BIOGRAPHY
LA ROUX / ラ・ルー
エリー・ジャクソンは20才。髪は赤褐色のショート・ボブ。そばかすと心をざわつかせる鼻の持ち主だ。何よりも重要なのは、周囲の物をすべて消し去ってしまうようなメロディを彼女が作れることだ。ロンドンのブリックストン出身の女の子は同年代の少女たちとまったく変わらない経験をしてきた。失恋、苛立ち、憧れ、無敵さ、そしてはかなさ。しかし彼女が他の少女たちと違うのは、これらの感情や経験を驚異的な才能で、リスナーに瞬時に響きわたる心地よい、素晴らしい演奏の手段にすることだ。
La Rouxは単なるダンスフロアの使い捨てのような間に合わせや、子供だましではない。
「歌詞のついていない、意味ある音楽を聞けないわけじゃないわ。いつだって聞いているもの。ただ私が作りたい音楽じゃないだけ。ヴォーカルの収録では涙が出てきたし、私は人々とそういう深いところでつながりたいの」
彼女の週末が汗だくのフロアで体をぶつけ合いながらJusticeやBoys Noizeに合わせて踊ることであっても、彼女自身の創造力はEurythmicsやDepeche Modeなどの芸術的なエレクトロ・サウンドの先駆け者たちに大きな影響を受けている。今後ベビー・フェイスの女神は先代たちと同じようにチャート、クラブそして聞く者のハートの3方面へ攻撃をしかけてくるだろう。
エリーは常にシンセの世界に君臨していたわけではない。大事に育てられた女の子は主夫だった父の好みの音楽をしっかりと聞かされていた。ようは心を切り裂くような甘い曲である。
高校生になった彼女はニック・ドレイクやニール・ヤングなどの賢人による自己分析的な音楽に合わせてギターを弾いていた。そして今でもこの出発点は彼女の基礎となっている。自室で目立たずに作曲してきた彼女の作品は、高校生のとき友人のハウス・パーティーで一時的に日の目を見たのだった。これが地元のサウンド・エンジニアの度肝を抜き、朝4時という時間にも関わらず、彼は興奮しながら自分が知っているすべてのプロデューサーに連絡をとったのである。その1人が当時ロンドンでもっとも人気のある売れっ子プロデューサーのBen Langmaidだった。彼女の情熱的なセレナードを聞いた瞬間、彼は他のすべてのプロジェクトを保留にし、全エネルギーを彼女に注げることを誓った。こうしてLa Rouxのクリエイティブ・パートナーシップは構築された。
エリーに必要なのは突き進むためのちょっとしたインスピレーションの一押しだけとなった。そしてこれはKorgと表示された小さな黒い箱の形で彼女の前に現れたのである。
ある慌しい午後、ベンのスタジオでたまたま見つけたシンセサイザーをいじり始めた彼女にひらめきの衝撃が訪れる。シンセサイザーは彼女に新曲の作曲と過去の作品を生まれ変わらせるインスピレーションを与えたのだ。
6弦で作られたバラードが近未来的なリズムとシンセ感たっぷりのシンフォニーに変わるまで時間はかからなかった。
エレクトロへの生まれ変わりはLa Rouxをシンセサイザーの世界にどっぷりと浸らせながら、Blancmangeなどの傑作を掘り起こし、The Knife and Chromeのような新しい英雄たちを叩き始めたのだ。彼女の音楽的才能の目覚めは、ロンドンの倉庫パーティー・カルチャーに身を投じた時期と重なっていたとも言える。彼女のクラビングは音楽活動にも着々と影響を及ぼし始めていたのだ。この熟成期間の結果、時代を超えたエレクトロニックスの理想系と90年代の頭を振り回すダンサブルさが洗練されたソング・ライティングと綿密な言葉の選択によって支えられている。
マドンナと名プロデューサーのジェリービーンBenitez時代を思い出す心臓の高鳴りを引き起こすが、La Rouxは無類であり、2008年の新しいクール・ポップスの中でも堂々とした存在感を保っている。
マイ・スペースで壮絶な人気を呼んだ”In For The Kill”は、期待されながらフランスのレーベルKitsuneからリリースされた挑発的なアルバム「Quicksand」へとつながった。そしてポリドールとKlaxonsを擁するマネージメントの2社との長期契約を彼女にもたらせたのである。
とにかく”赤毛”は2009年を代表する英国の新星となることは確かである。