BIOGRAPHY
MICHEL POLNAREFF
ミッシェル・ポルナレフ年譜
資料作成:Special Thanks to MAKOTO YONEDA
●生い立ち
1944年7月3日、第二次大戦中、両親の疎開先だった南仏のロットという街で生まれる。父親はレオ・ポルという変名で、エディット・ピアフやイヴ・モンタンにも曲を書いていたロシア出身の音楽家だった。ミッシェルは幼少期からピアノやソルフェージュでアカデミックな音楽教育を受け、コンセルバトワール(パリ音楽院)に通
うがクラスでも1番の成績を修めていた。しかし、その後エルヴィス・プレスリーを知りクラシック音楽への情熱を次第に失っていく。そして20才で7ヶ月の兵役を勤めたのち保険会社にいったん就職する。クラシック音楽の道への復帰を強要する両親との仲が悪化し、ついにギターを手に家出を決行。ヨーロッパへの放浪のすえパリに戻り、有名な音楽出版業者ロルク・マルボに出会いレコード・デビューにいたる。
●ついにデビュー
1966年5月、レコード会社Disc
AZから4曲入りEP「ノンノン人形」でデビュー。いきなり数週間で15万枚を超える大ヒットとなる。6月には2枚目となるEP「愛の願い」をリリースするがこれまた大ヒットを記録。すぐさまヨーロッパ各国や日本(10月にテイチクよりシングル「ノンノン人形」が発売)でもリリースが決定し、11月には本国でファースト・アルバムを発表するに至り、一躍スターダムにのぼりつめる。1967年から1971年にかけても、シングル数枚と2枚のオリジナル・アルバムをリリースし、「渚の思い出」「想い出のシンフォニー」など大ヒットを連発した。
●日本で「シェリーに口づけ」が大ヒット
1971年8月21日にCBSソニーよりシングル盤「シェリーに口づけ(c/w
初めての愛)」と、ファースト・アルバムに「シェリーに口づけ」を追加収録したアルバム「愛と青春のトルバドゥール/
ミッシェル・ポルナレフ1」が発売される。日本各局のラジオ・チャートでトップに入り、40万枚を売り上げる大ヒット・シングルとなった。それまで、テイチク、日本コロムビアからもシングル、アルバムともに日本発売されていたが、’実質的な日本デビュー’はこのとき果
たされる。勢いをかって10月にはシングル「愛の願い」、アルバム「フレンチ・ポップスのスーパースター/
ミッシェル・ポルナレフ2」(フランス盤のセカンド・アルバムと同内容)をリリースされ大ヒットした。
1972年になり、フランスでは、発売されたシングル「愛の休日」が大ヒット。日本では、サード・アルバム「ポルナレフの世界/
ポルナレフ3」と日本編集盤「ポルナレフ・ナウ」(1~3に収録されていなかったヒット曲をまとめた内容)が発売になる。この年の10月オランピア劇場でのコンサート「ポルナレボリューション(ポルナレフ革命)」が開催されたが、公演に先立って、ポルナレフ自身の裸のお尻を露出したポスターが貼り出され、大きなセンセーションを巻き起こした。
●初来日
1972年11月ついに来日を果たし、17,18日両日に日本武道館で開催された「第3回世界歌謡祭」にゲスト出演。19日に郵便貯金ホール、20日に新宿厚生年金ホールにて初の来日コンサートを実施。大掛かりな照明装置を駆使し、聴覚だけでなく視覚をも十分に刺激するその派手なステージの演出に、会場は興奮のるつぼと化した。以後、1979年まで計4回の来日コンサート・ツアーが行われることに。
●ロスへの移住
1973年4月に再びオランピア劇場でのコンサート「ポルナレーヴ(ポルナレフの夢)」を開催。3週間にわたる最終ステージで、フランスとの訣別宣言をする。その後、ニューアルバムの完成を経て、本格的なアメリカ・デビューを目指してロサンジェルスへ移住。その間、2度目の来日公演を成功させ、日本では11月にアルバム「ポルナレフ革命」(本国フランスでは翌年「POLNAREVE」としてリリース)が発売になった。
●その後~近況
ロスに移住してからは、いくつかの映画音楽を手掛けたりしたが、アメリカでの成功を手にすることはなかった。80年代に入ってからはふっつり音沙汰がなくなり、いくつか発表されたアルバムも大きな話題になることはなかった。90年代に入って、1995年にアメリカでライブアルバムのレコーディングのために、ハリウッドのナイトクラブ「ROXY」でコンサートを行う。1996年には、そのライブアルバム発売前に2時間を超える特集番組「ミッシェル・ポルナレフを探して」が放映されもした。1999年には、パルプ、セント・エティエンヌ、リリキューブ、日本からもピチカート・ファイウが参加したトリビュート盤がリリース(日本盤は東芝EMIより)。さらには本人のニューシングル「JE
REVE D’UN MONDE(僕は世界を夢見る)」も発表された。
日本でのチャート状況 (オリコン・チャートより)
●シングル |
最高
位 |
登場回数
|
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1971年 | 「シェリーに口づけ」 |
6位
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26週
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「愛の願い」 |
80位
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5週
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1972年 | 「哀しみの終わるとき」 |
71位
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8週
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「渚の想い出」 |
83位
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5週
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「愛の休日」 |
6位
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28週
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1973年 | 「忘れじのグローリア」 |
33位
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17週
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「火の玉ロック」 |
55位
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11週
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「愛の伝説」 |
27位
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18週
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1974年 | 「僕はロックンローラー」 |
40位
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11週
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「悲しみのロマンス」 |
87位
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3週
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「悲しきマリー」 |
76位
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9週
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●アルバム |
最高
位 |
登場回数
|
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1971年 | 「愛と青春のトルバドゥール/ポルナレフ1」 |
97位
|
1週
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1972年 | 「ポルナレフ・ナウ」(日本編集盤) |
44位
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37週
|
「ゴールド・ディスク」(ベスト盤) |
15位
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68週
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1973年 | 「ポルナレフ・ア・トーキョー」(ライブ盤) |
8位
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30週
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「ギフトパック・シリーズ」(企画盤) |
26位
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19週
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1974年 | 「ポルナレフ革命」 |
15位
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20週
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「熱狂のオランピア」 |
25位
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8週
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「ポルナコレクション」(日本編集盤) |
37位
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11週
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