BIOGRAPHY

ジェイミー・T Jamie T「幼い頃から俺は自分の芸にかなり甘かった。たぶんどこか幼稚だったんだと思う。でも今は、というか前回のアルバム『キングス・アンド・クイーンズ』を出した直後は、いよいよヤバいぞと感じたんだ。それに対して俺が出した答えは、“休業”だった」

ジェイミー・アレクサンダー・トリーズは、イースト・ロンドンにある決して立派とは言いがたい彼のスタジオで、リラックスした姿勢でニヤリと笑った。ジェイミー・ティーとして世間で知られるようになった今でも、ぶっちゃけたトークと不遜なユーモア、大胆さと無防備さ、ふざけた調子のコックニー訛りと、自分の芸のために生きているといういかにも知的な内省との間を、人懐っこい調子で行き来するそのスタイルは健在だ。では何が変わったか。それ以外のすべてである。地元ウィンブルドンで近所のケバブ屋にぶらりと出かけるのとまったく同じ調子でレコーディング・スタジオに現れたり、グラストンベリー・フェスティバルのステージに立っていた、やせっぽっちの“フードをかぶった詩人”(※1)の姿はもうそこにはない。その代わりに、小粋で伝統的なモッズ・スタイルに身を包み、顔はやや丸みを帯び、少年らしさや騒がしさはずいぶんと削ぎ落された、すっかり大人になった彼の姿があった。

そんな彼が、5年ぶりともなる新作アルバムを届けてくれるという。あなたはきっと、あの陳腐な決まり文句を思い起こすだろう。「いくら上辺が変わろうとも、本質は変わらないはずだ」と。

その驚くべき堂々たる復帰作『キャリー・オン・ザ・グラッジ』について話を進める前に、誰もが認識していながらも触れようとしない重要な問題を潰しておこう。世界にその名を轟かせることとなった、刺々しく、時に恐怖すら感じさせる、見事なまでにザ・クラッシュの影響を感じさせるアルバム『キングス・アンド・クイーンズ』がUKチャートで2位を獲得してから、早5年。当時24歳だったジェイミーは批評家たちをして“稀に見る確かな才能”(BBC)、“国家の名物”(『NME』誌)と言わしめた。そんな彼が、最後にコンサートのステージを飾ってから、4年が経とうとしている。この間、いったい彼はどこにいたのだろう?

「学生に戻って、ソングライティングの手法を学び直してたんだ」とジェイミー。といっても、実際に“先生たちのいる大きな建物”に通っていたわけではない。「数年間、アルバムを作るために腕を磨きながら有意義な時間を過ごしたよ。曲はずっと書き続けてた。何百曲とね。とはいえ、その時間の大半は、他人の曲をコピーすることに費やしてたわけだけど。かなり図々しくね。つまりは、行き詰まってたってこと。俺はソングライティングの新しい手法を見つけようと必死だったんだ」

時を同じくして、ジェイミーはロンドン南西部の郊外から引っ越し、ロンドン東部のハクニーとの縁を強めた。そして、アメリカでの一人旅も経験(「ナッシュビルじゃオートハープ(※2)が買えないってことがわかったよ。あと、アメリカ人が“そのうちに”って言うときは全然“そのうち”じゃないってこともね」)。いくぶん孤立することとなったが、自分探しには必要不可欠な旅だった。かつては派手なストリート・シーンやブラック・コメディ風の物語に強い関心を示していたジェイミー。しかし今回の新作では、それが個人的な悲しみや切望などの、より哀愁感の漂う作風へと入れ替わった。

「“悲しみや切望”だって? まあ確かに、ここ数年は何度かつらい時期もあったけどね。『キャリー・オン・ザ・グラッジ(直訳:恨み続けろ)』」ってアルバムタイトルにしたのは、成長して本来の自分になることについて漠然とそう感じたからだよ。人っていうのは、周りから与えられたあらゆるものによって育てられる。怒りの要素だろうと、でたらめな人種差別であろうと、ともかくこういったものすべてが、自分本来のものとは限らない。18歳から24歳まで俺はずっとツアーをしていて、若者が経験するごく普通のことをほとんど享受できなかった。成長を急ぎすぎたんだ。そうするしかなかったわけだけど。だからこそ、いざ仕入れの時間だってなったときには、めちゃくちゃ慌てたものさ。マジで」

で、結局「本当のジェイミー・トリーズとは」いう問いに対して、確固たる結論は出たのだろうか?

