BIOGRAPHY
幼少の頃よりジャズに親しみ、15歳の時にグリニッジ・ビレッジを拠点に音楽活動を開始する。アポロ・シアターでの音楽監督を経て、1977年に音楽仲間であったベーシスト、バーナード・エドワーズと共にファンク・バンド、シック(CHIC)を結成。バンド内ではソングライター&ギタリストとして活躍。洗練された楽曲と斬新で力強いリズムが評判を呼び、当時盛り上がってきたディスコ・ミュージックの影響も受け、幅広い層から支持を集める人気バンドとなった。1980年代以降はバーナードとコンビを組み、プロデューサーとしての活動を本格的に開始。デボラ・ハリー(ブロンディ)を皮切りに、メイン・プロデューサーを務めたマドンナのアルバム「ライク・ア・ヴァージン」やデヴィッド・ボウイの「レッツ・ダンス」が世界中で大ヒットを記録すると、ダイアナ・ロス、デュラン・デュラン、ミック・ジャガー等、数々の大物アーティストを手がけ1980年代の音楽シーンを席巻する名プロデューサーとなった。1992年には久しぶりにシックとしての新作を発表。1996年には日本で開催された「JTスーパーサウンド」のプロデューサーを務め成功に導くも、共に来日していた盟友バーナード・エドワーズが急死するという悲劇に見舞われる。以降、映画・ゲームのサウンド・トラックや自社レーベルの立ち上げなどを中心に活動を続ける。2000年代にはグラミー賞の音楽監督を務める。近年、旧友のオマー・ハキムを従え、シックを再結成。全世界でツアーを行うなど精力的に活動している。2011年1月、ウェブサイトで癌の手術を受けたことを公表。2013年にはダフト・パンクの『ランダム・アクセス・メモリーズ』内の3曲に参加し、「ゲット・ラッキー」や「ルーズ・ユアセルフ・トゥ・ダンス」のミュージック・ビデオにも出演した他、翌年のグラミー賞授賞式ではダフト・パンクらと共に共演パフォーマンスも行った。