BIOGRAPHY

Moya / モイヤ


Photo _bioモイヤは何枚もの素晴らしいレコードで中心的役割を果たしてきました。彼女は、アイルランドのもっ とも重要なバンドのひとつであるクラナドのボーカルとして多くの歳月を過ごしました。彼女の音楽は国際的な映画のサウンドトラックや宗教音楽作品、いくつ ものTVシリーズ、あるいはダンス・アンセムにさえ使われてきました。崇拝を集めるシンガーとしての地位には揺るぎがありません。そして、彼女はニュー・ アルバム『トゥー・ホライゾンズ』がまた新たな画期的作品となることを確信しているのです。

「今まででベストの作品だと思う」と彼女は興奮気味に語ります。「ものすごく気に入ってるの。自分の声がこんなふうに聞こえたことって今までになかったわ。プロダクションは素晴らしいし、ハープの音は驚異的。それがこのレコードのとても重要な部分を担っているのよ」


モイヤはこの新しいレコードで、彼女独自のやり方でアイリッシュ・ハープを取り上げています。アイルランドの北西部 にあるドニゴール出身の彼女は、女学生の時にハープの演奏法を学び、それがハープに対しての永続的な愛情の発端となりました。しかし多くの場合、彼女は人 前で注目を浴びながら演奏するのを嫌がりました。彼女は、ハープが国の象徴として露出過多になり、広告などによく使われたため俗化してしまったと感じてい たのです。アイルランドの伝統の深い井戸から多くのものを汲み上げていたバンド、クラナドでさえ、ハープに対してはむしろ一線を画したような態度を取って いました。ところが、今回はそうではないのです。

 モイヤはこのプロジェクトを2001年の夏に開始しました。初期の段階から、このレコードはある程度物語的なものになる はずだと彼女は確信していました。この点で、彼女は新しいレコード会社と、とりわけユニバーサル・インターナショナルの重要人物マックス・ホールによって 大いに勇気づけられました。モイヤは定められたテーマを中心にして一連の歌をつないでいくことを目指し、ストーリーボード(主要場面を簡単に描いた一連の 絵を並べて貼り付けたパネル)を使って仕事を始めたのです。

 彼女はアイルランドの過去について思いを巡らし、盲目のハープ奏者ターロフ・オカロランなどについての書物をひもときま した。彼女は、多くの世界の伝統文化の中でハープ音楽が国際的に広まっていることにも夢中になりました。アイルランドのハープが、たとえば西アフリカの コーラ・ハープ(リュートに似たアフリカ起源の21弦の楽器)とつながっている可能性だってあるのです。ところでその一方、ある友人は、伝説によるとアイ ルランドの高貴な王たちが和解と至高の芸術を探し求めて出会ったとされている、タラという古代遺跡を調査していました。

 タイトルの『トゥー・ホライゾンズ』はある意味でタラ遺跡を訪問したことに刺激されて生まれたものです。彼女は夜明けの 直前に到着し、その丘に登ったとき、月は水平線上にあり、その真向かいでは太陽が昇ろうとしていました。まさにそれこそ過去と未来が出会う完璧なメタ ファーであり、そこは音楽と記憶と神秘がすべて具現化する場所だったわけです。

 モイヤはダブリン近郊にある彼女のホーム・スタジオとロンドンにあるプロデューサーのロス・カラムのスタジオとの間で、 レコーディング・セッションをふたつに分けました。ロスは今までにトーリ・エイモス、ティアーズ・フォー・フィアーズ、モイヤの妹であるエンヤなどのレ コードで仕事をしてきました。彼らはまず一緒に曲を書き始め、「Bright Star」という曲ではモイヤが非常に刺激を受けて駆り立てられたため、2時間で歌詞とボーカル・ラインを仕上げてしまいました。また、ロスはモイヤの声 を形作る新しい方法を見出しつつありました。「彼は私の音楽が流れからはみ出さないように気を遣っていたわ」と彼女は言います。「けれど、それでも彼はそ れにモダンでリズミカルな面を付け加えてくれたの」

