BIOGRAPHY

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はじまりは「Africa」、そして世界へと: カール・ウルフはTOTOの「Africa」を見事にリメイクし、すばらしい成功を収めて国際的なスポットライトを浴びることになったが、それは一夜にして達成された偉業ではない。マルチな才能を持つ彼は、プロデューサー、ソングライター、マルチ・インストゥルメンタリストとして、そして独自の才能とヴィジョンを持ったシンガーとして、長いこと音楽業界で一目置かれてきた。「Africa」で成功を手にしたカール・ウルフの音楽は、ついに世界規模の市場へたどり着いたといえるのだ。
 2016年にリリースした7枚目のソロ・アルバム『The Export Vol. 1』(Cordova Bay Records)で、ウルフはこれまでとは違って、一人の人間としての自分と、レコーディング・アーティストとしての自分を、同じ尺度で反映させている。長い時間をかけて彼は企業家やビジネスマンとしてだけでなく、成功したレコーディング・アーティストとしても名声を確立してきた。『The Export Vol. 1』より前にリリースしたソロ・アルバムは、『Wow』『Stereotype』『Finally Free』『Nightlife』『Bite the Bullet』『Face Behind The Face』など6枚におよび、また、日本やレバノン、エジプト、チェコ共和国、ドバイといった国々でのトップ5入りを含む、すばらしい記録をいくつも積み重ねている。
 加えて彼は2009年、ウェブサイトArabianBusiness.comのPower 100で、「世界で最も影響力のあるアラブ人」の一人に選ばれた。
 カナダでの業績にも目を見張るものがあり、「Africa」は4xプラチナムに認定、さらにMuchMusic(ヴィデオ)、Adult Contemporary Charts(ラジオ)、影響力の大きいiTunesのPop chart(セールス)で1位を獲得した。
 出生地もウルフに熱狂し、2008年にはMTVアラビアの立ち上げに伴い、AkonやLudacrisと共にスター揃いのラインナップにその名を連ね、ヒット曲「Africa」はその新設の局で最初に放映されたヴィデオとなった。「おれを受け入れてくれるなんてすごいことだ」とウルフは言う。「おれは半分アラビア人で、半分北米人だからね。東洋と西洋の出会いだ!」

 レバノンのベイルートで生まれたCarl Abou Samahは、3歳の頃に起こった内戦をきっかけに家族と共にUAEのドバイへ移り住んだ。UAEで学んだ彼は16歳で高校を卒業すると、1995年にモントリオールへ向かい、コンコルディア大学で映画学科を専攻する。
 そして裏方としてキャリアをスタートさせ、ケベックのポップ・ミュージック界で名前の知られた者らと共同でプロデュースをしたり、ヒップホップ・バンドDubmatiqueのバック・シンガーをつとめたりするようになった。Gabrielle Destroismaisonsの2001年のヒット・アルバムでは、共同で手がけた2曲のシングルがフランス語圏のBDSチャートで1位に輝き、21歳にしてADISQ Awardの「Best Mix and Sound of the Year」としてFelix Awardを受賞した。
 Gabrielleとのコラボは、カナダで大人気のポップ・バンドSkyのAnotoine Sicotteの目にとまり、ウルフはシンガーソングライターとして起用され、やがて2002年にはSkyの新たなリードシンガーに抜擢される。ウルフが共に制作したSkyのサード・アルバム『Picture Perfect』はカナダで何度も繰り返し流された。そんなSicotteとウルフは、ケベックで大人気のリアリティ番組のアルバム『Star Académie』でも手を組んだ。このアルバムは2003年のカナダでベストセラーとなり、5xプラチナムを突破、ウルフはSOCAN Awardの「Most Popular Song」を獲得した。また、続く2004年の『Star Académie II』も大成功を収めてダブル・プラチナムに輝き、最終的には20万枚以上のセールスをあげた。

 とはいえこれは始まりにすぎない。2008年の11月、ウルフはMTV Europe Music Awardで「MTV Arabia Best New Act」を受賞し、リヴァプールで行われた授賞式に参加。そのときのことを「人生を肯定する経験」だったと語っている。「「サー・ポール・マッカートニーとビヨンセの目の前でパフォーマンスしたんだ。途方もなく素晴らしい夜だったよ」

 彼が思い描く成功は、アーティストでありソングライターでもある自身の作品に対する世界中のリアクションにはっきりと表れている。それがこのほど、BMG LAとワールドワイドな出版契約という結果をもたらしたのだ。またその直前にOMIのインターナショナル・シングル「Hula Hoop」を共同で製作。これはOMIのヒット曲「Cheerleader」に続く曲で、世界各国同様、カナダでもプラチナムを達成している。そしてついに2017年10月にこれまでの活動10周年を記念し、ベスト盤『ザ・ベスト・オブ・カール・ウルフ』を発売する。