商品紹介
“粗忽(そこつ)”というのは“慌てる”“そそっかしい”という意味で“粗忽者”というのは“あわて者”“そそっかしい奴”という事になり“粗忽長屋”とは“そそっかしい奴らが住む長屋”という事になる。あわててそそっかしい八五郎と落ち着いていてそそっかしい熊五郎。この落ち着いていてそそっかしい、という人物設定がこの落語のポイントである。ある日、浅草を歩いていた八五郎が行き倒れになった熊五郎を見つけて大あわてで当人の熊五郎に知らせにくる。行き倒れ当人の熊五郎は自分で自分の死骸を引き取りにゆく事になるのだが・・・。自分が死んだ事も気がつかないで平気で生きている男の話で、早い話が自分の葬式の喪主を自分で務めているような、そんなナンセンスの極みというようなのがこの“粗忽長屋”である。ともすれば不自然になりがちで”いくらなんでもそんな奴はいないだろう”と思うが、落語という芸の持つパワーがそのあたりの理不尽さを越えて、聞いた後で妙な気分になる不条理落語とも言える。さて、志ん生という人も売れない時代は長屋住まいで、その長屋は“粗忽長屋”ならぬ“なめくじ長屋”と言った。なぜ“なめくじ”かと言うと、あまりにひどい場所に作った為に、一年中家の中になめくじがいたからだという。そのなめくじも並の大きさじゃなかったとか。そんな長屋暮らしの貧乏の極致で培った志ん生の芸はおかしさの中にペーソスが漂い、またそんな生活を潜り抜けた先にある“開き直った明るさ”が最大の魅力である。 (収録時間:23’25”)
曲目
1
粗忽長屋