 プロジェクトの勢いに乗って、彼女はハープに繰り返し立ち返るようになり、その結果一連の曲にハープが登場することにな りました。それはまた、タラで演奏された伝説のハープを見つけるため時間と空間を越えた探求の旅をする、というテーマにおいて、重要なモチーフになったの です。アルバムのレコーディングのある段階で、モイヤは話の筋があまりにも細かくなっていることに気づきました。だから彼女は、いろいろなことがもっと自 由に解釈できるようにしようと決めたのです。「人々がクラナドの音楽からどんな影響を受けたかについて私に話してくれるとき」と彼女は説明します。「彼ら はレコードをかけて、それを聞きながら自分自身の映像や感覚、感情を作り上げていくと言うの。だから、ある程度の部分は聞く人のイマジネーションに任せる ようにしたかった」
 
 アルバムのゲスト・ミュージシャンには、フォーク界の巨星マーティン・カーシー、ロビー・マッキントッシュ(ポール・マッカートニーのギタリストを務め ることもある)、そして旧友であり、現在はザ・コアーズと仕事をしているアント・ドレナンなどが含まれます。モイヤのバンドもいくつかの重要なセッション では生演奏を披露していますし、モイア・ブレナックやナイジェル・イートン、トロイ・ドネックリーら、トラディショナル・プレイヤーも多数参加していま す。

 モイヤは、クラナドが今後も活動を続ける見込みがあるのかどうかよく尋ねられるそうです。「バンドは今も存在しているわ。たとえ私たちが十分に時間を取っていないにしてもね」と彼女は強調します。「いまだにそこでやるべきことがあるのよ」

 現在までにクラナドは1000万枚ほどのレコードを売っています。モイヤと彼女の二人の兄弟、ポールとキアランは初めて のショーを70年代に叔父であるノエルおよびパドレイグ・ドゥガンとともに行ないました。メンバー全員が第一言語(母語)としてゲール語を話したので、彼 らの商業的勝算はささやかに思えました。しかし、彼らは1982年に大ヒット・レコード「Theme From Harry’s Game」を作り、この曲は全英チャートの5位まで昇り、10年後に映画『パトリオット・ゲーム』のサウンドトラックに登場しました。1986年にクラナ ドは、モイヤがU2のボノとともにボーカルを取る「In A Lifetime」をリリースしました。コンピレーションの『Pastpresent』は1989年に全英アルバム・チャートの5位を記録しました。バン ドはグラミー賞を受賞(1997年の『Landmarks』)し、『ラスト・オブ・モヒカンズ』や『ロビン・フッド』にテーマ音楽を提供、一方モイヤは 1995年の『サークル・オブ・フレンズ』でテーマ曲を歌ってもいます。また、彼女はポール・ヤング、ブルース・ホーンズビー、ジョー・ジャクソン、ロ バート・プラント、シェーン・マクゴーワン、ポール・ブラディ、ラッセル・ワトソンなど大勢の音楽界のきら星たちと共演を行なっています。1999年に彼 女はシケインとともに「Saltwater」という世界的な大ヒットを放ちました。

 モイヤのソロ・アルバムには『Maire』(1992年)、 『Misty Eyed Adventures』(1995年)、 『Perfect Time』(1998年)、そしてグラミー賞にノミネートされた『Whisper To The Wild Water』(1999年)があります。
 彼女の自伝『The Other Side of the Rainbow』(2000年)では、音楽や名声、災難、愛、精神性といったことが力強く誠実に描かれていました。

『トゥー・ホライゾンズ』のプロジェクトは、モイヤとロスにとって満足のいく80分の音楽を生み出しました。最終段階でク リス・ヒューズ(プロデューサーとしてもつとに有名)がレコードの最終編集を監督するために参加、完成作品に磨きをかけるべく新鮮な耳と経験とを提供した のでした。

「アルバムを最終的な収録時間にまで削ぎ落とすのは途方もない仕事だったわ。だけど、私たちは当初考えていた本質的なものをうまくまとめ上げたのよ」とモイヤは言います。

 同じような共同作業が『トゥー・ホライゾンズ』のフォト・セッションやデザイナーとの仕事でも行なわれました。アート ワークと衣装は『トゥー・ホライゾンズ』のテーマと音楽の精神性を反映したものになっています。誰もがこのプロジェクトの描く大きな像をきちんと確認して 理解していたと思えたのが、モイヤにとってはきわめて満足のいくことだったのです。

「次はこれをステージにかける番よ」と『トゥー・ホライゾンズ』がもたらすさらなる挑戦を楽しむかのように彼女は言います。「きっとものすごく楽しいことになるでしょうね」

BY スチュアート・ベイリー