和田唱(トライセラトップス)✕ 松村雄策(文筆家)特別対談
2020年12月18日(金)にポール・マッカートニーが『マッカートニーⅢ』を緊急リリースする。コロナ禍のロックダウン中に急遽レコーディングされた作品だ。ポール・マッカートニーは『マッカートニーⅢ』について「僕はロックダウンの時期を自分の農場で家族と過ごしていた。何年も前に少しだけやりかけた曲がいくつかあったけれど、いつも時間がなくなって半分くらいのところで終わっていた。だから、そういう曲にはどういうものがあったのかを思い出していった。そして毎日、その曲を元々書いた楽器でレコーディングを始めて、だんだんと楽器を足していった。とても楽しかったよ」と語っている。過去のマッカートニー・シリーズ同様、ほとんどの演奏をポールが行った、いわゆる「宅録」による作品だ。今回は『マッカートニーⅢ』リリースに向けて、ミュージシャンの和田唱さん(トライセラトップス)と、文筆家でビートルズに関するエッセイを多数執筆している松村雄策さんに『ポール・マッカートニー』と『マッカートニーⅡ』を中心に語ってもらうことで「マッカートニー・シリーズ」の魅力を探ることにした。2人の対談は『夢の翼〜ヒッツ&ヒストリー〜(Wingspan: Hits and History)』のブックレット、『ぴあ ポール・マッカートニー来日特別記念号』につづいて3回目。今回はどんな話が聞けるのだろうか。
撮影=岩佐篤樹 取材・構成・文=森内淳/秋元美乃
●素朴でシンプルな『ポール・マッカートニー』
―― 『ポール・マッカートニー』(以下『マッカートニー』と表記)の制作時期はビートルズが空中分解していた時期なんですよね。
松村雄策 『レット・イット・ビー』でメンバーが1対3、つまりポール対他の3人になったんだよね。だけど、この人は楽天家だから、ソロ・アルバムを1枚作ったら、自分の方にメンバーが戻ってくると思ってたんじゃないかな。ポールはビートルズの解散を求める訴えを起こすんだけど、後にポールは「本当に解散するとは思わなかった」って言ってるんだよね。じゃなんで裁判なんか起こしたんだという話なんだけど、それでもまたビートルズは元に戻るんじゃないかと思ってたと思う。
和田唱 ずっと疑問だったのは、なんで解散して一発目にこんな力の抜けたアルバムを出したのかなっていうことだったんですよ。僕だったら、解散して一発目にソロを作るとしたら「バンドよりもいいのを作ってやろう!」と意気込むと思うんです。インストゥルメンタルなんて間違っても入れないですね。全部、粒ぞろいのいい曲だけを集めて、「どうだ!」ってやると思うんですよ。以前に松村さんと対談した時に「まだこの時、ポールはまたビートルズに戻る気だった。だからちょっとした息抜きで作ったんじゃないか」と言われた時に目からウロコだったんですよね。それだったら納得がいくんですよ。
―― 『マッカートニー』はサウンドの感触もシンプルですよね。
松村 ジョン・レノンは『マッカートニー』を聴いて「プロデュースはジョージ・マーティンよりも上手いかもしれない。さすがポールだ」と(オノ・)ヨーコさんに言ってたんだよね。
和田 実はジョン・レノンのアルバム『ジョンの魂』もこのテイストなんですよ。削ぎ落としたシンプルなアレンジで。ジョンが『マッカートニー』を「すげえじゃん」って言ったのはとっても頷けますね。この当時のポールやジョンの流行りの音だったと思うんですよ。ゴツゴツした生身の音って。この頃ってほんの半年ぐらいの周期で流行りが変わっていくようなすごい時代なので、ついつい「『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を作ったような人がどうしてこういうアルバムを作るんだろう?」と思いますけど、この音はこの時の流行りなんですよね。これね、ジャケットもすごく素朴じゃないですか。
松村 このジャケット写真ね。本当はこの両サイドは黒くなかったんだよね。
和田 あ、その写真、僕、見ました。
松村 これ、マジックかなんかでこういうふうに塗ってるんだよね。
和田 そうなんですよ。これね、自分の農場かなんかで採れた木の実を鳥にあげてるところなんですよね。テーブルの端っこにリンダがいて。
松村 この白い板の写真の余計なところをカットすればいいのに、わざわざ黒く塗ってるわけよ。
和田 これはおしゃれなジャケットですよ。
―― アルバムにはリンダ・マッカートニーの写真がたくさん使われていますよね。
松村 ジョンがヨーコと一緒にジョン・レノン&オノ・ヨーコという名義でアルバムを出したじゃない? ポールもね、ポール&リンダというかたちで出したかったんだよ。
―― それはなぜなんですか?
