BIOGRAPHY
MICKY GREEN / ミッキー・グリーン
世の中の女の子たちは確実に変わってきた。繊細なフォークバラードを歌うシンガー・ソングライター
ミッキー・グリーンのその天使のような顔、ブロンドの髪、大きな緑の瞳は、スヌープ・ドックのDVDを何度もくり返し見ているようにはとても見えない。アメリカ西海岸のラッパーの中でも特にマッチョである(そして世界で最も面白い)ことで知られるスヌープ・ドックは、オーストラリア人のミッキーにとって偉大なミュージシャンなのだ。
物怖じしないミッキーは、めそめそとした失恋のラブソングや大げさなビデオが特徴的な”昔のマライア・キャリー”を時々楽しむこともあるようだ。だからといってデヴィッド・ボウイやエリカ・バドゥを聴かないわけでもない。
見た目は当てにならない。それがまたいい。
両親にはMichaela
ミシェーラ(先祖はオランダ人)と呼ばれているミッキーは、モデルになるため18歳の時に家を出た。モデルになることは、子供時代からの夢?―どうやら違うらしい。「世界を見るには、いい仕事だと思ったの」と、彼女は言う。世界を見ることと音楽にしか興味を持たない若者にとっては特にそうすることは、自然なのかも知れない。そう簡単には音楽だけで生計を立てることは無理である為、彼女は時々モデルの仕事をしていた。iPod代を稼ぐ為にも。夢ばかり追いかけていた彼女は6個ものiPodを無くしている。「友人の家でiPodを曲でいっぱいにするの。ボブ・マーリーとか、必須だと思うアーティストの代わりに、全く知らないアーティストに差し替えて聴くのが好きなの。」
アルバム『ホワイトTシャツ』に収録されているトラックの殆どを、ミッキーはボーッとできるホテルの部屋や飛行場の待合室で書いた。この4年間、いつも持ち歩いているノートにすべてを書き留めてきた。曲の中にはまだ彼女がティーンだった頃に書いたものもある。ミッキーはもう長いこと曲を書いてきた。
中等学校に通っていた頃は一番男っぽい楽器、ドラムをバンドで担当していた。別に女の子だからってルールに従う必要はない。その前は、独学でピアノもおぼえた。父からの影響を受けて(父は友人たちとバンドを組んでいた)、歌うこともおぼえた。両親が離婚した時には(”別に珍しくも大したことでもない”)、シドニーの郊外で母親と平穏に過ごし、家ではフリートウッド・マック、ハート、そしてグラムロックを二人で聴いていたそうだ。放課後にはお小遣いを稼ぐために、ショッピング・センターの中にあるレコード店でバイトをした。「すぐにお金の大切さと、自立することを学んだわ。」
ミッキーはガレージ・バンドのソフトとPCのマイクを使ってデモを制作。テーブルや脚を鉛筆で叩きながら、リリックを更に引き立たせるマイクロビートを加えた。彼女は常に人生を独特な立場から見ている:タバコの持ち方、Tシャツの色(この場合は白しかない)、間違い、疑い...
そんなもろさと飾り気のなさは、例え楽器が変わったとしてもちゃんとアルバムから伝わってくる。それはルノー・ルタン(ファイスト、マヌ・チャオ、ジェーン・バーキンなど)がプロデュースを手掛けたからに他ならない。スタジオでは二人の間には殆ど会話はなく、共通の好きな音楽を聴いていただけだった。共通の好きな音楽とはラップである。グルーヴの滑らかさを取り入れるには、ループが役立った。ゆったりとしたシンプルな考えは、彼女と彼女の曲を特徴づける。「ロンドンとパリに来て、みんなビーチサンダルを履かないんだって気付いたの」と、彼女は話す。それでも騒がしい都会が居心地よかったのだろう。彼女はそこに残ることにしたのだから。「人生の中でこのレコーディングの時ほど、遊びに出かけたことはなかったわ。毎晩のように友だちとパーティーしてたの。私にとって本当に刺激的な時期で、それを表現しない訳にはいかなかった。」
甘い歌声のシンガーだからと言って、おとなしい真面目な娘とは限らない。