interview Vol.3:JET SET BOYSに聞く、今に通じる過去の話 〜Guitar:友森昭一(ex:AUTO-MOD、REBECCA)編〜

2017.06.23 TOPICS

JET SET BOYSは、80年代〜90年代,00年代を駆け抜けてきた伝説的なミュージシャンが集結したスペシャル・バンドだ。

 

椎名慶治(ex:SURFACE)

高橋まこと(ex:BOØWY)

友森昭一(ex:AUTO-MOD、REBECCA)

tatsu(LÄ-PPISCH)

 

という、音楽シーンの変遷を知るロックファンなら、驚きのメンバーが集結していることがわかるだろう。

 

ビートを司るドラマーに、日本を代表する伝説的ロックバンド元BOØWYメンバー高橋まこと。

 

ギタリストには友森昭一が参加。布袋寅泰や高橋まことが在籍していたことでも知られる破滅的パフォーマンスで知られるシアトリカルなバンドAUTO-MODメンバーであり、REBECCA の3代目ギタリストを経由して、氷室京介バンドの初期メンバーでもあり、大塚愛、藤井フミヤ、鬼束ちひろを支えてきたミュージシャンとしても有名だ。

 

ベースのtatsuは、海外でも評価の高い元祖ミクスチャー・バンドLÄ-PPISCHで活躍。さらに、個性あふれるアーティスト宮沢和史、大森靖子、片平里菜、ハルカトミユキを、独自のスタイルによるプレイで支えてきた。

 

ヴォーカル椎名慶治は、SURFACEとしてポップなアーティスト性で才能溢れる歌声を聞かせ、現在もソロシンガーとして確固たる地位を築き上げてきた。

 

そんなメンバーに、現在4人で活動するロックバンドJET SET BOYSに通じる過去の話を聞いてみた。2017年6月14日リリース、2ndアルバム『BIRD EYE』を紐解くヒントとなるだろう。

https://youtu.be/-L9TSRbiiLM

 

テキスト:ふくりゅう(音楽コンシェルジュ)

 

〜Guitar:友森昭一(ex:AUTO-MOD、REBECCA)編〜

ーー友森さんは、日本のロックの歴史において更新に多大な影響を与えてきたAUTO-MOD、REBECCA、氷室京介バンドなど、様々バンドやアーティストとともに活躍されてきました。

 

友森:ありがとう。それこそ、まことさんや布袋さんがいたAUTO-MODに入る前に、筋肉少女帯というバンドをやっていたんですよ。当時から、大槻ケンヂは卵がひび割れたようなメイクを顔にしていたんだよね。“それはなんだ?”尋ねたら“俺の好きなバンドのAUTO-MODのジュネさんがこういうメイクしていて”って語られてさ。“観た方がいいよ”って言われて。そうしたら、PERSONZのベーシスト渡邉貢さんが、AUTO-MODでもベースをやっていて。それこそ、PERSONZのギターの本田毅さんの弟さんが本田聡さんっていって、同じ高校で同級生なんですよ。それで、本田聡さんとは遊びでバンドやってたんです。そうしたら“うちの兄貴がPERSONZってバンドをやってるんだけど観にこないか”と。それで新宿ロフトに行って、本田毅さんがトイレ行っている間にギターを借りてちょこちょこギター弾いていたら、渡邉貢さんが合わせてくれたんですよ。ちょうど、布袋さんがAUTO-MODを抜けるタイミングで。それで“AUTO-MODをでギターをやらないか?”って。オーディションみたいな感じになっちゃって。高校卒業辺りの出来事ね。

 

ーーあの、歴史的にすごすぎる名前、バンドで。そして、時代の渦に巻き込まれていくかのように絡まれている友森さんが面白すぎます。

 

友森:ははは(笑)。それでAUTO-MODに入って新宿ロフトでステージに立ったら、大槻ケンヂが観にきていて最前列で“観にいけって言っただけなのに、お前なんでそこにいるの!”って(笑)。

 

ーーははは(笑)。いや、マジでビビりますって。

 

友森:大槻とは同い年で。昔、インディーズでナゴムレーベル(有頂天、筋肉少女帯、人生(現 電気グルーヴ)、たま、ばちかぶり、などが所属)ってのがあって、そこでレーベルオーナーの有頂天のケラさんのライブに行って、ギターをやったりね。いろいろやってましたねぇ。

 

ーーAUTO-MODで、今もなお忘れられない曲ってありますか?

