BIOGRAPHY
N★E★R★D
『ナッシング』(2010)
歳を重ねるごとに経験は増し、あらゆることを学び、おおきな発見がある。そのような発見と出逢えば、世界中にそれを伝えたくなる。これが、それだ。しかし、こういう類いの教訓めいたものは、時としてどこかジジ臭く聞こえる。いかにも眉間にシワを寄せ、「あの頃のわしはな・・・」などと、若い頃を振り返り、ノスタルジーに浸っている爺さんのように。しかしこの物語(ストーリー)は、たったいま起きている。未来の香りがし、むろん過去の断片が含まれているかもしれないが、確実に「いま」起きていることなのだ。
で、内容はというと、「無」。
『ナッシング』が、N★E★R★Dによる4枚目のアルバムタイトル。N★E★R★D(No-one Ever Really
Dies)は、ファレル・ウィリアムス、チャド・ヒューゴ、シェイ・ヘイリー3名による、ミュージシャン/プロデューサー/シンガー/ソングライターのユニット。ヴァージニア・ビーチで2000年に結成されたコンセプト・バンド。こうして10年を経た現在も、この音楽という名の惑星に「独自の空間」を創り出し、新たな世界を彫刻しているのが彼ら、N★E★R★Dだ。
驚くべきことに、もともとは違うアルバムを予定していた。2010年初め、ファレル、チャド、シェイの3人は、マイアミのレコーディングスタジオで仕上がった20曲を聴いていた。この20曲は、昨年からレコーディングし始めていた楽曲で、アルバムに収録予定のものだった。少なくともそう信じていた。いままでのアルバム、『イン・サーチ・オブ…』、『フライ・オア・ダイ』、そして『シーイング・サウンズ』、これらはどれも、ロックンロールの要素を取り込んだ音の”大気圏”を探求しており、限界やルールは皆無の「音楽的空間」を創り出していた。あらゆるバックグラウンドのファンが彼らの世界に魅せられ、心を奪われ、ジャンルを問わず影響されてきた。そういった意味でも、「そこそこ」のアルバムなら、それなりの結果が得られている筈だった。しかしもちろんN★E★R★Dは、「そこそこ」で満足するようなグループではなかった。
「何かが違った。ジッと座って、できた曲を聴いていた。どれも新しいサウンドで、ばっちり遊び心があって、もうちょっと手を入れれば、まともなミュージシャンなら満足できるような曲に出来上がっていた」と、シェイは語る。「でもね、わかるんだよなぁ。コアのファンには”わかる”んだよ。こんなの俺たちの音じゃねえって。」
「世の中とか、戦争とか、みんなやっぱり心配してるよ。いくら”変化(チェンジ)”とか言っても、日々の生活がガラッと変わるわけじゃない」と、ファレルは話す。「で、この20曲を聴いてみたんだ。ほんとに言いたかったことは、何も言えてなかったよ。大切なものが、欠けていた。」
で、N★E★R★Dは、この20曲全てを破棄し、ふりだしへと戻った。「無」へと、戻った。
「『無』から『なにか』を生み出すのは可能だと信じてる」と、チャド・ヒューゴは言う。「クリエイティヴになにかを表現したり、芸術をする者にとって、まずコップの水を捨てることが最初のチャレンジ。コップが空になれば、またそのコップを満たせるかどうか。過去の功績に頼ることなく、真新しいものを生み出せるかどうか。その問いが僕らの原動力となった。」
そう、すでに世界中で名を馳せている彼らでさえ、名声や評判に甘んじることなく、1年分の作品(コップの水)を全て破棄することにした。さらに自分たちを刺激し、質の高いものをつくるため。白紙の状態に一旦還り、再びスタートを切った。もっと良くするため。本物をつくるため。
ファレル、チャド、シェイにとってN★E★R★Dはどんな意味を持つのか?それを知るためには、まず”ザ・ネプチューンズ”から入ると解りやすいだろう。ファレルとチャドは”ザ・ネプチューンズ”というプロデューサー・チーム名のもと、限りなく多数のヒットを生み出してきた。まさにポップ・シーンの音を一変させた。彼らが関わってきたアーティストには、ジェイ・Z、ジャスティン・ティンバーレイク、ブリトニー・スピアーズ、スヌープ・ドッグ、ザ・クリプス、グウェン・ステファニー、などなどなど・・・(挙げていると文字通り枚挙に暇が無いくらい)。そしてその”かたわら”
