マッカートニー・シリーズを楽しむためのトピックス

『マッカートニーⅢ』へ向けたスペシャル企画の第2弾はマッカートニー・シリーズにまつわるいろいろな話題を取り上げた。ポールのようなレジェンド級のアーティストになるとちょっとしたことでも語り種になっている。そこで大小問わずトピックの数々をトリビア風にまとめた。『マッカートニーⅢ』のトピックスは資料からピックアップして再構成した。一連の過去のトピックスを読んでいくと、ポールはマッカートニー・シリーズでその後の10年を見据えた様々な挑戦を行っている。音楽はもちろん、アートワーク、ミュージック・ビデオ、ポールの発言も含め、『マッカートニーⅢ』がどんなアルバムになるのか期待は高まるばかりだ。

リサーチ・文:関 毅司朗 構成:森内淳/秋元美乃


『ポール・マッカートニー』(原題:McCartney)

1970年4月17日金曜日 英国リリース

収録曲:ラヴリー・リンダ/きっと何かが待っている/バレンタイン・デイ/エヴリナイト/燃ゆる太陽の如く〜グラシズ/ジャンク/男はとっても寂しいもの/ウー・ユー/ママ・ミス・アメリカ/テディ・ボーイ/シンガロング・ジャンク/恋することのもどかしさ/クリーン・アクロア(全13曲)

●『ポール・マッカートニー』はビートルズ以降のポール作品で全米売り上げ2位を記録

全米チャート3週連続ナンバーワンに輝いた『ポール・マッカートニー』は、ポールのビートルズ以降のアルバムの中でウイングスの『バンド・オン・ザ・ラン』に次ぐ2番目の売り上げを記録。発売当初、評論家に酷評された作品だが、リスナーからは支持を受け、今もポールの代表作として聴かれている。

●ポールとビートルズがデッドヒート!?

『ポール・マッカートニー』 はCSN&Yの『デジャ・ヴ』にかわって、1970年5月23日付の全米チャートでナンバーワンを獲得。同日付のイギリスのチャートでは、サイモン&ガーファンクルの『明日に架ける橋』にかわってザ・ビートルズの『レット・イット・ビー』がナンバーワンに就いた。『ポール・マッカートニー』は『明日に架ける橋』と『レット・イット・ビー』に阻まれ、1位にはなれなかった(最高位2位)。その後、『ポール・マッカートニー』はアメリカで、『レット・イット・ビー』はイギリスで、それぞれ3週連続で1位の座をキープした。全米チャートで『ポール・マッカートニー』にかわって1位に輝いたのは『レット・イット・ビー』だった。ちなみにビートルズの『レット・イット・ビー』は元々ポールのアイディアでスタートした。

●ポールが先か? ビートルズが先か?

ザ・ビートルズのマネージメントを担当していたアラン・クラインは『ポール・マッカートニー』よりも『レット・イット・ビー』を先に発売しようとしてポールと衝突。1970年4月11日にリンゴがポールを説得しに自宅まで行ったものの、ポールに激しい口調で追い返された。その結果、『ポール・マッカートニー』は『レット・イット・ビー』(1970年5月8日英国発売)よりも一足先に発売されることになった(4月17日英国発売)。日本では1970年6月5日に『レット・イット・ビー』が、その20日後の6月25日に『ポール・マッカートニー』 がリリースされた。国と地域によって発売日がばらばらだった当時、日本ではマネージメント側の意図通りの発売順になった。

● 『ポール・マッカートニー』と『レット・イット・ビー』がニアミス?

1970年3月23日、ポールはロンドンのEMI第2スタジオで『ポール・マッカートニー』のレコーディングを完成させた(ほとんどの楽曲は自宅へ4トラックのレコーディング機材を持ち込んで録音されたが、一部の楽曲はEMIスタジオやモーガン・スタジオで仕上げた)。同じ日、EMI第4スタジオでは、フィル・スペクターが『レット・イット・ビー』のミックス作業をしていた。当時、ポールはこのことを知らなかったという。ちなみにポールはEMIスタジオやモーガン・スタジオで作業をする際に、ビリー・マーティンという偽名を使っていた。

