BIOGRAPHY
DATA
[来日]
初来日 1993年10月 プロモーションで初来日
2回目 1996年3月 初来日公演
3回目 1998年1月 2度目の来日公演
4回目 1999年11月 プロモーション来日
5回目 2000年3月 来日公演
6回目 2002年11月 プロモーション来日
7回目 2003年6月 来日公演
8回目 2005年3月 プロモーション来日
9回目 2005年5月 プロモーション来日
10回目 2006年10月 来日公演
11回目 2008年5月 プロモーション来日
12回目 2009年10月 プロモーション来日
[これまでの全米NO.1シングル18曲]
●全世界のトータル・アルバム・セールスは約1億6000万枚(日本では約1700万枚)
●日本で6作連続100万枚突破 ~ 洋楽史上初!!
1.「ビジョン・オブ・ラヴ」 (1990/08/04-1990/08/25=4週連続1位)
2.「ラヴ・テイクス・タイム」 (1990/11/10-1990/11/24=3週連続1位)
3.「サムデイ」 (1991/03/09-1991/03/16=2週連続1位)
4.「アイ・ドント・ウォナ・クライ」 (1991/05/25-1991/06/01=02週連続1位) (「マライア収録」)
5.「エモーションズ」 (1991/10/12-1991/10/26=03週連続1位) (「エモーションズ収録」
6.「アイル・ビー・ゼア」 (1992/06/20-1992/06/27=02週連続1位) (「ヴィジョン・オブ・ライヴ」収録)
7.「ドリームラヴァー」 (1993/09/11-1993/10/30=08週連続1位) (「ミュージック・ボックス」収録)
8.「ヒーロー」 (1993/12/25-1994/01/15=04週連続1位) (「ミュージック・ボックス」収録)
9.「ファンタジー」 (1995/09/30-1995/11/18=08週連続1位) (「デイドリーム」収録) 全米初登場1位
10.「ワン・スウィート・デイ」 (1995/12/02-1996/03/16=16週連続1位) (「デイドリーム」収録) 全米初登場1位
11.「オールウェイズ・ビー・マイ・ベイビー」 (1996/05/04-1996/05/11=02週連続1位) (「デイドリーム」収録)
12.「ハニー」 (1997/09/13-1997/09/27=03週連続1位) (「バタフライ」収録)
13.「マイ・オール」 (1998/05/23 =01週のみ1位) (「バタフライ」収録)
14.「ハートブレイカー」 (1999/10/09-1999/10/16=02週連続1位) (「RAINBOW」収録)
15.「サンク・ゴッド・アイ・ファウンド・ユー」 (2000/02/19 =01週のみ1位) (「RAINBOW」収録)
16.「ウィ・ビロング・トゥゲザー」(2005/6/4-9/10 = 1週おいて14週1位) (「MIMI」収録)
17.「ドント・フォゲット・アバウト・アス」 (2005/12/3 -2006/1/7 = 2週連続1位) (「MIMI」収録)
18.「タッチ・マイ・ボディ」(2008/4/2 2週1位獲得!)(「E=MC2~MIMI第2章」収録)
全米NO.1にまつわるデータ
★ No.1獲得17曲は、ビートルズ(20曲)次ぎエルビス・プレスリー(18曲)に迫る勢い!