N★E★R★Dが出来たと思いきや、そうではない。N★E★R★Dは彼らにとって、けっして”サイド・プロジェクト”なんかではなく、”メインのバンド”として、真に音楽探究心から結成されたものだった。ロックンロール、ヒップホップ、R&B、カントリー、ブルース、そしてサイエンス・フィクションを融合させたハイブリッド・サウンド。それは”人々の”音楽であるという声明だった。国境、肌の色、問わず。それが2001年、『イン・サーチ・オブ・・・』というアルバムになり、リリースされた。そして10年経たいま、このアルバムは「リスクを冒し、さらに探求を深めるアーティスト」のスタンダード、あるいはバイブルとしていまも活躍し続けている。『ナッシング』は、いわばその状態への帰還だと言えるだろう。
「感じたことや見たことを、ありのまま何でも言えたあの頃に、戻りたかった」と、ファレルは話す。「音楽をやり始めたころ、僕らには何も無かった。『なにもない』ってのはなかなかいいものさ。そこに戻れるってのは、なかなかクールなことだよ。」
当時からN★E★R★Dは、(表情には出さずとも)必死になって前に進みつづけてきた。成功とともに華美な贅沢ができたにも関わらず、まるで地元の飢えるクラブ・バンドのように、絶え間ないツアーで常に走りつづけてきた。1年間の3分の2は世界中のツアーに費やし、大都会から中西部の田舎町まで、音楽フェスから大学キャンパスまで各地でライヴを開催してきた。しかしまさに、これらの経験、生演奏、観客との共鳴、繋がりが、彼らの音楽のエッセンスであり、彼らが存在する意味でもあるのだ。
「トップに立ちたいなら、まずは現場に行かなきゃね」と、ファレルは言う。「現場っていうのは僕らにとって、ライヴ演奏なんだ。ライヴをやって初めて、ファンのリアクションが見える。ライヴには、自分たちの音楽もあるし、ファンもいるし、ファンのリアクションもあるし、全てが揃っている場所なんだ。」
「ニューヨークでもオーストラリアでも日本でも、観客の顔が見えるってのは最高の気分だよ。黒人や白人、ラテン系、男も女も、それからキッズも誰もかもが、僕らに向かって歌って叫んでくれる。体を揺らして、最高の時を過ごしてもらえる。それってほんとに素晴らしいことだよ」と、シェイは話す。
アルバム『ナッシング』は、そんなファンたちとの繋がりを大切にし、尚、『イン・サーチ・オブ・・・』への帰還の意味も込めている。帰還というのは、実際の音というよりも、姿勢や雰囲気というイメージで。「超70年代だよ。ルールなんて無くて、カラフルなデニムを着てたあの頃さ」と、ファレルは語る。シェイはこう続ける。「『イン・サーチ・オブ・・・』のインスピレーションが、アース・ウィンド&ファイアやスティーリー・ダンから来てるとすれば、『ナッシング』はザ・ドアーズやアメリカ(バンド)から来てるね。」
『ナッシング』はトラック数14曲という(デビュー作と同じく)タイトさで、よりパワーアップして戻ってきた。『フライ・オア・ダイ』や『シーイング・サウンズ』では、ストレートなロック・サウンドが聴けたが、今回の『ナッシング』は、ロックンロールにソウル感(グルーヴ)を込めている。リード・シングルの「ホットNファン」は、以前からザ・ネプチューンズのコラボ仲間でもあるネリー・ファータドを迎え、バウンス音満載の熱いサマー・クラブ・アンセムに仕上がっている。(オールド・スクールの雰囲気が漂う”ローラー・スケート・ジャム”には、デ・ラ・ソウルの影響も垣間みれる。ファレルもその可能性は否定しない。「誰と曲を作っても、ネイティヴ・タンの影響は僕のDNAに流れてるからね。」)