●3つの曲名を持つ「Maybe I’m Amazed」

ポールのキャリアの中でも名曲中の名曲と評価されている「Maybe I’m Amazed」。『ポール・マッカートニー』における日本語タイトルは「恋することのもどかしさ」だが、ファンの間では原題の「メイビー・アイム・アメイズド」で呼ばれている。ところが1976年に『ウイングス・U.S.A.ライヴ!!』からシングル・カットされた際には「ハートのささやき」というタイトルがつけられた。当時、ラジオで大量にオンエアされていたので世代によっては「ハートのささやき」が一番フィットするという人もいると思う。ちなみに『ウイングス・U.S.A.ライヴ!!』は、現在、原題の『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』が正式な日本語タイトルになっている。『エド・サリヴァン・ショー』を始めとする音楽番組では「メイビー・アイム・アメイズド」のミュージック・ビデオ(プロモーション・フィルム)が放映された。

● 『ポール・マッカートニー』収録のインスト曲が日本のドラマの主題歌に!?

『ポール・マッカートニー』収録のインスト曲「シンガロング・ジャンク」(「ジャンク」のインストゥルメンタル曲)。この曲はリリースから10年後の1980年12月、NHK少年ドラマシリーズ『家族天気図』の主題歌として使用された。他にもウイングスの「アイム・キャリング」「トリート・ハー・ジェントリー」「ディア・フレンド」や『マッカートニーⅡ』の収録曲も使われていた。残念ながら、後にドラマがDVD化された際には(おそらく権利の問題で)他の曲に差し替えられた。

●ウイングスは「男はとっても寂しいもの」から始まった!?

リンダ・マッカートニーとのデュエット曲「男はとっても寂しいもの」。当時、ポールはこの曲について「リンダがハーモニーをつけていて僕達の初めてのデュエット曲」と紹介。後にポールは、音楽経験のないリンダをキーボード・プレイヤーとして新しいバンド、ウイングスにも参加させる。ウイングスの曲にもリンダのコーラスが多用されていて、当初、素人の参加に懐疑的だったファンや評論家も、今ではリンダなしのウイングスは考えられないと思うようになった。またポール自身も2001年にリリースされたドキュメンタリー映像作品『ウイングスパン』の中で「ウイングスは僕のバンドかと思っていたけれど、リンダのバンドだった」と語っている。最近のインタビューでは「なぜウイングスを再結成しないのか?」という質問に対し「リンダがいないから」とも答えている。

●プライベートな写真が満載のマッカートニー・シリーズ

前回の和田唱×松村雄策対談でも話題になったが、マッカートニー・シリーズにはリンダ・マッカートニーが撮影したプライベート写真が多数使用されている。生後2ヶ月のメアリーとポールが一緒に写った写真は最近のポールのコンサートで「メイビー・アイム・アメイズド」を演奏する時にスクリーンに映し出されていた。他にもリンダや家族らとスコットランド、フランス、ギリシャなどで過ごした時の写真がふんだんに使われている。『マッカートニーⅡ』のインナースリーブには2歳になった長男のジェームズとポールが、中面の見開きにはジャマイカでのポールのプライベート写真が使われている。このプライベートなビジュアルもマッカートニー・シリーズの特徴。『マッカートニーⅢ』ではどういう写真が使われるのか、注目が集まっている。ちなみにメアリーは現在、写真家として活躍。次女のステラはファッションブランド「ステラ・マッカートニー」を運営している。


『マッカートニーⅡ』(原題:McCartneyⅡ)

1980年5月16日金曜日リリース

収録曲:カミング・アップ/テンポラリー・セクレタリー/オン・ザ・ウェイ/ウォーターフォールズ/ノーボディ・ノウズ/フロント・パーラー/サマーズ・デイ・ソング/フローズン・ジャパニーズ/ボギー・ミュージック/ダークルーム/ワン・オブ・ディーズ・デイズ(全11曲)

●『マッカートニーⅡ』は全英チャートで1位を獲得

『ポール・マッカートニー』は全米で3週連続1位に輝いたものの、イギリスではサイモン&ガーファンクルの『明日に架ける橋』とビートルズの『レット・イット・ビー』に阻まれたこともあり、2位止まり。『マッカートニーⅡ』は面目躍如。1980年5月31日から2週間、全英チャート1位に輝いた。一方、アメリカでの最高位は3位。『ポール・マッカートニー』とは逆になった。とはいえ、マッカートニー・シリーズはイギリスかアメリカのどちらかのチャートで1位を獲得している。果たして『マッカートニーⅢ』はどうなるのか? 前作『エジプト・ステーション』が全米1位をとっていることもあって、注目が集まっている。

●ウイングスが「カミング・アップ」を1位にした!?