松村 つまりさ、ポールはいつまで経ってもジョンの弟のような存在なんだよ。ジョンに何か言われたら黙っちゃうような人なんだよ。だからこのアルバムでジョン&ヨーコよりポール&リンダの方がすごいぞということを言いたかったんじゃないのかな。だってポールはリンダをウイングスにも入れちゃうわけじゃない? ジョンも最初はヨーコを入れてたけど、「やっぱりヨーコは……」ってことになる。なおかつポールは子供と一緒に写った写真を載せているんだよね。
和田 その頃はまだジョンとヨーコの子供はいなかったですからね。
松村 リヴァプール時代に家庭的に恵まれていたのはポールだったんですよ。ジョンはお父さんもお母さんもいないんだよね。ポールのお母さんは亡くなったけれども、お父さんはいたし、言うことを聞く弟もいた。だからね、この時もね、ポールはファミリーを出したかったんだと思うな。この頃は子供と一緒に写っている写真が多いわけよ。映像もあるんだけど、やたらと子供と犬のマーサと一緒にいるわけ。
和田 いますね。
松村 「俺は一人じゃないんだ」ということなんですよね。
和田 それをアピールしたかった、と。
松村 だと思うんだよね。
和田 だけどビートルズはアイドル的な側面もあったわけで、こういうポールの写真や映像を見た当時のファンの皆さんの反応はどうだったんですかね。
松村 その頃は顔中に髭を生やしてね、もうそういう感じではなかったんじゃないかな。ビートルズが駄目になってスコットランドの農場に引っ込んだ時に「どうして髭を生やしていたんですか?」って訊かれて「顔を隠したかった」って言ってるんだよね。つまりもう人前には出て行かないってことなんだよね。
和田 アイドルだっていうモードじゃなくなっていたわけですね。
松村 そういうことをやりたくなったら、例えば『レッド・ローズ・スピードウェイ』とか『バンド・オン・ザ・ラン』の時のようにかっこいいポールを復活させるんだよね。
和田 たしかに。表に出て行くぞっていうモードですよね、あの頃はね。アルバム・ジャケットも『レッド・ローズ・スピードウェイ』辺りからちゃんとしたジャケットになりますからね。
松村 ブックレットも付いてるしね。
和田 『マッカートニー』『ラム』『ウイングス・ワイルド・ライフ』はまだ農場モードですよね。
―― 松村さんは『マッカートニー』をリアルタイムで聴いているわけですが、この作品が世に出て初めて聴いた時に、どういう感想を持たれましたか?
松村 やっぱり曲がすごいな、と思ったよね。「ザット・ウッド・ビー・サムシング(きっと何かが待っている)」「バレンタイン・デイ」「エヴリナイト」「ジャンク」「テディ・ボーイ」「メイビー・アイム・アメイズド(恋することのもどかしさ)」。「ホット・アズ・サン(燃ゆる太陽の如く)」とか「クリーン・アクロア」とかドラム・ソロがわざとらしいじゃない? あんなことやめればいいのにって思うんだけど、これもポールなんだよね。わざとらしいことも含めてね。
和田 僕もドラムを叩けるよ、みたいなことですよね。
松村 そうだね。
―― 1分に満たない「ラヴリー・リンダ」のような曲も入っています。意表をつくオープニングのようにも思えますが。
松村 1分くらいの曲はジョンもやってるんだよね。『ジョンの魂』の「マイ・マミーズ・デッド(母の死)」。それからビートルズの『アビイ・ロード』の「ハー・マジェスティ」もそうだよね。こういう曲を入れるのが流行ってたんじゃないかと思うんだよね。68年のビートルズの『ホワイト・アルバム(ザ・ビートルズ)』の「ワイルド・ハニー・パイ」とかね。結局ポールは好きなんだよね、そういうことをするのがね。
和田 ポールはそういう側面があるんですよ。「ヘイ・ジュード」とか「レット・イット・ビー」とか、ああいうすごい曲を作った人が、「なんでこういうラフな曲を作るんだ?」って思うかもしれないけど、違うんですよ、両方を持ってるんですよね。ポールってそこが面白いんですよ。いわゆる天才的なスタンダード・ナンバーを作れちゃうソングライティングの力量がありつつ変なこともやるんですよね。
●評論家は酷評し、リスナーは称賛したポール・マッカートニーの初期ソロ作
―― ところで1970年のリリース時点での『マッカートニー』に対する音楽誌やメディアの評価というのはどういうものだったんですか?