★ 1990年~2000の11年間毎年1位獲得。ギネス記録!(毎年最低1回はシングルが全米No.1になっている。1994年は「ヒーロー」が年越しで獲得している。)
★ シングル2曲連続(9&10)の全米チャート初登場1位獲得は史上初。
★ デビュー以来リリースしたシングル5曲連続でNo.1を獲得(1~5)。(歴代1位)
★ シングルNo.1の獲得期間は17曲で77週。(プレスリーに次いで歴代2位)
[受賞]
●第33回グラミー賞でベスト・ニュー・アーティスト賞とベスト・フィメール・ヴォーカリスト賞を受賞
●アメリカン・ミュージック・アウォーズ受賞8回
●ビルボード・ミュージック・アウォーズ受賞9回(1999年 特別ビルボード賞 アーティスト・オブ・ザ・ディケイド 受賞他)
●ソウル・トレイン・アウォーズ受賞4回
●ワールド・ミュージック・アウォーズ受賞11回
HISTORY
1970年3月27日、ニューヨーク郊外のロングアイランドで生まれる。母は元オペラ歌手で、レーナー・アンド・ロウの人気ミュージカル、”ペイント・ユア・ワゴン”中の、”ゼイ・コール・ザ・ウィンド・マライア”からその名マライアがつけられた。
4歳から歌い始めるようになり、オールドフィールド・ミドル・スクールに通う頃には既に自作の曲を書き上げていたマライアは、高校を卒業した翌日、単身 ニューヨークに旅立つ。 ニューヨークでの生活は決して楽ではなく、ウェイトレスをしながらデモ・テープ作りに励む日々を送っていた。そんなある日マライアはブレンダ・K.スター と出会った。ブレンダはマライアの才能を見出し、バック・コーラスとして彼女を採用。このブレンダとの出会いが彼女に転機をもたらすことになった。 とあるパーティーで、ブレンダがマライアのデモ・テープをコロンビア・レコードの社長、トミー・モトーラに渡したのだ。パーティー会場を後にしたモトーラ は、車中でこのデモ・テープを聴いた途端、運転手に今すぐパーティー会場に戻るように指示したという。この若いシンガーに会うために。その直後、マライア のコロンビア・レコードとの契約が成立した。1988年。当時マライアは18才。ミュージック・シーンの新たな歴史が刻まれた瞬間である。
1990 デビュー曲「ビジョン・オブ・ラヴ」が8/4付から4週連続全米NO.1獲得。セカンド・シングル「ラヴ・テイクス・タイム」も11/10付から3週連続NO.1。デビュー・アルバム『マライア』をリリース、全米最高1位を獲得。
1991 2月、第33回グラミー賞でベスト・ニュー・アーティストとベスト・ポップ・ヴォーカル、フィメールを受賞。3rdシングル「サムデイ」が3/9付で1位 (2週連続)、4thシングル「アイ・ドント・ウォナ・クライ」が1991/5/25付で1位(2週連続)となり、デビュー・アルバム『マライア』から4 曲の全米NO.1ヒットが生まれた。 10月にリリースした2ndアルバム『エモーションズ』も大ヒット。このアルバムからの1stシングル「エモーションズ」は10/12付全米チャート でNO.1(3週連続)を獲得し、デビュー以来リリースしたシングル5曲が連続でNO.1となる。続くシングル「キャント・レット・ゴー」は2位、「メイ ク・イット・ハップン」は最高5位を記録している。
1992 MTVアンプラグド・ライヴ『ヴィジョン・オブ・ライヴ』をリリース。ジャクソン5のカヴァー「アイル・ビー・ゼア」が6/20付全米チャートでNO.1(2週連続)。
1993 3rdアルバム『ミュージック・ボックス』(通算4作目)をリリース。1stシングル「ドリームラヴァー」が9/11付全米チャートでNO.1(8週連続)。 10月にプロモーションで初来日を果たしている。 12/25付全米チャートで2ndシングル「ヒーロー」がNO.1(4週連続)獲得。
1994 『メリー・クリスマス』リリース。シングル「恋人達のクリスマス」がTVドラマ「29歳のクリスマス」の主題歌として使用された日本で、空前のヒット・シングルとなった。
