最上川 司、感極まって遂にデビュー!
山形発!世界初!! 大型新人ビジュアル系演歌歌手、最上川 司のデビューが決定!
レーベル公式サイトもオープンいたしました。
2015年を代表する望郷演歌の名曲が生まれた!
デビュー・シングル「まつぽいよ」
配信:2015年5月13日
CD:2015年6月10日
*詳細は後日掲載いたします。
「自分を育ててくれた“演歌”で自分の感謝を伝える決意」
山形県の河北町谷地に逆子で生まれる。演歌好きの父の影響で、物心がつく前から歌い始めた司。3歳の時に親が応募した山形テレビの番組「ちびっこドーン」で幼い声で「北国の春」を歌う歌声を親がラジカセで録音。そのテープはその時の特別賞のメダルと共に、今でも本人の原点・宝物として大切に保管されている。
「子供のころから演歌が好きで好きでしょうがなかった」と本人は語る。
人前で歌いたくて、町内会のお祭りのカラオケ大会に何度も出演。学年発表会で民謡の合唱でソロパートを任されたり、度々の遠足や旅行のバスの中で演歌をうたう。地元のお祭りなどのカラオケ大会に多数出場。優勝、準優勝等受賞。周りの大人たちは喜んでくれたり褒めてくれたりしたが、同世代で演歌を聴く友達はおらず、小学校時代はクラスで変わり者扱いされていた。そう言ったこともあり、中学校の3年間は演歌は家で聴いたり歌ったりと、演歌好きな部分は内に留めていた。
高校に入ると、周囲の友人も徐々に理解を示したり面白がってくれるようになる。高校1年の文化祭のカラオケ大会で思い切って“兄弟船”を歌った。バンドライブコーナーでメタリカのコピーバンドでドラムをたたいたが、演歌の方が大ウケで動員は3倍以上だった。演歌だって人気者になれる事を確信したと同時に応援してくれる友達に感謝した。初めて作った演歌歌謡曲が周囲の友人達にウケてカセットテープを無料配布したり、寒河江市民文化会館にて行われた吹奏楽部定期演奏会で、吹奏楽の生演奏で演歌を披露したりした。高校3年の卒業式後、近所のスーパーマーケット店頭にてバンドで阪神大震災の復興募金ライブを敢行。募金を送り山形新聞に掲載される。
高校卒業後、地元でバンドを継続する。演歌で一人前になるためには、権威のある歌謡大会で優勝したり、師匠に弟子入りしたりして目指す、厳しい世界だということはわかっていたが、具体的にどうすればいいのかわからない状態のまま、知人のバンドに誘われそのままビジュアル系ロックの世界に入って行く。1999年、上京し、ビジュアル系バンドD’espairsRayを結成。ドラムと作曲を担当。「ダークと破壊」をテーマに国内での人気も沸騰。国内もさることながら、海外での活動も積極的に行い、2006年には欧米9か国のライブで総動員数1万5千人を記録。鳴り物入りで、ユニバーサルミュージックからメジャーデビューするも、2011年にバンド解散。
自分の足元をちゃんと見直すタイミングが来たと感じ、演歌を本格的にやろうと決意。細川たかしさんや吉幾三さん、堀内孝雄さんのような方々を目指して、自分なりのやり方で曲を作り、想いを伝えていこうと模索し、歌の練習にも励んだ。しかし、自分が思う様にはなかなか上達せず、心が折れたときにTHE MICRO HEAD 4N‘Sに誘われる。メンバーの熱心な誘いもあり、やはりバンドでやっていこうと、演歌の道をまた諦めてしまう。
THE MICRO HEAD 4N‘Sに加入して半年くらい経ったころ、ライブの打ち上げでリーダー兼所属事務所社長のkazuyaに子供のころからの演歌の夢の話した。それをきいたkazuyaに、「夢のままで終わらせるのはもったいない。バンドと掛け持ちでやってみなよ」と言われ、他のメンバーも賛同。それを機に演歌の曲作りを再開する。
演歌歌手になるためには、もっともっと歌の修行が必要だという事もわかっている。でも、音楽には歌の上手い下手関係なく人の心に訴えかける力があるはず。親、近所のおじさんおばさん、クラスメイト、そしてバンドの仲間を始めとして自分は周りの人たちにここまで育ててもらった。自分がどれだけ感謝しているのかを、自分なりのやり方で、自分の言葉で、そして自分を育ててくれた演歌という手法で精いっぱい表現してゆきたい。もしかしたらそれは世間の人が思う演歌とは違うかもしない。でもそれは自分の言葉や方法ではじめて一番正直に伝える事が出来るのだ。自分ができる事を一生懸命やる、それだけだ。
山形を流れる日本三大急流のひとつ最上川を名乗り、故郷と親と友達への熱い想いを伝えるため、司は今マイクロフォンを握る。「まつぽい」愛しさを故郷に今伝えるために。