魅惑の’レディ’で全世界のダンス・フロアーを熱くさせた新星パリジャン・ユニット、MODJOの正体が遂に 明らかになる!!
モジョの革新的名曲”レディ(ヒア・ミー・トゥナイト)”-その楽曲を世界の誰もが平均9回は聴いているという調査結果がSpurious
Facts.comより報告された。ファンキーなハウス・トラックにフィルターを加
えたことで知られているが、デビューと同時に彼らのオリジナリティーをまざまざと見せつけたデュオ。
R&B、ソウル、バラード、純粋でアップ・テンポなポップから、ノリのいい、ファンキーなディスコ・ハウス
まで彼らの領域は幅広い。昨年、日本中のクラブでもかかりまくり話題になったことも記憶に新しい。こ
のフランス人の二人組ロマン・トランシャーとヤン・デスタニヨル。彼らはいったい何物なのか?
Romain Tranchart (ロマン・トランシャー)
モジョのメンバーの一人であるロマン・トランシャーはビジネス色が強く、言うなれば相場師だ。売上高や
様々な賞、ラジオでのオンエア回数を語るかと思えば、ダンス・ミュージックなど音楽全般についてまで幅 広く語る。
1976年6月9日、パリ郊外、外交官の息子として生まれたロマンの初めての音楽的経験はピアノだっ
た。父親の仕事上、メキシコ、アルジェリア、ブラジルなど様々な国で幼少時代を過ごし、以外にもメタリカ
やメガデスに没頭していたギター少年だった。ハードロックからロックへ、ロックからブルースへ、ブルース
からボッサ・アンド・ジャズへと移行しなら、ロマンは音楽の世界にどんどん浸っていった。17才で、彼は
パリに落ち着き、アメリカン・スクール・オブ・モダン・ミュージックに入学しヤンと運命的な出会いをする。
Yann Destagnol (ヤン・デスタニョル)
モジョのボーカルを担当するヤン・デスタニョルは1978年7月14日、パリ北部、医者の息子とて誕生し
た。彼もロマンと同様に幼少時代を様々な場所で過ごしてきた。5才の時、両親が離婚したため、その後
過ごした叔母の家での一年間に彼はフルートに並々ならぬ興味を示し始めた。ヤンにとっての世界とは全
て音楽であり、音楽こそが彼の全世界だった。そのヤンの子供ながら音楽に没頭する姿に両親は彼が自
閉症ではないかと恐れたほどであった。ヤンが初めて聞いた曲はキンクスの”ダンディ”だったという。また
それだけに留まらず、ポリスやピンク・フロイド、クイーンが幼いヤンを興奮させた。フルートを4年でマスタ
ーした後、クラリネット、ピアノなども始め、ドラム、ギター、歌唱、フォー・トラック・レコーダーと、音楽活動
を続けていくことになる。
ロマンとヤンはパリで入学したアメリカン・スクール・オブ・モダン・ミュージックでの、共通の友人を通して
知りあった。自分と同じように音楽に入れ込んでいる人物に出会ったのは、ロマンにとってヤンが初めてだ
った。毎週火曜日、ロマンとヤンは音楽について語り合い、制作するために集合した。そしてすぐに彼らは
独自の音楽を生み出し始めた。ロマンのビートとグルーヴ、サンプリング、ヤンのミニ交響楽、心のこもった 歌詞・・・。
彼らがハウス音楽の制作に取りかかったある日、もう少しR&Bっぽいものをやろうとロマンはヤンに提
案した。ヤンもそれに同意し、彼らは一緒に曲を仕上げた。翌日、ロマンがCHICの’Soup For One’のル
ープを使って作り上げた曲のグルーヴ感をヤンも一発で気に入り、歌のハーモニー部分を書き上げた。タ
イトルはあの”レディ”である。
その後といえば...初めてUKチャートでナンバー・ワンになり、去年の夏、ヨーロッパで最も売れ、最も
オンエアされたレコードに大化けしたのだった。そして世界の期待に応えるべくホットなダンス・ナンバー
‘チリン’へと続き、遂に、エネルギーと、人生の浮き沈み、多様性、実験性、発見がギッシリと詰まった入
魂のデビュー・アルバムが「modjo」である。