松村 最低でしたね。
和田 そうなんですよね……(笑)。
松村 ファンはみんな買いましたよ。「『マッカートニー』にはいい曲が入ってる」って言って。いわゆる音楽誌の評価はめちゃくちゃでしたからね。「ビートルズの『アビイ・ロード』からするとこんなのはおもちゃみたいなもんだ」って書いてありましたよ。
和田 だけど『マッカートニー』は売れたんですよね。
―― 全英2位で、ビルボードは3週連続で1位をとっていますね。
和田 ですよね。僕らみたいな後追いの世代からすると、とにかくこのアルバムは評論家の評判が悪かったっていう情報も一緒に入ってくるからよくないですよね。それを取り払って純粋に『マッカートニー』を聴けるようになるまですごく時間がかかりましたもん。
松村 『マッカートニー』『ラム』『ウイングス・ワイルド・ライフ』。この頃のポールの作品は評論家の評判が悪いんだよね。
和田 『レッド・ローズ・スピードウェイ』から少しずつ盛り返してくる。
松村 だけどね、前にも言ったけど、何しろ当時の『ミュージック・ライフ』には「『バンド・オン・ザ・ラン』はひどいアルバムだ」って書いてあったんだから。
和田 え、『バンド・オン・ザ・ラン』も?
松村 レコード評を書いたのは星加ルミ子さんではなくて当時の編集部にいた人なんだけど、「これはポールのまとまりのないレコードでジョンやジョージも頑張ってるんだから、ポールも頑張ってほしい」って書いてあったわけよ。
和田 (笑)じゃもう当時は風潮的に「ポールは駄目だ」ってことになってたんですね。それはビートルズから脱退宣言をしたことで悪者になってたってことなんですか?
松村 というか、この頃ね、ハード・ロックが流行ってたんだよ。
和田 ああ、そうか。なるほど。
松村 レッド・ツェッペリンとかグランド・ファンク・レイルロードとか。
和田 なるほど。ハード・ロックをかっこいいとする風潮があったんですね。
松村 そうなるとポールとかビートルズはかっこ悪いということになるんだよね。今はツェッペリンもビートルズも一緒に語れるような感じになってるけどね。
和田 そうですね。
松村 ところが当時はそうではなかったんだよ。
和田 時代ですね。
松村 だからね、72〜3年はね、私も髪の毛をあんなふうにしてましたからね(笑)。
和田 伸ばしてね(笑)。
松村 伸ばして(笑)。
―― それでもこの頃のポールは意欲的な作品を出しつづけていましたよね。
松村 『レッド・ローズ・スピードウェイ』のメドレーの4曲なんか同じコード進行だからね。
和田 そうなんですよ!
松村 すごいよね。「俺は同じコード進行でもこんなに違う曲が書けるんだ」っていうことなんだよね。
和田 同じコード進行でメロディを変えてるんですよね。
松村 私も数年前にジャックスのメンバーとレコーディングをしたんですよ。その時に1コードで曲を作りたいと言って、まわりが大変だったっていう(笑)。
和田 1コードはなかなか大変ですよ。でもビートルズってやってるんですよね。
松村 多いんだよ。「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ」とかね。
和田 「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ」は上が移動する分数コードになっていて、厳密に言うとコードが2つなんですよ。これ、話が飛んじゃうんですけど、あの頃、ビートルズはさんざんポップな曲をやり尽くして、あまりコードチェンジしないっていうのにハマっちゃったみたいなんですよね。まず「ペーパーバック・ライター」くらいからちょっとずつ実験しだして。あれもコードが2つしかないんだけど、シングルとしてリリースしているんですよ。で、「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ」が厳密に言うと2コードですが、ベースのルートは同じ音。そしてジョージがすごい。「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」が1コード。それだけでは飽き足らずに「ブルー・ジェイ・ウェイ」も1コードなんですよ。「ブルー・ジェイ・ウェイ」は1コードの曲の中でもひじょうにメロディを上手く作ってあって、すごいなと思いましたね。ジョージはインド音楽の影響でアヴァンギャルドなことをやり始めたんだけど『ホワイト・アルバム』から『アビイ・ロード』にかけて真っ当な曲を作るモードに戻ってくるんですよね。
