BIOGRAPHY
PANDORA / パンドラ
本名アンネリ・マグナッソン ~Anneli Magnusson~
1970年 | |
6月20日 | ■スウェーデン中部の小都市ヴェステラスに生まれる。 |
■リビング・ルームの壁にはギターがかけられており、部屋の隅には電子オルガンがおいてあったという,音楽的な環境の家で育つ。 | |
1979年頃 | ■言葉を話す前から歌っていたと彼女の父は語っている。 |
■9才、この頃より兄達と曲作りを始める。 ■その一方、兄の影響か、コンテンポラリーなロックや、ポップミュージックに目覚める。特に、ボブ・ディランやベット・ミドラーのような渋めの音楽を好ん で聞いていた。とりわけ、ダイア・ストレイツの「悲しきサルタン」が大好きで、ギターでコピーをしていた。 |
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1984年頃 | ■14才にして家の近くのカフェで歌いはじめる。 |
■ボブ・ディラン、キャット・スティーヴンスのカヴァーが中心だった。この頃から、ロックだけでなくブルース、ファンクやゴスペルなども歌っていた。 | |
1986年 | ■16才で家を出て自立し、ヴェステラス音楽大学でクラシック・ヴォーカル・テクニック,クラシック・ギターと音楽理論を学ぶ。 |
1989年 | ■卒業した彼女は一時、ある会社で秘書としてOL生活を送る。 |
1992年 | ■OL生活にピリオドを打ち、音楽活動を志す。 |
1993年 | ■現在のプロデューサーであるHIT VISIONの3人と出会う。 |
■マーティン・アンケリウス、ピーター・ヨハンソン、ヘンリック・アンデルソンの3人は自分達が作るポップでキャッチーなダンス曲を歌えるヴォーカリストを捜していた。そこで、相談されたヴェステラス音大の教授陣がPANDORAを推薦。 | |
10月 | ■地元ストックホルムのレーベル”ストックハウス”と契約。 |
■シングル「トラスト・ミー」でデビュー。ゴールド・ディスクにすぐさま輝き、エイス・オブ・ベイ スを抑え、スウェーデン国内で制作された1993年に最も売れたシングルとなった。さらにデビュー・アルバム「ワン・オブ・ア・カインド」がスウェーデン とフィンランドでゴールド・ディスクに輝くなど、北欧でPANDORA人気が炸裂した。 | |
1995年 | |
10月 | ■セカンド・アルバム「テル・ザ・ワールド」が北欧でリリース。(北欧での発売元はストックハウス)これも各国でゴールド・ディスクに輝く。 |
年末 | ■北欧以外での発売権を獲得したMCAドイツより日本国内での発売打診あり。即刻、リリースを決定したMCAビクターは、日本各地のディレクターにコメントを依頼、プロモーション開始。 |
1996年 | |
1月 | ■第1回来日プロモーション(1/14~1/24) |
■ PANDORA自らデビュー・シングル「テル・ザ・ワールド」のプロモ盤を配布してプロモーションと挨拶回りを行う。東京、大阪、名古屋の3地区を回る。 | |
■ヴェルファーレにてライヴ・イヴェント、同時にデビュー・シングル「テル・ザ・ワールド」のPVを撮影。 ■1/22~3週間、東京FM”T-FMセレクション”に選定される。既に名古屋のZIP-FM,ディスコ”カフェ・アビーム”では大ヒットの兆し。 |
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2月 | ■名古屋に続いて、大阪でもヒット機運高まり、ラジオのオン・エア回数も全国的に上昇。パワー・プレイも各地続々決定(FM大阪、BAY-FM、ZIP-FM、FM岩手、FM仙台、FM秋田、ラジオ福島、FM石川、KNB) |
2月19日 | ■日本でのデビュー・アルバム「テル・ザ・ワールド」の輸入盤入荷開始。初回出荷枚数4万枚、これは輸入盤としては異例の数字。 |
■ ZIP-FMチャートの影響により、中部エリアにて爆発的ヒット。 ■発売後1週間で全国で35,000枚を消化。 |
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2月21日 | ■日本でのデビュー・シングル「テル・ザ・ワールド」リリース。 |
■名古屋、大阪地区で品切れ。 ■両営業所より、当初3月23日リリース予定の日本盤のリリース日早期化の異例の申し入れ。結果、3月11日にリリース日を早める。 |
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3月11日 | ■日本でのデビュー・アルバム「テル・ザ・ワールド」リリース(オリコン19位)初回出荷枚数6万枚。 |
■第2回来日プロモーション(3/13~3/26) ■名古屋”カフェ・アビーム”イヴェントでは1000人以上を動員し、動員記録を作る。 ■ヴェルファーレ・ライヴ・イヴェント大盛況。 ■「ギルガメッシュ・ナイト」「笑っていいとも」出演。 ■セカンド・シングル「ワン・オブ・アス」のPV撮影をお台場地区中心に行う。 ■オリコン・ラジオ洋楽チャート・ベスト10入り。(6位、3/25) |