他の楽曲には「パーティー・ピープル」や「イン・ジ・エア」などがある。若者ウケするサウンドど、ファレルのハイピッチ・ヴォイスは健在で、女性は「聴いた瞬間から惚れる」ことまちがいなし。ファレルにとってのアプローチとは、「セクシーなことを歌うんじゃなく、マジなことをセクシーに歌う」のがコツだと言う。
N★E★R★Dが結成された当初、ファレルとチャドはこう語っていた。「N★E★R★Dっていうのは1つの考え方かな。人の真のエネルギーは魂(ソウル)にあって、たとえ死んじゃったとしても、エネルギーは生き残る。拡散するかもしれないけど、無くなることはない。」それがいちばん伝えたいことなんだろう。才能豊かなアーティストの彼らでさえ、過去の栄光にすがることなく、現在(いま)に集中している。いま創った音楽は、未来にもなくならない。そして彼らが創り出したのは、『ナッシング』。なくなるものなんて、ほんとはなにもないのだ(Nothing
Ever Really Dies)。
N★E★R★Dについて
「俺たちはエナジーとエモーションのみに従って音楽をつくっている。」とファレルは言う。「ジャンルなんて一切関係ない。そうだろ?自分たちの正体を明かすことだけを考えてればそれでいい。俺たちはイマジネーションと心の底から感じるフィーリングのみに従ってるんだ。それ以外に縛られる必要なんて一切ない。定められた枠内だけで音楽をつくるなんて楽しくないだろう?」と、彼らのサード・アルバム『シーイング・サウンズ』についてファレルは語る。
そうファレルが語る理由、それはアルバムのタイトル名にも隠されている。『SEEING
SOUNDS』というタイトル名は、「シネスシージア」(=共感覚)という神経学を基盤とする現象にコンセプトを置いているのだ。1つの感覚に刺激が与えられると、無意識(または超自然的)にもう1つの違った感覚にも影響が与えられる、という現象だ。たとえば、「赤」という色を視覚でとらえたとしよう。意識的に反応しているのは「視覚」だが、無意識のうちに「味覚」にも刺激が与えられている場合がある。「赤」を見て、「子どもの時に食べたブルーベリー・パイというおふくろの味」を口の中に感じていたり。「木々を揺さぶる風の音」を聞いて、無意識のうちに「鳥肌」が立ったり、など。とりわけN★E★R★Dに関して言えば、ある特定の音色やメロディーを聴いて、ロマンチックな青春時代をもう一度体験していたりすること、などと言えるのではないだろうか。
「ある時ディスカバリーチャンネルで、シネスシージアについてのドキュメンタリー番組がやってた。それを見ながら、俺たちが音楽を”見たり”、”聞いたり”、”つくったり”するときって、まさにコレを体験してるんじゃないのか、って思ったんだ。」と、アルバムのコンセプトを繋ぎ合せた本人、シェイは言う。「これは今始まったワケじゃなくて、以前から俺たちが音楽をつくるときは常にコレを体験してた。その現象に専門的な名前があるってのを番組で初めて知っただけでね。で、今回のアルバムのタイトルにもピッタリじゃん、ってことで『シーイング・サウンズ』に決めたのさ。」
「どんな思考でも感覚に刺激を与える。」とファレルは言う。「そして時々、それぞれの神経同士が複雑に交錯し合ってる場合がある。あるサウンドを聞いて、脳に刺激が送られるだけでなく、他の感覚も呼び覚ますんだ。すると懐かしいフィーリングや思い出、感情などがよみがえったりする。俺たちが音楽をつくるときも、その体験を大切にしているね。」
ファレルとチャド、彼らは熟練したミュージシャンであり、彼らが生みだしてきたヒット作品では必ず自分たちが楽器を演奏してきた。しかしN★E★R★Dの音楽づくりでは、もう少し正直で、感情的で、瞬間をとらえたものを目指しているという。それは音符が記された楽譜や、演奏技術、壮大なビート以上のものであると。「前回のアルバムがリリースしたのは5年前。そのときから現在までホント色んなことを経験してきた。」とシェイは言う。「今まで以上に自由に感じてるし、その自由を表現する必要があるとも思ってる。俺たちは今回、まるで初体験かのように音楽づくりを楽しんでるよ。」