シングル・カットされた「カミング・アップ」は全米チャートで3週連続ナンバーワンを獲得した。シングルのB面には、ウイングスよる「カミング・アップ」のライブ・バージョンとウイングスのアルバム『ヴィーナス・アンド・マース』のアウトテイク「ランチ・ボックス〜オッド・ソックス」を収録。アメリカではB面のライブ・バージョンが大量にオンエアされ、それが売り上げに一役買った。全米トップ40を紹介する日本のラジオ番組でも、途中からライブ・バージョンがオンエアされるようになった。

●ジョンとヨーコがポールのTシャツに!?

ポールが10役を演じた「カミング・アップ」のミュージック・ビデオ(プロモーション・フィルム)の中で、メンバーの1人が「プラスティックマックス」とカタカナで記されたTシャツを着ていた。レッド・ツェッペリンのジョン・ボーナム似のドラマーのバスドラムには「THE PLASTIC MACS」と英語で表記されている。一説によると、ローリング・ストーンズが主催したイベント「ロックンロール・サーカス」出演時の、ジョン・レノンが参加したスーパー・グループ「The Dirty Mac」とプラスティック・オノ・バンドを組み合わせた造語だといわれている。ちなみに1980年5月17日「サタディ・ナイト・ライヴ」にポールとリンダがイギリスの自宅前より出演。「カミング・アップ」のMVがオンエアされた。この時の模様は日本でも放映された。

●「カミング・アップ」がグラミー賞にノミネート

このアルバムがリリースされる前年の1979年、ウイングスの「ロケストラのテーマ」がグラミー賞最優秀ロック・インストゥルメンタル賞を受賞した。1980年のグラミー賞では、ポールは「カミング・アップ」で最優秀男性ロックボーカル賞にノミネートされた。残念ながらポールの受賞はならず。ビリー・ジョエルが受賞した。

●『マッカートニーⅡ』の先着購入特典は「幻のパンフレット」

ポール・マッカートニーは1980年初頭、ウイングスで日本ツアーを行う予定だったが、大麻不法所持で捕まり、留置場送りになった。本来なら会場で販売されるはずだった日本ツアーのコンサート・プログラムが『マッカートニーⅡ』の先着購入特典としてつけられた。このツアーパンフは日本公演中止が決まった一週間後の1月23日より招聘元によって1冊1000円で販売された。

●「ウォーターフォールズ」のMVに本物の白熊が登場!?

「ウォーターフォールズ」のミュージック・ビデオ(プロモーション・フィルム)に登場する白熊は一見動物園にいる白熊を合成したかのように見えるが、実は本物の白熊をスタジオで撮影。撮影中、万が一のことが起こることを想定し、猟銃を持った猟師がスタジオ内に待機していたという。

●最初はインストゥルメンタル・アルバムだった!?

言うまでもなく、ポールは通常、スタジオに入る前には大部分の曲を完成させていた。ところが『マッカートニーⅡ』に関しては、スタジオに入る前に作曲していた「ウォーターフォールズ」以外は、レコーディングと作曲の作業を同時に行いながら制作が進められた。ポールは当初『マッカートニーⅡ』をインストゥルメンタル・アルバムにするつもりでスタジオ入りしたそうだが、楽曲が出来上がっていく過程で、ボーカルを入れたくなり、現在のかたちになったという。

●ポールはYMOから影響を受けた!?

「フローズン・ジャパニーズ」の原題は「フローズン・ジャップ」。当初、来日時に捕まった反動で挑発的なタイトルにしたと思われたが、本人は否定。大意はなく、単純に富士山などをイメージして書いた曲だという。この曲はYMO風のインストゥルメンタルだが、レコーディングの数日前にテレビでYMOの演奏を見て、影響されたという説がある。

●ジョージ・ハリスンに続きポールもインドの影響を受けた!?