 

友森:布袋さんがレコーディングした曲「REQUIEM」かな。「DEATHTOPIA」もいいよね。「世紀末キャバレー」って曲も好きだったんだよね。ダンサブルなんですよ。踊れる曲が多くて、暗黒舞踏の白虎社みたいな全身白塗りの人なんかが踊っていたり凄かったんです。最初は、ジュネさんというカリスマがいるバンドだってことを理解していなくて驚きました。でも、サブカルチャーな盛り上がりがすごすぎて、勉強になりましたよね。怖そうに見えるけどジュネさんは、優しかったですからね。

 

ーー今はグルメ・ブログも有名ですよね。そして、REBECCAも復活してますよね。

 

友森:解散した時のメンバーで復活しているので僕は参加しないんですけどね。AUTO-MODからREBECCAまで、僕にとっては変わらない大舞台でした。REBECCAは、女性シンガーとしてNOKKOが新鮮だったんですよ。こんなにクリーンなハイトーン・ヴォイスが出るんだって。パワフルな女性シンガーでしたから。僕は、木暮武彦さん(RED WARRIORS)、古賀森男さん(FABIENNE)に次いで3代目のREBECCAギタリストとしてオーディションで加入しました。在籍期間は短かったですけどね。きっかけは、うちの弟がREBECCAのファンで、CD持っていたんですよ。

 

ーーそんな流れだったのですね。

 

友森:それまでREBECCAは聞いたことなくて。弟にカセットでダビングしてもらって。当時、実は譜面が全く読めなくて。コードは読めたんですけどね。なので、オーディションとか、曲を全部覚えていくしかなかったんですよ。でも、何を弾くかは当日にしかわからなくて、抜き打ちで5曲くらいバンと譜面渡されて(苦笑)。でも、全部弾けるように練習してたんで。“あ、わかりました”と何食わぬ顔で(苦笑)。

 

ーーソロデビューから参加されていた、氷室さんバンドはいかがでした?

 

友森:BOØWYメンバーである、氷室さんも、まことさんも松井(常松)さんもレコーディングをやらせてもらったことがあるんです。布袋さんだけは、絡めてないんですよ。ギタリストなので当たり前なのですが。でも、AUTO-MODでは、布袋さんの次のギタリストでしたね。

 

ーー実は、友森さんってBOØWYメンバーとの関わり合いが強いですよね。

 

友森:氷室さんは、BOØWY解散してすぐギタリストとして誘ってくれて嬉しかったですね。ビートを強く意識する人という印象でした。氷室さん、もともとドラムだったんですよ。

 

ーー群馬時代、最初の最初の頃ですよね。

 

友森:ドラムあがりのヴォーカリストって感じ、わかるんですよ。ビートにこだわるというか。当時の氷室さんバンドは今はGLAYで叩いている永井利光さんで、ベースは吉田健さん(沢田研二のバックバンド、エキゾティクス泉谷しげるのバックバンドLOSERのベーシストでも知られる)という強烈なメンバーでした。とても勉強になりましたよね。その影響は、JET SET BOYSに通じる部分が必ずやあると思いますよ。

 

友森昭一 プロフィール:高校3年からギターを始め18歳で筋肉少女帯、その後AUTOMODに加入し、GO!BANG’Sのプロデュース等も手がける。19歳の頃、レベッカのギタリストとして抜擢される。その後、氷室京介のアルバム & ツアーギタリストとして活躍。さらに、自身のバンドRITTZ(リッツ)で東芝EMIからデビュー。その他 大塚愛、藤井フミヤ、椎名慶治、鬼束ちひろ、など独自のスタイルで音楽シーンを支える存在である。