BIOGRAPHY

JUANES / フアネス


Photo 2008


1972年8月9日、メデジン(コロンビア)生まれのギタリスト・シンガーソングライター。フアネス(Juanes)という名は、本名「フアン・エステバン・アリスティサバル・バスケス(Juan Esteban Aristizabal Vasquez)」を縮めたニックネーム。音楽に興味を持ち始めたのは7歳の時。父親と兄からギターの弾き方を習い始める。フアネスの音楽への情熱はコロンビア伝統音楽(バジェナート&グアスカ)に止まらず、ボレロ、タンゴ、ランチェラ、クンビアを吸収していく。 玉手箱のように様々な音楽の影響を垣間見せてくれるフアネスだが、彼は決して幸せな子供時代を過ごした訳ではではない。従兄弟は誘拐犯に殺害、親友は暴漢に銃殺、父親を癌で亡くしている。ただ単純に明るいだけではないフアネスの音楽に時折顔を見せる「悲しみ」の原点とも言えるだろう。

メタリカに影響を受けたフアネスは15歳の時にメタルバンド、エキモシスを結成し音楽活動を開始。小さなクラブを中心に活動を続け、16歳の時に初レコーディング。11年間で7枚のアルバムを発表。これに満足せずソロで活動を続けることを決意。母国コロンビアを離れ渡米、ロサンゼルスへ活動の本拠を移す。ユニバーサルと契約したフアネスは、ラテン・ロック界の切れ者、グスタボ・サンタオラージャをプロデューサー、そしてエンリケ・イグレシアスを世界的スターに押し上げたフェルナン・マルチネスをマネージャーに迎え、国際的スターの階段を昇り始める。2000年にソロとしてのファースト・アルバム、『フィファテ・ビエン~気をつけろ!-愛する君へのメッセージ』をリリース。アルバムのヒットにより、彼は3つのグラミー・ラテン賞を受賞。2002年に発表したセカンド・アルバム『ウン・ディア・ノルマル~君を想う愛おしい日』はラテン・ポップ全体の価値観を変えるほど大きなヒットとなる。リリースから2年に亘りビルボード・ラテン・チャートにランク・インし、なんとトップ10には92週間エントリーするという新記録も打ち立てた。アルバム・セールスは当然のごとくスペイン語ポップCDの世界トップ販売を達成。更には5つのグラミー・ラテン賞を受賞。『ウン・ディア・ノルマル~君を想う愛おしい日』がアルバム最優秀賞およびディスク最優秀賞に選ばれた他、収録曲の「君がいるから」(エス・ポル・ティ)がシングル最優秀賞、「愛の代償」(マラ・ヘンテ)がロック部門シングル最優秀賞、またソロとしてのフアネス自身がロック・アーティスト(ソロ)最優秀賞を受賞。この成功によってフアネスを世界的スーパースターの座へと一気に駆け上がった。2004年、待望のサード・アルバム、『愛と情熱の絆』(ミ・サングレ)を発表。シングル、「追憶の黒いシャツ」(ラ・カミサ・ネグラ)はドイツ、イタリアなどヨーロッパ諸国で大ヒット。国際的なフェスティヴァル、イベントでのパフォーマンスのオファーが殺到する。スペイン語で世界を魅了するフアネスは自然体で2006年2月21日、ワールドワイド・デビュー。そして、フアネスは6月、遂に待ちに待たれた日本デビューを果たした。

2006年、4度の来日(4~6月アコースティック・ショウケース、プレミア・ライヴを含む3ヶ月連続のプロモーション来日&11月の日本公演)で現象とも言えるほどの”フアネス旋風”を巻き起こした。ブラ投げが様々なメディアで露出、人気TV番組への出演も相乗効果となりフアネスは一気にお茶の間まで浸透。結果、アルバムは約10万枚の大ヒットとなり、世界的なスーパースターであるフアネスの日本での可能性を証明した。10月にはラテン・グラミーを数多く獲得した旧譜 『フィファテ・ビエン~気をつけろ!-愛する君へのメッセージ』(CD)、『ウン・ディア・ノルマル~君を想う愛おしい日』(CD)、『エル・ディアリオ・デ・フアネス~フアネスの素顔』(DVD)が全て日本盤化。

2005年2月に始まったワールド・ツアーは、「追憶の黒いシャツ」が大ヒットした結果、延長を重ね31ヵ国計170公演、1年半のロング・ランとなった。成功とは裏腹にフアネスは最も大事な家族と過ごす時間を失い、家庭崩壊の危機にも直面した。全ての喧騒から距離を置くため、そして自分自身と向き合うため、母国コロンビアのメデジンの山中にある自宅スタジオで作品作りを始める。そこでフアネスは自分に問いかける様に自身と向き合い、歌の中に自分の答えを見出していった。至極個人的な作品でありながら、同時に人々の共感を得る普遍的なテーマを取り上げる彼の手法で、4枚目のアルバム、『ライフ~愛と情熱の日々』は完成。2008年5月14日、2年振りとなる新作が日本でリリースとなる。