松村 「ドライヴ・マイ・カー」なんかは同じ音符だよね。
和田 Aメロの歌が1ノートですよね。ポールはけっこう1ノートの曲を作るんですよ。「アナザー・デイ」とか「心のラヴ・ソング」もそう。そういうのも上手ですね。あと、ポールがすごいところは、若い頃からスタンダード指向な側面があって、いわゆる“プロの職業作家”顔負けのメロディを生み出してる。あの頃のジャズの人とか、それこそフランク・シナトラといった人がポールの曲をカバーしてるんですよね。ロック・バンドの曲を上の世代の人たちが「いい曲じゃないか」と言ってカバーしてるんですよ。これはすごいことだと思うんですよね。この頃のロックの人たちと明らかに違う部分です。
松村 そういえば、マイルス・デイヴィスがジミ・ヘンドリックスを誘って「レコードを作らないか?」っていう話になった時に「ベースはポール・マッカートニーがいいんじゃないか?」ってことになったんだよね。それでポールの事務所に「ポール・マッカートニーいるか?」って電話したら「今、休暇で来月まで戻ってきません」って言われたらしいんだよ。その後すぐにジミ・ヘンドリックスは亡くなるんだよね。
和田 それ、実現してたらすごいですよね。
松村 そんな話もあったね。
――『マッカートニー』はいわゆる宅録なんですが、50年前に宅録ってありえないですよね。
和田 時代を何十年も先取りしてますよね。ポールのプレイはスタジオ・ミュージシャンと違って、スープに例えると、具の一個一個がめちゃデカいんですよ。素材の味を強調したようなプレイをするんですね。あんまり調理されてない感じがいいんですよ。今、『マッカートニー』を聴くと、一個一個の鳴りが大きくてオーガニックな感触があるんですよね。それが時代を超越していますよね。だから古くならないんじゃないですかね。やっぱりデコレーションされたものって時代によって、「あ、この時代ね」っていうことになりますからね。『マッカートニー』はそういう意味ではあまり時代に左右されないサウンドですよね。
●ひどい状況の中で制作された『マッカートニーⅡ』
―― 『マッカートニーⅡ』はどうですか?
和田 実は『マッカートニーⅡ』もシンセサイザーが入っているだけで、手触りはひじょうに『マッカートニー』と似てるんですよ。このアルバムもポールが全部自分でやっているので。
松村 『マッカートニーⅡ』の頃のポールはひどい状況だったんだよね。
―― 来日した時に大麻の不法所持で捕まりました。
松村 1982年にポールにインタビューした時に「その時のことを覚えていますか?」って訊いたんだよ。「当番さん」って言うと留置場の担当官がやってくるんだって。その留置場で「イエスタデイ」を歌ったっていう説があって、それで「イエスタデイ」を歌ったんですか?ってポールに訊いたら「いや、“ベイビー・フェイス”だよ」って言ってたね(笑)。
和田 「ベイビー・フェイス」を歌ったんですね! 古いスタンダード・ナンバーですよね。
和田 この時もウイングスが終わったとはポールは思ってなかったんじゃないですか?
松村 ウイングスはね、他のメンバーは解散するとは思ってなかったみたいね。
和田 実際、『タッグ・オブ・ウォー』の何曲かはウイングスのメンバーでリハーサルをしている音源が残っているんですよ。ということはポールの中ではまだウイングスの途中と思ってたんじゃないですかね。だってウイングスが終わって、これからソロ一発目で行くぞっていうアルバムには、同じく思えないんですよね(笑)。
松村 僕は『バック・トゥ・ジ・エッグ』がすごく好きなんだけど、若いメンバーが2人入ったし、ジャケットもすごくいいし。だけど、その時にはどうもポールは「ウイングスはここら辺で終わりなのかな」という感じがあったと思うんだよね。有名なミュージシャンを集めて「ロケストラのテーマ」もやってるし、僕は「このままやれんじゃないか」と思ってたんだけど、ポールは「そろそろかな」と思ってたところに日本で逮捕されて「ウイングスは終わりだ」と思ったんじゃないかな。でね、『マッカートニーⅡ』のアルバム・ジャケットの顔ね。何、この顔? 『マッカートニー』のジャケット・デザインと比べると雲泥の差じゃない?
