BIOGRAPHY

MYA


Mya _bio2全米No1ヒットに輝いた「レディ・マーマレード」など数々のヒット曲を送り出し、ミュージック・シーンで最も輝いている女性アーティストの一人としての 地位を確立したマイアは、80年ワシントンD.C.生まれ。父親がプロのミュージシャンだった関係で、子供の頃からヴァイオリンを習うなど音楽に親しん だ。当初はダンサーを目指し、8歳でT.W.A.(Tappers With Attitude)に加入。さらに、ニューヨークに出向いてthe Dance Theater of Harlemで名コレオグラファーのセイヴィオン・グローヴァー(ミュージカル『ブリンキン・ダ・ノイズ、ブリンギン・ダ・ファンク』にてトニー賞受賞) に師事し、ケネディー・センターでソロ・パフォーマンスを披露するまでになった。
一方、子供の頃からのもう一つの才能である歌にも意欲を注いでデモ・テープを制作。厳格なオーディションの末、ユニバーシティ・ミュージック社長ハック・ イズラムに認められて契約。1998年、18歳の時にインタースコープから待望のデビュー・アルバム『MYA』をリリース。ドゥルー・ヒルのシスコを フィーチュアしたファースト・シングル「イッツ・オール・アバウト・ミー」がポップ・チャートで6位、R&Bチャートで2位と大ヒットを記録。さ らに「ムーヴィン・オン」、「マイ・ファースト・ナイト・ウィズ・ユー」と次々にヒットを放ち、アルバムそのものも200万枚を超える大ヒットになった。 続いて、2000年にリリースしたセカンド・アルバム『フィア・オブ・フライング』はアルバム・チャートで最高15位と、前作を上回る大ヒットを記録。 「ケイス・オブ・ジ・シックス」(ポップ・チャートで2位)、「ベスト・オブ・ミー」、「フリー」とヒット曲も生まれている。自らのアルバムでシスコや故 レフト・アイ(TLC)、ジェイダキッス、ビーニー・マンといった人気者と共演している他、サントラ盤や他のアーティストの作品にも積極的に参加して、ブ ラックストリートやフォクシー・ブラウン、ジェイZら様々なアーティストと共演。R&Bからポップ、ダンス・ミュージックとジャンルを越えた人気 者と交流を図っている。
そんなマイアにとって大きなターニング・ポイントになったのが、バズ・ラーマンが監督したミュージカル映画『ムーラン・ルージュ』(01年)のテーマ曲 「レディ・マーマレード」だ。マイアに加えてクリスティーナ・アギレラ、ピンク、リル・キムという4人の人気者が競演したこの曲は、マイアにとって初の全 米No.1に輝いただけでなく、グラミー賞(ベスト・ポップ・パフォーマンス・バイ・デュオ・オア・グループ部門)など各賞を独占。マイアは21世紀を代 表するディーヴァにふさわしい第一歩を踏み出した。さらに、今年のオスカーを独占したミュージカル映画『シカゴ』(02年)にも重要な役(モナ)で出演、 子供の頃からの特技を生かしたミュージカル・スターとしての才能をアピールした。同映画を製作したミラマックス社は女優としての彼女の才能に注目、新たに 『ダーティ・ダンシング』のパート2に当る『Havana Night』にも出演が決定した。そして、待望のニュー・アルバム『MOODRING』が完成。シンガーとして、女優として絶好調の彼女だけに空前の大 ヒットになるのは必至である。