうと思った。だから、僕が彼女に書くことを勧めた曲や、彼女が好んで書いた歌などもたくさんある。ニューオリンズの曲などは、『ヴィーナス・アンド・マース』のツアーで現地に行ったときにつくった曲だ。あちこちでつくった曲が収録されている。「アイ・ガット・アップ」は、パリに行ったときにつくった曲で、向こうのスタジオで録音している。「ミスター・サンドマン」と「シュガータイム」のバッキング・トラックは、リー・ペリーに頼んだ。彼は偉大なレゲエのプロデューサーでアーティストでもある男だ。僕たちは彼にジャマイカでバッキング・トラックをつくってもらうことを考えたんだ。そして出来上がったら送り返してもらう。これらは、そこにヴォーカルを乗せて仕上げたんだよ。とてもエキサイティングなアイディアだったし、こういうオリジナルのトラックを手にして、興奮したよ。
彼とは前に仕事をしたことがあったのですか?
いいや。でも彼とは友達だった。僕たちはいわゆる“アーリー・レゲエ”が大好きで、『Tighten Up』のアルバムはVol.1とVol.2の両方を持っているほどなんだ。それらのアルバムを昔スコットランドに住んでいたときにも持って行っていた。当時、僕が屋根を緑色に塗っている写真があるんだけど、よく、“落ちるかもしれない”とか思わなかったな。あの写真を後で見て、そう思っているよ。きっと誰かがやっているのを見て自分でもできると思ってやったんだろうな。よく、地元の業者さんに“どうやるの?”とやり方を尋ねていたよ。例えば床にコンクリートを敷く方法とかね。大抵は1日目に業者が来て作業をやるのを見ていて……。あ、脱線しすぎた![笑う] 音楽の話をしていたんだったね。つい、話が逸れたね。でも、自分でコンクリートを敷いて、その出来栄えには満足しているんだ。コンクリートは叩くのがコツなんだよ。そうでないと水が上まで上がってきちゃうから……!
とにかく、屋根のペンキ塗りをしていてね。美しい夏の日だった。そういう素敵な夏の1日に、例の『Tighten Up』を聴いていた。それですっかりレゲエにハマって、ジャマイカまで出かけていった。のんびりとプールサイドで休暇を楽しんでいるときに、小さなラジオがあってね。子供たちはまだ小さかった。とても幸せな時間だったな。ジャマイカの地元のラジオ局でRJRというラジオ局があって、地元でも話題だった。今でもあるかどうかわからないけれど、でもあるかもね! とにかく昔の懐かしい思い出だ。このラジオ局では素晴らしい音楽を流していて、僕たちはすっかりハマっていたよ。そういうところからリー・ペリーのことを知ったんだ。彼は地元でも有名人だった。モンテゴ・ベイのフスティック・ロードにトニーズというレコード店があったんだけど、そこにもよく出入りしていた。店に入ると見渡す限りレコードでいっぱいだった! ほとんどがシングル盤だった。それも白いジャケットに白いレーベルなんだ。そして、まるで誰かがマジックペンでタイトルを書きつけたような感じでタイトルが書いてある。そのうちの1枚が「Lick I Pipe」という曲で、今でも持っているよ! とにかくよくその店にいって色々とかけてもらって、曲が良ければ買った。また、お店の人に“これは良かった?”と聞いて、“うん、良かったよ!”という返事だったら買ったりしていた。そういうことで、かなりの数のレコードを買ったな!
そういう時代だったんだ。ということで、あまりに好きだったからリー・ペリーに、やってもらえるかどうか問い合わせたら、やってくれたんだ! 当時の典型的なバッキング・トラックを作ってくれた。そうやってつくってもらった「ミスター・サンドマン」と「シュガータイム」のバッキング・トラックにリンダがヴォーカルを乗せた。これらの歌はどちらも彼女が昔、合唱クラブにいたときに好んで歌っていたものなんだ。だから、思い出が一周回って完結した感じだね!
*脚注:この会話はライヴ・アルバムについてのポールのインタヴューと同時期に行われたものです。そのインタヴューにおいて、ポールは、アルバムやツアーでは楽しむことが自身のモットーだと語っていました。
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