INTERVIEW-03

Jigoku _main 03
ショッピングの王様と宴会の帝王、そしてふたつの明晰な頭脳――
何度でも観たくなるライヴ・バンドを支えていたメカニズムの実態。
初代キッス担当ディレクター 横田晶氏

【地獄の真相 第三回】
 初代キッス担当ディレクター 横田晶氏インタビュー

  • KISS自身の発行によるオフィシャル・ブック、『KISSTORY』に掲載されていた1977年来日時の記事より。
1961年生まれの筆者自身が”ステージ上のキッスのメンバーたちを初めて一方的に見た”のは1977年の初来日公演時のこと。 もちろん当時は単なるファンのひとりにすぎなかったわけで、その場を離れた彼らに遭遇できたわけではない。 前回分の原稿に名前の登場した初代ファン・クラブ会長、青柳つとむさんでも、公演リハーサルすらのぞかせてもらえなかったという事実がある。 というわけで、今回もやはり横田晶さんに証人としてご登場いただこう。 当時の担当ディレクターの目に、素顔のメンバーたちはどんなふうに映っていたのだろうか? 「素顔の彼らには何度も会ってます。もちろん来日時にはホテルでも会いました。 あと、ちょうど時期的に全米ツアーが終わって、しばらくブランクを挟んでの来日だったこともあって、”練習がしたい”という要望がバンド側から出てきたんですね。 それでビクター・スタジオを借り切ってあげたんです。 もちろん無料ですけど、ひとつだけこちらは条件を付けました。 インタビュー取材を入れさせてくれ、と。
結果、1本だけ受けてくれることになって、それが読売新聞に載ることになりましたね。 で、肝心のメンバーたちの印象についてですけど、そのスタジオでの練習中にせよ、食事の席で一緒になったときであるにせよ、4人の個性というものをすごく感じさせられましたね」

まずはピーター・クリス。初来日時、夫人を同伴していたのが彼とエース・フレーリーのふたりだった。

「ピーターはものすごくショッピングが好きなんです。 僕がお供をさせられることはなかったですけど、奥さんと一緒に秋葉原とかに出掛けて、ものすごい数の電化製品を買ってきたり。 彼はこのバンドにおけるショッピングの王様なんだな、と感じましたね。それに対して、エースはお酒の席での王様(笑)。 こう言っちゃ失礼だけど、単なる酔っ払いという印象は否めないところもあった。酒の席では、彼がその場を仕切ろうとするんです。 結果、酔っ払って大騒ぎするだけなんですけど(笑)。 ポールやジーンはそういう場ではむしろ静かにしていて、”この場はエースのためのもの”と割り切ってる感じがしたな」

実際、長い年月の経過と紆余曲折を経てオリジナル・ラインナップでのリユニオンに至った際、エースやピーターには禁酒がひとつの参加条件として提示されていた。 が、これはもはや時効だろうが、そのリユニオン・ツアーに関わる取材でアメリカを訪れた際、筆者は、深夜にホテルのバーに現れてビールを購入するピーターの姿を目撃している。
ルーム・サービスやミニバーを使用すると、それが記録に残ってしまい他のメンバーにもばれてしまうから、現金で買っていたというわけだ。 また、そのリユニオンを経て制作された『サイコ・サーカス』の完成当時、電話インタビューに応じてくれたエースは「適度に呑むなら構わないんだ。あはははは!」と大笑いしていたが、その様子は明らかに素面ではなかった。

話を本題に戻すとしよう。
横田氏は初来日時のポール・スタンレーとジーン・シモンズの印象については、次のように語っている。

「明確に役割分担がされていたわけではないけども、リーダー格がポールとジーンなのは誰の目にも明らかでしたね。
たとえば酒の席ではエースに主導権を握らせていても、いざスタジオに入ったときに”次はこの曲をやろう”とか、場を仕切りながら話を進めていくのはポールなんです。 非常にまじめな人物だし、彼こそが音楽的な意味においてリーダーシップをとっているという印象でしたね。 ジーンにももちろん同じようなところはあるわけですけど、いわゆるバンドのまとめ役をポールにまかせておきながら、実はしっかり頭を使っているというタイプ。 やっぱりね、すごく頭がいいんです。 さすがに教師をやっていた過去があるだけのことはあるというか(笑)。 まあ同時に、ジーンにはそういった頭脳明晰な部分ばかりじゃなく”女好き”という一面もあるわけですけどね。 誤解を恐れずに言っちゃえば”やりたい放題”な感じでしたよ(笑)。 なにしろまだ20代でしたから。 そういう年齢的なところで言うと、ピーターはいちばん年上だったし、ミュージシャンとしてのキャリアも他のメンバーより長かっただけに、ポールやジーンも一目を置いている感じでしたね。 しかもジョークが上手いというか、その場を和ませてくれる才能がある。 リハーサル中もリンゴ・スターの物真似とかをしてみんなを笑わせてみたり。 ある意味、彼のああいうところが、他のメンバーたちにとっての潤滑油的な役割を果たしてたところもあったのかもしれないな」

そして当然ながらキッスは現在もポールとジーンを核としながら『モンスター~地獄の獣神』というアルバム・タイトルに似つかわしい怪物級の活躍を続けている。 横田氏は「ポールとジーン、このふたりが一緒じゃないと駄目だってこと、どちらか一方だけだとキッスにはなり得ないことを、彼ら自身が誰よりもよく知ってるんでしょうね」と分析する。
さらには「本当にお互い、仲がいいのかどうかは知りませんよ(笑)」としながらも、「意見の喰い違いは何度となくあったはず。 だけどそんなことで壊れてしまうような次元の関係性じゃないということでしょう」と語っている。

ところで横田氏は、カサブランカ・レコードの日本での発売権がビクターから他社に移ってからは、キッスのメンバーたちとは一度も顔を合わせていないという。 こんなことを言うと読者は”要するにバンドと発売元の社員というだけの関係だったのか?”と感じてしまうかもしれないが、横田氏の感情はそこまでドライなものではない。 次のような発言に触れればそれは明らかだろう。

「結果、彼らの契約が他社に移ってからは会ってないですね。 ただ、来日公演には出掛けてます。
だって単純に、好きだから。 楽しいですからね、彼らのコンサートは。 70年代当時にしても、たとえば公演が始まると僕らみたいなレコード会社のスタッフというのは、”やれやれ、ようやくこれから1時間半は休憩できる”みたいなことになるわけですよ。 普通はね。 だけどキッスのライヴについては、毎回ちゃんと観てました。 全然飽きないんですよ。
おかしな話ですよね、ショウ自体は毎回ほとんど同じなのに(笑)。 でも、一度観るとまた観たくなるんです。
だからスタッフ特権でパスを持ってるのをいいことに、会場内のいろんな場所から観させてもらってました。
普通はその時間帯だと、プロ野球のナイターの経過のほうが気になったりするもんでしたけどね(笑)。
他のバンドの場合はそうだったけど、キッスの場合は違ってました。 だから、誰もがなかなかキッス・ファンを卒業できないというのは僕自身にとってもよくわかる話なんです。 いい意味での中毒性があるというか。
他にも素晴らしいバンドはたくさん観てきましたけど、こんなに何度でも繰り返し観てみたいと思えたバンドは、他にはいませんでしたからね」

当然ながら、横田氏もまた『モンスター~地獄の獣神』に伴うワールド・ツアーの一環としての来日公演実現を心待ちにしているという。 果たしてそれはいつの日のことになるのか?
今はその日の到来を、この最新アルバムを熟聴しながら待ちたいところである。

取材/文 増田勇一