BIOGRAPHY
人口800人のジョージア州ロバータ - エキセントリックなキャラクターに溢れ、南部らしいウィット、そして十代独特の孤独に囲まれたそんな環境の中でクリアな歌声と鋭い洞察力を身につけて生まれたのがシンガー・ソングライター、MEIKO。すぐに多くのファンを獲得した彼女は、程無く西海岸で最も魅力的で有望なアーティストとなった。
「中学生の私は自分の場所を見つけることィット、そして十代独特の孤独に囲まれたそんな環境の中でクリアな歌声と鋭い洞察力を身につけて生まれたのがシンガー・ソングライター、MEIKO。すぐに多くのファンを獲得した彼女は、程無く西海岸で最も魅力的で有望なアーティストとなった。
ができないで退屈していたんだけれど、それが私のクリエイティヴィティにとっては役に立ったの。だって自分の部屋に独りでこもってギターをずっと弾いていたから。あとは自由に外を走り回ることもできたっていうのもあるわ。森のど真ん中で育つととにかく想像力がずば抜けるのよ」とMEIKOは回顧する。
『ザ・ブライト・サイド』は、MEIKOのセカンド・ソロ・アルバム、そしてファンタジー・レコード/コンコードでのメジャー・デビュー作だ。リスク、後悔、優しさ、そして愛を恐れることなく歌う個人的な曲の輪。忘れることのできないメロディと歌詞の鋭い視点が、『ザ・ブライト・サイド』にパワフルさとアーティスティックなパンチを与えている。
ロサンジェルスに活動の拠点を置くMEIKOは、「恋愛とか人とか愛だとかそういうものに対して悲観的になるのをやめようって心に決めた、そんな転機が訪れたの。それこそ『ザ・ブライト・サイド』。でも音楽的には色々な側面がある。エレクトロ・ビートもあれば、レトロ、それにR&Bもあるわ。やりたいことは全部できたの」と語る。
ミーコと発音されるMEIKOという名前は、彼女が引き継ぐ四分の一の日本人の血に由来する。そんな彼女が2008年にインディーズで発表でファースト・アルバムは、失恋の痛みと問題だらけの恋愛の歌ばかりだった。確かに傷ついた心こそこの上なく作曲に役立つものだ。このファースト・アルバムは、悲しいブルーな雰囲気に覆われており、昼と夜を一緒に過ごせる人を探し続ける20歳ちょっとの女の子の物語を語っていた。
「新しい曲は全部ギターで作曲したんだけれど、このアルバムはもっと活き活きしたものにしたかったの。ビートに手を加えたら皆が踊れるような作品になったわ。今回はアコースティック・ギターにピアノ、ストリングス、ホーン、そしてバックグラウンド・ハーモニーにあらわされるように、彩り、層、そして質感に厚みがもっとあるの」とMEIKOは言う。
必要にかられて自分で音楽活動を始めたMEIKOは、一握りの元気と想像力が必要だということ、そして暇にとって代わる楽しみ反抗精神になり得ることにも早い段階で気づいていた。家族が暮らしていたのは父親が作ったログハウス。父親はよく家の中でクラシック・ロックを弾いており、MEIKOもすぐにギターが弾けるようになった。5歳のときに初めての曲を書き、そして8歳の時に「ホワイト・クリスマス」で初めてその歌声を教会で披露し、その声に磨きをかけていった。
2001年、大学で1学期だけ勉強したMEIKOはジョージア州を離れ、ロスに引っ越した。そこから初のライヴを敢行する勇気が出るまで何と5年もかかったが、そのショーは壮絶なものだった。
「2人の観客だけのために演奏したの。舞台の上にいる間『観客が2人だけだなんて、最悪』ってずっと思っていた。ショーが終わってから来てくれたことのお礼を言いに行ったら、その一人は耳が聞こえなかったの」と、MEIKOはその時のことを述懐する。
とはいえ、彼女の音楽に耳を傾けない人がいる状態はそう長くは続かなかった。若きシンガー・ソングライターたちの登竜門であるハリウッドの「ホテル・カフェ」でバーテンダーとして働いていた2007年、MEIKOは念願のオープニングの時間枠をもらった。その瞬間から彼女はギグを精力的に続け、演奏できる場があればパフォーマンスを行った。その結果、彼女は街中の人気クラブやライヴ・ハウスで最注目のアーティストとなった。
自主制作だったファースト・アルバムはMySpaceレコードから同年後半に再販され、2008年Triple Aラジオでトップ15位に早速上りつめてヒットとなった「ボーイズ・ウィズ・ガールフレンズ」という新曲も加えられた。KCRWやサンタモニカでもっとも影響あるラジオ局NPRパワーハウスなどでのヘビー・エアプレイによってさらに注目が集まり、取材も増えた。そのような注目がさらに音楽業界の重鎮たちの目にとまり、『グレイズ・アナトミー』、『ワン・ツリー・ヒル』、『プリティー・リトル・ライヤーズ』そして『恋のからさわぎ』など、テレビ番組や映画での曲の使用につながった。
「2007年から2008年はほとんどツアーづくしだったわ」と言いながら、MEIKOはハンソンとのヨーロッパ・ツアー、全米各都市でのソロ・コンサート、コナン・オブライエンやカーソン・デイリーのショーなどの深夜テレビなどを列挙する。その間も彼女は新作にむけて何十曲も精力的にしたため、観客の前でその反応をみるために演奏し、彼女と観客の仕掛けた高いハードルに堪えられるかを確認した。
ジョージア州ロバータからはかなりの長い道のりだったが、MEIKOの歩んだ長い道は決して平坦なものではなかった。とはいえ、それが重要なことではないのかもしれない。旅の途中の美しいごたごたこそが人生の醍醐味であり、MEIKOは『ザ・ブライト・サイド』の中でそのジェットコースターのような旅路を荘厳な形で記録しているのだ。