BIOGRAPHY
Lathun / ラサン
98年にラファエルのレーベル、プーキー・レコーズの
第一弾アーティストとしてデビューしたラファエルの秘蔵っ子美人3姉妹、ウィリー・マックスを共に制作していたレイサン・グレイディその人こそこのレイサ
ンなのだ。当時は彼自身もラファエルに発掘された、というニュアンスで紹介されていながら、彼に関する情報は皆無に近い状態。唯一わかっていたのは、クレ
ジットに記されていた、ジャーメイン・デュプリ率いるソー・ソー・デフ・レコーズ所属のアーティストだったのだという事実。そう、あの大ヒットしたコンピ
『ソー・ソー・デフ・ベース・オールスターズ』の97年発売の『Vol. II』から放ったヒット曲の”Freak
It”でヴォーカリストとしてデビューを果たし、98年発売の『Vol.III』で新人ヴォーカリスト、カトリナとデュエットした”Gimmie
What I Want”で、スムースで甘いヴォーカルを聴かせていたのも彼である。
もっと深く記憶を掘り下げてみよう。そのベース・オールスターズの総指揮を努めていたのは、93年から2000年までソー・ソー・デフのA&R部
門の副社長を努め、2001年にリル・ジョン&イーストサイド・ボーイズ名義で新作『Put Yo Hood
Up』を発表し話題のジョナサン・”リル・ジョン”スミスである。その彼が82年にトミー・ボーイより発売されたエレクトリック・ヒップ・ホップの先駆者
的グループ、プラネット・パトロールの名曲”Play At Your Own
Risk”のリミックスを担当した際にフィーチャリング・ヴォーカリストとして起用したのが、このレイサンでもある。
こうしたヴォーカリストとしての活動より以前に彼の名前が初めて表舞台に出てくるのは94年のこと。フレディー・ジャクソンのRCA移籍第一弾アルバム『Here
It Is』。ここで当時パートナーだったチャールズ・ノリスとの共作で”My Family”、”How Does It
Feel”という2曲を提供、プロデュースも手掛けた。同じ年にはキッズ・グループ、イマチュア(現IMX)のMCA移籍第一弾、通算2枚目のアルバムへキュートなバラード、”Sweetest
Love”も提供している。しかしながら、この2作品では彼の存在を知らしめる、とまではいかなかった。
そして、彼の名が一気に知れ渡ったのがウィリー・マックスとの仕事である。もちろん、このおかげでモータウンとの契約にこぎつけたのだと推測される。デト
ロイトの出身のポスト・ポインター・シスターズと言われ、当初トニーズの前座を努めていた彼女達が同郷ということで知り合ったレイサンをラファエルに紹介
した、というのが本当のところのようだ。彼女達は98年、サウンドトラック『Ride』(トミー・ボーイ)収録の”Can’t Get
Enough”で、「ラファエル・サディーク・イントロデューシング・ウィリー・マックス」という形でデビュー。当時はラファエルがプロデュース、レイサ
ンはコ・プロデュースでクレジットされていたが、その後、彼女達のデビュー・アルバム『Bona
Fide』に、「フィーチャリング・ラファエル・サディーク」、そしてレイサンのプロデュースとして全く同じヴァージョンの同曲が再収録されている。(複
雑です、この世界・・・) 彼女達は、デバージの名曲”I Like It”を引用した”I’m Not Your
Girlfriend”や日本人にはとてもわかりやすかった”Sukie
Sukie”が一部で話題となるも、グループとしてメジャー的ブレイクは果たせなかった。
そして、レイサンもその後シーンから姿を消す・・・・・・・・・・。
時は過ぎ、2001年。エピックより発売されたコンピ『Red Star Sounds』に収録の”Sweetest
Thing”でモータウン・アーティストとして再び彼が姿を現した。約3年もの間に、シンガーとしてより洗練され、ソングライター、プロデューサーとしても大きく成長して帰ってきたのだ。