ポールはスタジオに行く途中に、インド神話に出てくるクリシュナを信奉するハレ・クリシュナの男性に会った。あまりにも穏やかな男性の口調が印象に残り、それが「ワン・オブ・ディーズ・デイズ」のアレンジに影響を与えたという。


『マッカートニーⅢ』(原題:McCartneyⅢ)

2020年12月18日金曜日リリース

収録曲:未定

●40年ぶりのマッカートニー・シリーズ

『ポール・マッカートニー』のリリースが1970年。『マッカートニーⅡ』のリリースが1980年。前者はビートルズ解散の渦中でレコーディングされ、リリースされた。後者は来日時のポール逮捕によりウイングスのツアーが中止。ウイングスが終わりゆく中でのリリースだった。ポールは近年、活動の軸をワールド・ツアーにおいていたが、今回のコロナ騒動でライブ活動の中止を余儀なくされた。そんな中、『マッカートニーⅢ』のリリースがアナウンスされた。ポールに危機的な状況が訪れるたびにマッカートニー・シリーズがリリースされるという法則は今も昔も変わらない。『ポール・マッカートニー』がウイングスへつながり、『マッカートニーⅡ』が輝かしいソロ・キャリアへつながったように、78歳のポールは『マッカートニーⅢ』をきっかけにまた新たなステージへ進むのか!?

●マッカートニー・シリーズの伝統にのっとった作品

『ポール・マッカートニー』と『マッカートニーⅡ』はセルフ・プロデュースでほとんどの楽器を自分で演奏している、文字通りソロ作品。『マッカートニーⅢ』も同じようにポールが一人でレコーディングしている。まずギターかピアノを使用してベースになる音源を録音。その後、ベースやドラムをダビングしていき、曲を完成させた。

●幻の曲が『マッカートニーⅢ』で復活

ポールは90年代のはじめ、ジョージ・マーティンとの共同プロデュースで「When Winter Comes」という曲を作っていたが、未発表のままになっていた。今回、その曲に新たな旋律を付け加え「Long Tailed Winter Bird」として蘇らせた。この曲がアルバムのオープニングを飾ることになる。さらに「Winter Bird」と名付けられたイントロを付け加え、「Winter Bird/When Winter Comes」としてアルバムの最後に収録した。

●ビンテージの楽器を駆使してレコーディング

今回はビンテージの楽器が多数使用されている。1971年のウイングスのセッションで使用された楽器やビートルズのレコーディングで使用されたメロトロン、おなじみのヘフナーのヴァイオリン・ベース、珍しいところではエルヴィス・プレスリーのバンド・メンバーだったビル・ブラックが使っていたダブル・ベースなども使用された。

●ファミリー総出で写真撮影!?

『ポール・マッカートニー』と『マッカートニーⅡ』にはジャケットまわりにリンダ・マッカートニーの写真が使用されていた。そのほとんどがプライベートな写真ばかりだった。それが素朴なポールの姿を現出させるマッカートニー・シリーズのイメージを作り上げていた。今回はリンダにかわり(リンダは1997年に他界)娘で写真家のメアリー・マッカートニーが撮った写真が使用されている。他にもポールの甥っ子のソニー・マッカートニーが撮った写真やポール自身が携帯電話で撮った写真も使用されているという。

●81歳大御所デザイナーがジャケット・アートを担当

『ポール・マッカートニー』と『マッカートニーⅡ』のジャケットはオフビート感あふれるデザインだったが『マッカートニーⅢ』はきちんとデザインされたジャケットになった。このデザインを手掛けたのはアメリカを代表するデザイナーのエド・ルシェ。彼はこれまで絵画、写真、版画、映画を通してコンセプチュアル・アートの第一人者として活躍してきた。今作ではジャケット・アートはもちろん、ロゴも手掛けている。現在、81歳。ポールは娘でファッション・デザイナーのステラ・マッカートニーに紹介され、エド・ルシェと知り合ったそうだ。

●増殖する『マッカートニーⅢ』!?

『マッカートニーⅢ』はストリーミング、CD、アナログ盤でリリースされる。アナログは180g盤、3000枚限定の赤いヴァイナル盤、『ポール・マッカートニー』と『マッカートニーⅡ』のヴァイナルを再利用した333枚限定の黄色に黒の水玉模様のヴァイナル盤。他にも4000枚限定のホワイト・ヴァイナル盤も準備されている。この他にも「新種」がリリースされるかもしれない。日本のみCDにはボーナス・トラックが収録されている。