JAZZ-ON! Mini Album「Tone of Stars Beta」オフィシャル・ライナーノーツ

01. Tone of Stars Beta(影山新, 氷室奏斗, 九鬼煌真& 栢橋拓夢)

前作収録の『Invisible Chord 2nd』同様、2月に発売された『Tone Of Stars Alpha』のバージョン違いである。「そう……」から始まる特徴的なイントロのフレーズ引き継いでいるものの、すぐに「Alpha」との違いが明らかになる。

前作で氷室奏斗が依吹青と奏でた『crossing notes』を彷彿とさせる浮遊感のある伴奏、イントロではシンセリードが挿入される。ジャズとその近縁ジャンルを扱う『JAZZ-ON!』という作品全体で見ても、これほど電子楽器がフィーチャーされる例はあまりない。ひとえに「得意楽器・DJ」という肩書を持つ影山新の力だろう。

これまで「星屑旅団」として奏でられた楽曲は、ジャズらしいバンドサウンドが中心に据えられ、そこにDJらしさがミックスされる、といった塩梅だった。本楽曲の特異な点は編成そのものにある。部長の鳴海ロランに促されるまま結成されたカルテットだが、その編成はDJ, Tp×2, A.Saxという歪なものだ。即興で組まれたと思しきバンドは、(智川翔琉率いる「旧SwingCATS(仮称)」を除き、)いずれも編成に難を抱えていたが、武宮大和や天城輝之進が鍵盤楽器に、桐生蒼弥や星乃レイがドラムスに楽器を持ち替えることでサウンドを構築してきた。しかしこの4人はそうしなかった。影山の奏でる打ち込みサウンドの上、シンセリードと同時にフィーチャーされるブラス隊に、私たちは一年生メンバーの姿を見る。

「自分は何者なのか」「人と交わる中で形を変える自己」「自分にはどんな価値があるのか」誰しも学生時代に直面する問いが、『Tone of Stars』の、ひいては『JAZZ-ON!』第二部全体を通したテーマだ。歌詞の中で「音」「歌」「色」「星」「今」と様々に言い換えられて現れる「自己」の探求。影山新率いる4人が楽器を持ち替えずに音楽を作り上げた決断は、大きな意味を持つ。

音楽的な解釈に触れる。「Alpha」ではジャンル付けするならば「フュージョン」「プログレ」の要素が強かった。カチカチとした縦の律動を重視するドラムス、歯切れのよい鍵盤とブラス、ラテンの要素すら感じるソロ回し、ユニゾンとブレイクによって前へ前へと突き進む勢いのある仕上がりだ。「Beta」のジャンルは「エレクトロ」と「ジャズ」のミックスとでもいうべきもので、「Alpha」で鳴海ロランらが提示したのとは違う形で「ジャズとそれ以外のミックス」を実践している。拍子の面では同じく変拍子でありながら、その「変拍子性」は耳に心地良いエレクトロな伴奏の中に隠匿される。Bメロの7/8拍子でのラップ歌唱では、歌唱と対となるようにブラス隊が奏でる旋律に耳が奪われる。特筆すべきはソロ回しを終えた後の落ちサビだ。楽曲全体が来たる大サビに向けて弾みをつけるために「屈み込む」このパートで、ブラス隊はその本領を発揮する。

ソロ回しに重なる彼らの言葉は、演奏する4人の顔を思い浮かべると意外なほどに前向きなものだが、ここに至るまでの物語はドラマトラック「傷だらけのユニゾン」を参照すると良いだろう。

02. Reveal(行田光牙& 影山新)

M01で「ジャズとエレクトロのミックス」を実践した影山新率いる星屑旅団。その方向性を一層突き詰めたかのような楽曲が、行田光牙と影山新の2人が奏でる『Reveal』だ。

冒頭のシンセリフは、90年代の懐かしさすら覚える「ユーロビート」そのものだ。電子楽器による演奏、縦ノリ4つ打ちを強要する高BPM。何も考えずに頭を振り、爆音に身を任せて現実から逃避する――20世紀末、バブル崩壊の社会不安とノストラダムスの大予言に代表される終末論、将来への不安から若者が街に繰り出し即物的な快楽に身を任せた時代。華やかでアップテンポで縦ノリながらも時折憂いを帯びるダンス・ミュージックの盛況は、そもそもが現実逃避的であり、分裂症じみていた。

影山新の二面性もこれに準ずるものと解釈できる。ステージという非現実で、メガネを外して現実の解像度を下げ、「ステージでのことは覚えていない」というほどに音楽に熱狂する。こう書くとある種の依存症のようでもあるが、彼が特異なのは、その熱狂を導く音楽を自分の手で作っているということだ。引っ込み思案に見える彼だが、その実、ただの客体として暴力的な外部性に身を任せるのではなく、自ら主体として作り上げた音楽で、彼自身と聴衆とを熱狂させている。その事実を指摘し、暴露するのが行田光牙である。

行田光牙は、かつては生い立ちの劣等感を暴力にぶつけていたにもかかわらず、音楽に昇華することを自らの手で選び取った。行田光牙にとって音楽は自らの手で「主体的に」作り出すものである。彼が当初影山新に拒否反応を示したのは、単に「生演奏ではないから」ではなく、その主体性のない態度が受け入れられなかったのではないか。けれどやがて、その自信なさげな外殻の内側にいる音楽を作り出す者としての影山新を見出すことで、彼の音楽ごと認め、混じり合いながらその真の姿を表舞台へと引きずり出していく。その様子が本楽曲に描かれている。

