BIOGRAPHY
MONEY MARK
ビースティ・ボーイズ第4のメンバーとして、彼らの音楽性を大きく変えてしまうほどの影響を与え、その後もベックのツアーや、ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンのアルバムに参加。その名を広く知られることとなった元大工のキーボード・プレイヤー、マニー・マーク(マーク西田)。「ソウルがありゃ機材の良し悪しなんて関係ない」と言い放つローファイ魂を炸裂させ、エモーショナルな歌声と流行やカテゴライズを無視したおっとりうっとりサウンドを無邪気に奏でるマルチ・タレント・プレイヤー。オモチャのレコード・プレイヤーでスクラッチしたり、マイクや葉っぱをくわえて唸ったりと、もうやりたい放題なスタイルも当時のストリート・シーンで大きな話題を呼び、BATHING APEやADDIDASなどといった人気アパレル・ブランドとコラボするなど、まさにストリート・カルチャーのカリスマ的存在として人気を博す。ジャンルは幅広く、ロック、ジャズ、ファンク、ヒップホップ、エレクトロ、50’s、60’s、70’s、…と絞ること不可能。ソロ活動としては95年にMo’Waxからデビュー・アルバム『マークズ・キーボード・リペア』を発表、98年『プッシュ・ザ・ボタン』で各メディアから「オルタナティヴ界最高のサウンド・プロデューサー/メロディー・メイカー」と称される。その後2001年『チェンジ・イズ・カミング』、2005年『ファーザー・デモ・スクエア』、他サンタナやベック、ハンサムボーイなどのアルバム制作参加や、サーフ&アート・ムーヴィ『スプラウト』サントラへの楽曲制作などとコンスタントに作品を発表。そんな彼がサーフ・ミュージック界のスーパー・カリスマ=ジャック・ジョンソンと出会うのは90年代後半。プロデューサーのマリオ・カルダートJr.が彼らを引き合わせ、2005年のジャックのジャパン・ツアーではメイン・キーボディストとして全ツアー参加、その後ジャックがマークの才能に惚れ込み、遂にはジャックのレーベル=Brushfire(ブラッシュファイアー) Recordsと契約するまでに至る。