BIOGRAPHY
LIONEL RICHIE
本名ライオネル・ブロックマン・リッチーJr.、1949年アラバマ生まれ。
大学在学中に地元のバンド=コモドアーズにサックス奏者として加入。コモドアーズは72年にモータウンと契約、ジャクソン5の前座でステージ・デビューを果たし、74年にファースト・アルバムを発表した。ライオネルはやがてヴォーカリスト/ソングライターとして頭角を表し、77年にはライオネルのペンによるバラード「イージー」が全米R&Bシングル・チャートで1位を獲得、翌78年には「永遠の人に捧げる歌(Three Times A Lady)」がついに全米ポップ・チャートで初のNo.1を記録した。
80年にはケニー・ロジャースに提供した「レイディ」、81年にはダイアナ・ロスとのデュエット「エンドレス・ラヴ」がジャンルを超えた大ヒットを記録し、82年にコモドアーズを離脱。同年、初のソロ・アルバム『Lionel Richie』を発表。「トゥルーリー」がチャートを制覇し、アルバムも400万枚以上のセールスを記録。83年の2ndアルバム『オール・ナイト・ロング(Can’t Slow Down)』でポップ・シーンの頂点を極める。世界中で1,000万枚以上を売り上げた同作からはロス五輪の閉会式でも歌われた「オール・ナイト・ロング」をはじめとする5曲のトップ10シングルが生まれた。85年には〈USA For Africa〉のプロジェクトで、マイケル・ジャクソンと「ウィー・アー・ザ・ワールド」を共作。3rdアルバム『ダンシング・オン・ザ・シーリング』からは「セイ・ユー、セイ・ミー」が世界的な大ヒットを記録した。ライオネルはその後、約5年間活動を休止した。
92年にベスト・アルバム『バック・トゥ・フロント』で活動再開し、新曲「ドゥ・イット・トゥ・ミー」がR&Bチャートで再び1位を記録。モータウンからマーキュリーに移籍して『ラウダー・ザン・ワーズ』(96年)をリリース、ジャム&ルイスの手掛けた「ドント・ウォナ・ルーズ・ユー」がヒット、98年には『タイム』を発表。
その後アイランドに移籍して2000年に『ルネッサンス』を発表、ダンス・ポップ・チューン「エンジェル」がヨーロッパ各地で成功を収めた。2002年、スタジオ録音の新曲も含む初のライヴ・アルバム『アンコール:ベスト・ライヴ』(2000年のウェンブリー公演を収録)をリリース。2004年、オリジナル・アルバムとしては通算7作目の『ジャスト・フォー・ユー』をリリース、「ジャスト・フォー・ユー」がヒット。 2006年発表のアルバム『カミング・ホーム』からはスターゲイトがプロデュースを手掛けた「アイ・コール・イット・ラヴ」が大ヒット。2009年5月にはNe-Yo、エイコン、スターゲイト等を起用して制作した『ジャスト・ゴー』を発表。
そして11月4日、コモドアーズ時代から最新作にいたるまでのオール・タイム・ベスト『セイ・ユー、セイ・ミー~ライオネル・リッチー・ベスト・コレクション』をリリースした。