『シーイング・サウンズ』のレコーディングにかけた期間は15か月。そしてそのアルバムは3人それぞれの人生を映し出したものでもある。世界中を廻り、さまざまな人たちと関わり合ってきた3人それぞれの。「そういった意味では、ほかのアーティストにプロデュースした曲では踏み込むことのできなかった内容も、自分たちだけの音楽には反映できていたりする。」とファレルは言う。
アルバムのファースト・シングル「エヴリバディ・ノーズ」は、まさに常識破りのソングライティング法と従来のロック・ミュージックを覆したトラックに仕上がっている。”トイレ待ちしてる女子みんなに告げる!”、という悪ふざけこの上ないリリックは、ヘヴィなベース音とドラムを軸にしたビートに乗せて歌われる。曲の全体像は、力強く挑戦的なヒップホップ・サウンドと、聴いている者をジッとさせないダンスかつパンク・サウンドで成り立っている。「何のこと歌ってるかリスナーのみんなは理解してるよ。」とシェイは言う。「俺たちが観察してきたことをそのまま曲にしてる。セックスやドラッグ、ロックンロール・メンタリティを匂わせるトラックだよね、コレ。」とシェイ。確かに淫猥、セクシー、リスキー、という形容詞が似合う曲でもある。しかしそんなイメージとは裏腹に、曲内容はアンチ・ドラッグをテーマにしていたりする。
アルバム『シーイング・サウンド』で一貫しているテーマが”エナジー”である。たとえば、「キルジョイ」というトラック。ビッグ・ダディ・ケインの高速ラップを彷彿させるようなファースト・テンポで展開され、ブレイク・ダウンでは激しいパーカッションがエモーショナルな雰囲気を誘っている。「アンチ・マター」というトラックでは、変化に富むテンポで曲が展開され、幻覚的なギター・ファンクと南部ヒップホップの図太いバウンス音、そして停止と開始が繰り返されるビート捌きによって聞いている者をジラせる。「スパズ」はインド音楽を題材に複雑なリズムを用い、ブレイク部分では激しい音同士が絡み合う。まさに”ジャンル破り”、”どのジャンルにもとらわれない”サウンドをつくるのが、彼ら3人の男=N★E★R★Dなのだ。
「これらの楽曲をライヴしてる自分たちを思い浮かべながら制作したんだ。」とファレルは言う。「それが優先事項だったな。やっぱステージではクレイジーに暴れまわりたいよな。だって弱々しい曲なんか作っても誰もジャンプしてくれないだろう。」
まさに。
ファレルはもう一歩先をゆく。「ステージに立ってこれらの曲を披露するってのがどれだけスリリングなことか誰にも分からないんだよ、実際自分がステージに立ってそれを経験するまではね。でもどうにかリスナーのみんなにそれを体験してもらいたかった。そして楽曲制作ではそこを目指したね。」
しかし『シーイング・サウンズ』収録すべての曲が派手な音調、というわけでもない。そしてその事実は、彼らの音楽の幅広さも物語っているだろう。「スーナー・オア・レイター」は1960年代のUKポップスシーンを彷彿させ、「Yeah・ユー」(ある女性にストーカーされるという実体験にもとづいた内容)は1970年代のソウル・ジャズシーンを醸し出している。
それぞれのサウンドがどう違えど、共通して言えることは、私たち誰もが感じたことのあるフィーリング(反抗、ケンカ、自信、切なさ、も含め)を「音楽」というカタチで表現している、ということである。それが『シーイング・サウンズ』であり、それは”聴覚が呼び覚ます想い出”なのだ。
「N★E★R★Dファンは個性的な人が多くて、それ以上にお互いの個性を賛美している人たちだと思う。」とファレルは言う。 「それぞれの人がまったく異なったバックグラウンドで育ち、人生を送り、まるで1人1人が自分だけの”型”を持っているような人たち。そんなに異なる彼ら彼女たちでも、N★E★R★Dの音楽という”1つ”の場所に集まってきてくれる。それは本当に素晴らしいことだし、自分たちの音楽でもそれを称え続けていきたいよ。」