1995 10月に4thアルバム『デイドリーム』リリース。先行シングル「ファンタジー」が9/30付全米チャートで初登場NO.1(8週連続)を獲得。続くシン グル「ワン・スウィート・デイ」(ボーイズⅡメンとのデュエット)も12/2付全米チャートで初登場NO.1(16週連続)。シングル2曲連続の全米 チャート初登場1位は史上初の快挙。
1996 3月に初来日公演が実現。東京ドームで3回公演を行った。アルバム『デイドリーム』からの3rdシングル「オールウェイズ・ビー・マイ・ベイビー」は5/4付全米チャートでNO.1(2週連続)を獲得。
1997 9月に5thアルバム『バタフライ』リリース。アルバムからのシングル「ハニー」が9/13付全米チャートでNO.1(3週連続)を獲得。
1998 1月に2度目の来日公演が実現。 アルバム『バタフライ』からの2ndシングル「マイ・オール」が5/23付全米チャートでNO.1を獲得。マライアにとって13枚目の全米NO.1シング ルとなり、女性アーティストの全米NO.1を獲得した枚数で歴代1位に躍り出た。11月にグレイテスト・ヒッツ『The Ones』をリリース。1stシングル「ホエン・ユー・ビリーヴ」(映画「プリンス・オブ・エジプト」主題歌)では、ホイットニー・ヒューストンとのデュ エットという夢の企画が実現した(プロデュースはベイビーフェイス) 。
1999 10月に6thアルバム『RAINBOW』リリース。アルバムからのシングル「ハートブレイカー」(feat. Jay-Z)は10/9付全米チャートでNO.1(2週連続)を獲得し、通算14枚目の全米NO.1シングルとなった。この時点でマライアは全米NO.1 獲得アーティストの歴代3位に名を連ねた。(1位はビートルズの20曲、2位はエルビス・プレスリーの18曲)。 『RAINBOW』のプロモーションのため、4度目の来日を果たしている。
2000 アルバム『RAINBOW』からの2ndシングル「サンク・ゴッド・アイ・ファウンド・ユー」(feat. Joe & 98 Degrees)が2/19付全米チャートで通算15曲目の全米NO.1となる。3月に3度目の来日公演が実現。
2001 ヴァージン・レコードと契約し、初の主演映画でもある同名作品のサウンド・トラック・アルバム『グリッター』をリリース。
2002 5月アイランド・デフ・ジャムと契約を。 11月20日に移籍第1弾アルバム『チャームブレスレット』(通算7作目のオリジナル・アルバム)をリリース、 プロモーションのため6度目の来日を果たしている。
2003 4度目の来日公演を果たす。
2004 「爽健美茶」CM楽曲にマライアが歌う「朧月夜(おぼろづきよ)」(「MISTY MOON」)が使われる。
2005 3月30日にアルバム『MIMI』(原題: THE EMANCIPATION OF MIMI )(通算8作目のオリジナル・アルバム)をリリース。2度の来日プロモーションを実施。12月8日第48回グラミー賞のノミネーションが発表となり、主要 3部門を含む最多の8部門の受賞候補者となる。
2006 5度目の来日公演を果たす。
2007 DVD『アドベンチャーズ・オブ MIMI』 を11月に発売。
2008 アルバム『E=MC2 ~MIMI第2章』を4月に発売。俳優兼ラッパーのニック・キャノンと結婚後、プロモーションの為に5月に来日を果たす。シングル「タッチ・マイ・ボ ディ」がアルバム発売の2週間前に全米ビルボード・シングル・チャートにて1位を獲得し、18曲目のNo.1シングルとなった。同アルバム収録「ラヴィ ン・ユー・ロング・タイム」は日本テレビ系「PRIDE & SPIRIT日本プロ野球2008」のイメージソングに使用される。
2009 1月、オバマ大統領就任式後の夜会にて大ヒット曲「ヒーロー」をパフォーマンスする。7月にはマイケル・ジャクソンの追悼式にてカバー曲「アイル・ビー・ ゼア」を熱唱。2009年8月には『メモワール』(原題:MEMOIRS OF AN IMPERFECT ANGEL) からのシングル『オブセスト』のミュージック・ビデオでの男装を披露して話題に。10月にはプロモーションのために来日も果たす。