―― ポールの当時の状況を象徴しているようなジャケットですね。
和田 普通、こういう顔の写真をジャケットには使わないですもんね。しかも『マッカートニーⅡ』はポールのアルバムの中で最も聴いた回数の少ないアルバムだと思います。「カミング・アップ」っていう飛び抜けた名曲が入っているにもかかわらず、アルバムとしてはそんなにたくさん聴いてないんですよね。
松村 僕もそんなに聴いてないですね。
和田 やっぱりそういうポジションなんですよね、『マッカートニーⅡ』は。
松村 だってさ、「フローズン・ジャップ(邦題は「フローズン・ジャパニーズ」)」っていう曲が入っているんだよ。こんなタイトルを見たら「日本人はどれだけポールに対してひどいことをしたんだ?」と思われるよね。
和田 ですよね(笑)。
松村 ところがポールは「ヘイ・ジュード」ってタイトルをつけるんですよ。ユダヤ人が別にポールに何かしたわけじゃないし。だから「フローズン・ジャップ」も「ヘイ・ジュード」と同じ感覚なんですよ。「フローズン・ジャパニーズ」ってすればいいものを「ジャップ」と言ってしまうという。
和田 悪気がないんですよね。
松村 困ったことにね。戦争してるわけじゃないんだから。
和田 ただこのアルバムには「カミング・アップ」が入っているんですよ。ぶっ飛んだ曲ですよね。なのにキャッチー。ジョンがこの曲を聴いて「やるなあ」と思ったっていう話も残ってますけど、すごく頷けますね。「カミング・アップ」と「テンポラリー・セクレタリー」は最高ですね。
松村 「ウォーターフォールズ」とかね。
和田 「ウォーターフォールズ」は本当に美しいですよね。ビデオも好きです。だからいつも思うのは、『マッカートニーⅡ』から半分くらい曲を外してミニ・アルバムでよかったんじゃないかなって(笑)。
―― 『マッカートニー』とはかなり印象が違いますよね。
和田 ところがこの2枚のアルバムには共通点があって、この2枚にはブルースが入っているんですよ。『マッカートニー』の「ウー・ユー」とかかなりブルージーだし、『マッカートニーⅡ』の3曲目の「オン・ザ・ウェイ」とかブルースですからね。1曲目の「カミング・アップ」、2曲目の「テンポラリー・セクレタリー」とは全然違うバランスの悪い感じが一体何なんだろうって思いますけどね(笑)。あとマッカートニー・シリーズはインストゥルメンタルが入っているという共通点がありますよね。そう考えると『マッカートニーⅢ』もインストが入っているんですかね? 松村さん的にはポールのインストゥルメンタルってどう思われてますか?
松村 面白いと思いますよ。ポールはギターでもピアノでも面白くできるからね。
和田 「ジャンク」のインストゥルメンタルなんかいいですよね。
松村 「シンガロング・ジャンク」ね。
和田 『マッカートニーⅢ』にもインストが入るのかな?
●みんなが『マッカートニーⅢ』を切望している
――『マッカートニーⅢ』はどうなると思いますか?
和田 『NEW』と『エジプト・ステーション』という直近の2作がひじょうに今風なサウンド・プロダクションになっていたので、いわゆる若い感覚をポールは身につけていると思うんですよ。だから次の『マッカートニーⅢ』は現代風なサウンドになっているんじゃないかと僕は思いますね。
松村 逆にビジュアル面では、最近のポールは白髪のままで出てくるようになったよね。
和田 そうそう! 最近、変えましたよね。
松村 今年ポールは78歳。75歳くらいからかな、白髪のままで出てくるようになったのは。
和田 そうですね。僕は髪を染めてないポールを見た時に、自分の年齢を受け入れてると思って、かっこいいなと思いましたけどね。すごく自然だし。逆に顔がおじいさんになってきたので髪を茶色に染めていると不自然かもしれないですよね。ミック・ジャガーがその代表例ですけど、ミックにはあのままいってほしいですけどね。あれ、白かったらかえって変ですもんね(笑)。ポールはミック・ジャガーでいる必要はなくて、ありのままの、あの感じがかっこいいな、と思いますね。
―― 『マッカートニーⅢ』は12月18日にリリースされます。
和田 例えば『フレイミング・パイ』を『マッカートニーⅢ』と言ってもいいんじゃないかとか『ケイオス・アンド・クリエイション・イン・ザ・バックヤード』こそ『マッカートニーⅢ』じゃないのかとか言われてたんです。何かと「これは『マッカートニーⅢ』じゃないか」とファンが言ってきたということは、みんな、ずっと『Ⅲ』を求めてたんですよね。今回もポールが『Ⅲ』という数字を匂わせただけですごく盛り上がってましたよね。インストゥルメンタルも含めてポールのワンマンショウをみんなが求めてるんだと思うんですよね。
和田唱(わだ・しょう)
1975年東京生まれ。TRICERATOPSのボーカル、ギター。作詞作曲も担当。2018年10月にソロ・アルバム『地球 東京 僕の部屋』を、2020年4月に2ndソロ・アルバム『ALBUM』をリリース。
松村雄策(まつむら・ゆうさく)
1951年東京生まれ。文筆家。ビートルズに関するエッセイを多数執筆。著作に『ビートルズは眠らない』『ウィズ・ザ・ビートルズ』『僕を作った66枚のレコード』小説『苺畑の午前五時』などがある。