「俺たちはカネのために音楽をやってるんじゃない。この素晴らしい”ムーヴメント”を残してくために音楽をしてる。それが俺たちの義務であるとも感じてる。そしてそのエナジーを生んでくれるのが、俺たちの音楽を聴いて、自分を見失うほど暴れまわってくれるファンのみんなでもあるんだ。」
準備はできたかな? N★E★R★Dがすぐそこまで来ているよ。
「N★E★R★Dが意味すること?N★E★R★Dは”No One Ever Really
Dies”(人間の本質は死なない)を意味する頭文字なんだ。”ザ・ネプチューンズ”が俺たちのイキザマで、”N★E★R★D”が俺たちの正体。まさに人生そのもの。根底にある信念こそが”N★E★R★D”ってところだな。俺たちのエネルギーって個人それぞれのSOUL(魂)で成り立ってると思うんだ。だからもし死んじゃって、体内から魂が抜けちゃったとしても、それはどこかで生き続けてる。だってエネルギーそのものは永遠だから。違う固体となって正体を現すかも知れないけれど、どこかに向かって動いてる。それが天国、もしくは地獄、いや、霧の中でもいい、大気圏でもいい、認識はされないのだけれど、どこかに向かって動いてる。それが俺たちの言う”正体”だと思うんだ。」 - ファレル・ウィリアムス、2008年。
★ファレル・ウィリアムスについて
ファレル・ウィリアムスは、既に音楽の歴史に名を刻み、ミュージックシーンで多大なる成功をおさめ、引っ張りだこのプロデューサーとして知られている。ザ・ネプチューンズの片割れとしてのファレルは、パートナーのチャド・ヒューゴとともに、大人気ポップ・アーティストの楽曲などに携わり、彼らのミリオンセールスアルバムに貢献している。ジャスティン・ティンバーレイクやネリー、そしてアッシャーなどがグラミー賞を受賞するキッカケを生みだしたのも彼らスーパー・プロデューサー・チーム=ザ・ネプチューンズなのだ。
プロデューサーというと影の存在というイメージがあるが、ファレルは表世界で既にスターとして活躍していた。彼のヴォーカルが聴ける数々のヒット曲や、彼自身が出演している数々のミュージック・ビデオなどがやはりその一因を成しているのだろう。チャドと幼馴染みのシェイと共に、N★E★R★Dはこれまで2枚のプラチナム・アルバムをリリースしている。それに加え、ファレル自身も大ヒット曲「フロンティン」を2003年コンピレーションアルバム『ザ・ネプチューンズ・プレゼンツ…
クローンズ』よりリリースしている。
ヴァージニア・ビーチ出身のファレルがそもそも最初にアルバムをリリースしたのは、ファンたちの奨励がキッカケだったと言う。「ファンのみんなはまるで俺のことを、アルバムをいくつもリリースしてきたアーティストのように迎えてくれたんだ。」とファレルは言う。「それがキッカケで、”こんなことやってる場合じゃない。アルバムつくらなきゃ”って思ったんだ。」
2005年の年頭、ファレルは『イン・マイ・マインド』のレコーディングに取り掛かっていた。そのアルバムでは、ヒップホップ面のファレルとR&B面のファレルをそれぞれ垣間見ることができた。ファレルはこう語る。「ヒップホップ・トラックでは、日ごろの俺の内面をさらけ出し、R&Bのトラックでは、俺の柔弱な面を映し出そうとした。」
アルバム『イン・マイ・マインド』のレコーディングには、チャドは関わっていなかったものの同じスタジオ内でファレルの姿を見ていたという。チャド自身、そんな彼からインスピレーションを受けることがあるとか。「俺たちが生まれ育ったのは小っちゃな町だったんだけど、色んなことを経験してきた。」とチャドは話す。「ヴァージニアって企業社会の典型的な場所で、ちゃんとした企業に就職するように育てられる場合が多い。だからそんな環境にいる俺たち自身も音楽始めたときは、長くは続かないだろうなって軽い気持ちだったのを覚えてるよ。でも音楽に対する俺たちの愛はマジだったからここまで来れたし、ファレルのアルバムでも”その愛があれば、君にも出来るんだぜ”ってメッセージが感じ取れた。彼の音楽を聴いてると、こっちまで感化されちゃうんだよな。」