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4月 | ■売り上げが日本盤、輸入盤あわせて、20万枚を突破。 |
■オリコン・ラジオ・洋楽チャート、3週連続2位。(1位は「ドゥビ・ドゥビ」(ME&MY)) ■全国19局のラジオ局でNo. 1を獲得。 |
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5月2日 | ■アルバムからのセカンド・シングル「ワン・オブ・アス」(ABBAのカヴァー、日本盤のみのボーナス・トラック)リリース。 |
■第3回来日プロモーション(5/25~6/1) ■NTV系「TVじゃん」他出演。 ■ヴェルファーレ・イベント。 ■日本デビュー・アルバムの売り上げが40万枚突破。 |
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10月 | ■第4回来日プロモーション(10/28~11/11) |
11月 | ■怒涛の全国行脚(札幌、岩手、仙台、福島、東京、横浜、名古屋、大阪、福岡) |
■週刊「SPA !」表紙。 | |
11月21日 | ■日本での2ndアルバム「チェンジズ」(当社初の廉価製品)(オリコン15位)、シングル「リトル・ビット」リリース。 |
■アルバム初回出荷枚数10万枚突破。 | |
12月 | ■第5回来日プロモーション |
■AAAイヴェントwith相川七瀬inヴェルファーレ。 ■中京TVクリスマス・イベント実施。 ■ZIP-FM「チェイス・ザ・ドリーム・コンテスト」ゲスト。 ■アルバム売り上げ25万枚突破。 ■「サンズ・オブ・タイム」PV収録。(幕張 他にて) |
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1997年 | |
1月21日 | ■アルバムからの1stシングル「サンズ・オブ・タイム」リリース。 |
3月21日 | ■アルバムからの2ndシングル「スマイル・アンド・シャイン」リリース。 |
4月 | ■待望の第1回来日公演(札幌、東京、横浜、名古屋、大阪、福岡)、ほぼ全日ソールド・アウト。 |
7月 | ■ニュー・アルバム「ヘヴン」レコーディング開始。 |
11月21日 | ■日本での3rdアルバム「ヘヴン」、シングル「シングル・ライフ」リリース。 アルバム初回出荷枚数11万枚。現在約30万枚の売り上げ。 |
11月 | ■第6回プロモーション来日(岩手、秋田などの東北地方、及び石川、富山などの北陸地方へと足を伸ばす) |
12月 | ■第7回プロモーション来日 |
■96年に続き、AAAイベント(名古屋)出演、w/ソリッド・ベース ■NTV系「夜もヒッパレ」で安室奈美恵の「ドリーミン・アイ・ワズ・ドリーミン」を熱唱、また、ANB系「AXEL」にて、「ノッキング・オン・ヘヴン ズ・ドア」をギター弾き語りで唄い、ともにその歌唱力が話題になる。 ■東京、福岡、札幌でクラブ・イベント実施。 |
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1998年 | |
2月 | ■ドイツ国営放送ARDの長野オリンピック公式テーマ・ソングに。 |
「スピリット・トゥ・ウィン」が選ばれ、レポーターとして9回目の来日、長野のドイツ・ハウスで歌う。 | |
3月21日 | ■ヒット曲のメガ・ミックスも含む初のベスト・アルバム「パンドラ・ヒット・ボックス~ザ・ベスト・オブ・パンドラ」リリース。初回10万枚、現在25万枚。 |
5月2日 | ■初のタイアップ・シングル「ヘヴン」リリース。 |
■ノエビアCMイメージソングとして1999年5月まで放映予定。 | |
6月 | ■2度目の来日公演実施、東名阪3会場にて行う。(前座ピュア・シュガー) |
8月 | ■4thアルバムとなる今作「ブリーズ」制作開始。 |
11月末現在 | ■1stアルバム「テル・ザ・ワールド」・・・・・・・・・・・・・・・・約60万枚 2ndアルバム「チェンジズ」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・約50万枚 3rdアルバム「ヘヴン」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・約30万枚 ベスト・アルバム「パンドラ・ヒット・ボックス」・・・約25万枚 <計4作で165万枚の売り上げを誇る。> |
12月 | ■同アルバム完成。 |
1999年 | |
1月21日 | ■シングル「ユー・ウィル・ビー・オールライト」リリース予定。 |
2月3日 | ■日本での4thアルバム「ブリーズ」リリース予定。 |
7月 | ■ 5thアルバム「ノー・リグレッツ」制作開始。 |
9月16日 | ■初のノン・ストップ・ベスト・アルバム「NON-STOP PANDORA」リリース。 |
12月 | ■アルバム「ノー・リグレッツ」完成。 |
2000年 | |
1月19日 | ■シングル「アイ・ウォント・ルック・バック」リリース予定。 |
2月2日 | ■アルバム「ノー・リグレッツ」リリース予定。 |
2月中旬 | ■ 2年振りとなる第8回プロモーション来日予定。 |