BIOGRAPHY
渡辺美里、吉川晃司などへの楽曲提供を行なうなどプロの作家として活動していたある日、スタジオで見せたヴォーカルパフォーマンスにレコード会社関係者がアーティストとして可能性を見出し、86年にシングル「Out
of
Blue」でEPIC/SONYよりデビューを果たす。デビュー以降次々にTOP10シングル・アルバムをチャートに送り込み、また全国ツアーにおいてもその圧倒的ステージパフォーマンスで、類まれなる説明不能の異色の才能として独特のポジションを獲得する。また89年には初主演映画「Peach―どんなことをしてほしいのぼくに」が公開される。90年代に入っても3枚のアルバム、9枚のシングルのリリース、2度の全国ツアーと活動する96年頃を境に徐々に岡村自身の作品や表舞台での活動から遠ざかって行く。逆に作家としての活動では<CHARA>への楽曲提供や<川本真琴>のデビューシングルをミリオンヒットさせるなどプロデューサーとして注目を集める。2000年に入りシングルを2枚発表し、01年にベストアルバム発売。02年、岡村靖幸の表舞台での活躍を熱望する熱狂的なファンはもとよりミュージシャンの間からもその待望論は沸き起こる。そして<朝日美穂>が中心となり、<くるり><クラムボン>など数多くのアーティストが参加した「岡村靖幸トリビュート・どんなものでも君にかないやしない」がリリースされ、参加アーティストが集まりイベントが行なわれるなど大きな話題を呼び待望論がピークに達する。その最中、突如以前より親交の深い<石野卓球>と驚愕のユニット「岡村靖幸と石野卓球」を結成、シングル「comebaby」をリリース。03年、ロックインジャパン・フェスティバルに7年ぶりに登場し復活。さらに東名阪のツアー「フレッシュボーイTOUR」を敢行。04年、およそ3年ぶりとなるシングル『モン-シロ』とおよそ11年ぶりとなる映像作品『Symposium
~岡村靖幸 フレッシュボーイTOUR 2003~』をDef Jam
Japanからリリースし、シーンへのカムバックを果たす。9月、約9年ぶりとなるオリジナルアルバム「Me-imi」リリース。全国7大都市+追加公演の東京ベイNKホールを含む10公演の「Me-imi
Tour」を敢行し、集客・内容ともに大成功をおさめる。
07年3月、小林武史主催の「AP
BANG!」フェスにて公の場に久しぶりに登場。復帰を待ち望むファンたちが詰め掛ける。そして禊を終え9月、待望のニューシングルリリース。