ファレルと音楽は常に強固な糸で結ばれていた。彼は7歳の頃、両親とともに都市部を離れ、ヴァージニア・ビーチの郊外へと引っ越した。そこで音楽に対する彼の感性は研ぎ覚まされた。「俺が住んでた家はちょうど、”ザ・レネゲーズ”っていうバイカー連中の向かい側にあったんだ。ヘルズ・エンジェルス(オートバイク・クラブ)のようなものだね。」とファレルは回想する。「連中はロックばっか聴いてたよ。向かい側から大音量で聞こえてくるんだ、”ボーン・トゥ・ビー・ワイルド”なんかの曲がね。で一方、俺の家では、両親がアース・ウィンド&ファイアーを聴いてた。それでもラジオでは、リック・ジェイムスやクイーンがプレイされてた。この多様さは今でも俺の内部に浸み込んだままだね。」
ファレルが初めてチャドと組んだのは、中学時代のバンド・キャンプでのこと。同じ高校に進んだ彼らは、ハイスクールの文化祭でステージを共にする。それがニュージャック・スウィングの生みの親として大活躍していたテディ・ライリーの目に留まる。テディー・ライリーは、彼自身のグループ=ガイやボビー・ブラウンのアルバム『Don’t
Be
Cruel』、そしてキース・スウェットにアル・B・シュアとの曲作りで有名。その後、間もなくして、レクスン・エフェクトのダブル・プラチナム・シングル「ランプ・シェイカー」(1992年)のラップ・ヴァースを、テディ・ライリーのためにファレルが作詞することとなった。
その後、ファレルとチャドはSWVの楽曲プロデュースを任され、ついにショーン・”ディディ”・コムズにトタールとメイスの楽曲プロデュース/リミックスを任された。そして1998年のノリエガの「スーパーサグ」が大ヒットしたことにより、ザ・ネプチューンズの評価が爆発。以降、オール・ダーティ・バスタード、ノー・ダウト、ジャネット、ブリトニー・スピアーズ、イン・シンク、TLC、アッシャー、メアリー・J.
ブライジ、トニー・ブラクストン、ケリス、バスタ・ライムス、ベビーフェイス、マライア・キャリー、ジャスティン・ティンバーレクに至るまで、スーパーヒット曲には必ずザ・ネプチューンズあり、というまでになった。2003年のグラミー賞では、プロデューサー・オヴ・ザ・イヤー(ノン・クラシカル部門)も受賞した。
音楽以外にも、ファレルは様々なビジネスを手がけている。ルイ・ヴィトンのサングラスや、アパレル面ではA BATHING
APE®プロデューサーNIGO®との共同ブランド「Billionaire Boys Club®」「ICE CREAM™」など。
アイスクリーム・スケートボード・チームなども結成し、スケートボードの神=トニー・ホークと組んで、いわゆるスラム街で育つキッズたちをX-ゲーム競技大会に参加させるための呼びかけもしている。
これほどまでの実績をおさめているにも関わらず、ファレルは慎ましやかな態度でこう語ってくれる。音楽を通してリスナーのみんなに自分のヴィジョンを”見て”もらうことが出来れば嬉しい、と。
「ラジオやTVに”あの”衝撃をもう一度体験させてやりたいんだ。」とファレルは言う。「俺が子供のときは、TV画面に近寄って、ラッパーとビートを聴きながら”これマジヤバい!”って叫んだものさ。狂っちまうくらい興奮したね。”あの”フィーリングが恋しんだよ。自分が現在ここまで来れたことに感謝してるし、色んなチャンスが与えられる状況にいるってことにも感謝してる。だからせっかくのこのチャンスを生かして、”あの”フィーリングを取り戻すため、バッターボックスに立ってやるのさ。そして”カラー”(色)の壁なんてぶっ壊してやるぜ。それが俺のイキザマでもあるのさ。」