先程「リフはユーロビートそのもの」と書いたが、全体を通してみると寧ろ、ユーロビートと生バンドの融合といったニュアンスがより近い。特にドラムソロの前後ではジャズバンドらしい生々しい音色に支配される。これは影山新が自嘲する忘我の熱狂と、身体を伴った行田光牙的な情熱のミックスだ。

正反対に見える2人だが、SwingCATSと星屑旅団、それぞれの楽団に加入した経緯は似通っている。影山新は鳴海ロランに心酔し、引き篭もりを脱して、星屑旅団をともに立ち上げた。行田光牙は智川翔琉に引き上げられる形で、不良少年の輪から逃れ、SwingCATSに加入した。影山が鳴海を「神」と呼ぶことを行
田はよく思っていないが、彼もまた智川にある種の理想を重ねていたことは『Invisible Chord 1st』収録のドラマトラック「Dissonance from the past」で明らかになる。

本作ドラマトラック「傷だらけのユニゾン」では、悩める影山新と導く行田光牙は一方的な関係のように描かれている。注意すべきは、合間に挿入されるモノローグが示すように、この物語が影山新の視点で描かれているということだ。影山新の抱える問題と、同じものを行田光牙も抱えている。神こと鳴海ロランにあくまで追従しようとする影山新に行田光牙が投げかけた問いは、はからずも彼自身に帰ってくる。

「俺が信じるお前を/信じてあげれば良い」――本楽曲の歌詞でも、行田光牙の言葉は影山新に対してだけでなく、彼と混じり合った自分自身にも向いているのではないか。その解釈の下で聴き直すと、シンメとしてお互いを必要とする2人の関係性がより深くこと読めるだろう。

03. We are here(星乃レイ& 栢橋拓夢)

激しくダンサブルなM02から打って変わって、『We are here』はミドルテンポのバラードだ。演奏するのは星乃レイと栢橋拓夢のシンメである。星乃レイといえば九鬼暁と奏でた『Lonely Junction』での流暢な英語、甘く存在感のある突き抜ける高音域が印象的だったが、本楽曲では印象的な成分を維持したまま、より芯のある声を聴かせている。栢橋拓夢は同じく星屑旅団一年生のトランペッター・氷室奏斗と奏でた『Exodus』では、ゲーム音楽らしい軽やかな勢いを表現していたが、この曲では情感たっぷりに歌い上げる。

本作CDのドラマトラック「傷だらけのユニゾン」ではいくつかの事件が巻き起こるが、その中で栢橋拓夢と星乃レイは大きな力に翻弄され、偶然に邂逅し、言葉を交わす。その中で印象的な台詞の一つが本楽曲のタイトル「We are here」だ。けれど、他のシンメトリーな2人が(物理的にも精神的にも)殴り合いを演じるのと比べると、彼らのやり取りは読み解くのが難しい。まるで「敢えて重要な部分を覆い隠している」かのようだ。そもそも、この2人の物語はどこにあるのか。血縁があるわけでもなく、過去の因縁や絶対に乗り越えられない主義主張の差が目に見えて浮かび上がってくることもない。けれど、あの邂逅は2人にとって重要な意味を持っていた。その答えがこの楽曲に描かれている。

2人は智川翔琉の祖父が営むジャズ喫茶ルバートでバイトをする同僚であり、片親という共通点もある。ムードメーカーという役割も似通っている。そして、明るい黄色の中に、ぼんやりとした哀愁の青色を帯びている。駅前のマンションで一人暮らしをする鳴海ロランを「ブルジョワ」と茶化す栢橋拓夢、身寄りは母親しかおらず、日本語もまだ完璧ではない星乃レイ。『JAZZ-ON!』の登場人物の中でも最も現実的でシビアな課題を抱えているにもかかわらず、彼らは笑顔でそれを「覆い隠して」しまう、その在り方すら似ている。

物語上では隠された想いは、本楽曲で表出している。「明るく元気な」2人が悩みを分かち合えるのは、シンメの関係にあるお互いに他ならない。この楽曲の高音部分で声を張るのは星乃レイである。「光と影のよう」「君みたいには/僕はなれない」と、自ずと「影」を自称できる栢橋拓夢に対して、星乃レイは「私も貴方みたいになれない」と叫ぶ。「心の闇がないという闇」と彼は歌うが、逆説的にその闇の深さを物語っている。「光なき場所に影は生まれない」のは、逆もまた然り。

音楽的な側面では、R&Bバラードといって良いだろう。ジャズと同じブラックミュージックの源泉を持つ楽曲で、ミドルテンポながらも強烈なグルーヴ感が感じられる。サビでは大きな円を描くグルーヴの中、32分音符でカチカチと律動が刻まれ、タイトなリズム感が強調される。間奏や伴奏でフィーチャーされるブラスや2人の魂の声さえも加工され、一つのグルーヴに回収されている。M01、M02で挑戦されてきたエレクトロとジャズの融合が、ここでも一つ新しい形で描かれているといえる。比喩的な歌詞や、感情あらわに叫ぶような歌唱もブラックミュージック的であり、その歌声は間違いなく聴きどころだ。

哀愁たっぷりな楽曲だが、不思議とサビでの開放感は力強く、どんな物語が待っていても受け止めるだけの勇気をくれる。ドラマトラックの予感を感じさせつつ、楽曲は終わる。