「いいや。でも、その質問をすること自体が、答えを得ることよりも重要なんだよ」

「リミッツ・ライ」「ドント・ユー・ファインド」「ターン・オン・ザ・ライト」(※3)といった新曲に関して、もっとも直接的で衝撃とさえいえるのは、それらが非常に壮大で自由だということだ。とはいえ、一番根本的な変化といえば、作品を磨き上げる過程だろう。歌でもラップにおいても、しばしば小説家のような視点でもって見た目の詳細や登場人物の奇癖を描きながら、激しいリズムを奏でるという、ジェイミー・ティーのトレードマークともいえるこれらの特徴は、今回ほとんど鳴りをひそめている。メロディにぴたりと収まる歌詞ではなく、言語そのもの、制御された不安としてのみ描くことのできる感情にこだわり、憂鬱は怒りに取って代わった。ファーストおよびセカンド・アルバムで見られた、神経過敏なラップ攻撃やパンク・フォークへの脱線よりも、今回はパワー系のバラードが幅を利かせている。しかし、何よりも劇的に減少したのが、言葉の数だ。

「とりあえず簡潔にしてみようと思ってさ。ありったけの言葉を詰め込んで4分間の物語を書くことはできる。それが俺にできることだ。今回のアルバムでは、俺にできないことをやってみようと思ったんだ」

「音楽で何をするのか、本人が正確に理解してなくちゃいけないわけじゃない。俺はそうは思わないんだ。ただ常に何かをさらし続けなきゃならないってだけさ」

一方、感染力バツグンで冴えまくりの「ゾンビ」は、ザ・クランプス(※4)やガン・クラブ(※5)らの伝統にのっとり、邪悪な高笑いやホラー映画のエフェクトも効かせた、呪術的な色彩の強いロックンロール・ナンバーだ。しかしこの曲は実際のところ、そんなガレージ・バンドらしい戯れの陰で、ジェイミーが自ら選んだ流浪人としての弊害をもっとも率直に論じた歌でもある。

「そうさ。『ゾンビ』は俺なりの『ロッキー・ホラー・ショー』(※6)だよ。一般的には、何もしないことの退屈さを歌ってるんだけどね。曲を作っていないときの俺にとって、それはひとつのテーマなんだ。俺のエネルギーは留まることがないからさ。そうなるとたいていパブに行って、結局面倒なことになりがちなんだ。この曲は楽しくて自分でも気に入ってる。とはいえ、主題はけっこうダークなんだけど」

初期のジェイミーの良さを彼がすっかり放棄してしまったのではないかと、不安に思っているファンもいるだろう。しかし、心配ご無用だ。「ターン・オン・ザ・ライト」は、これぞジェイミー・ティーともいえるオーソドックスなナンバー。クラッシュの影響をリズムで表し、プリンス・バスターやマッドネス、ザ・フーといった先達へのひねくれたオマージュを込めたこの曲では、“carcass(カーカス、死骸)”と“Marcus(マーカス、※7)”という単語で余計な韻を踏んだりもしている。「今でも時々、うっかり口を滑らせちゃうんだよね」とジェイミー。

今回、『キャリー・オン・ザ・グラッジ』の制作に関わった仲間のミュージシャンは、ジェームズ・ドリング、シンガーのホリー・クック、そして忠実な共同プロデューサーのベン・ボーンズのみ。とはいえジェイミーによると、リスナーが耳にするであろうサウンドの“95%”は、彼自身が演奏したものだという。

世間の注目を意図的に避けた時期もあったであろうジェイミー。そんなとき、ファンが離れてしまうのではと不安に陥ったりはしなかったのだろうか? 「“アルバムを出しても誰も食いつかなかったらどうしよう”みたいな感じ?」

「確かに、そういう考えが頭をよぎることもある。でも、そこが俺の傲慢なところなんだけど、誰か他人にやられるくらいなら、自分でその鼻をへし折ってしまえって思っちゃうんだよね。流行りの波に乗ることには興味がないんだ。もし本当に優秀だったら、別の波にまた乗ればいいわけだし。結局のところ、重要なのはいつだって曲の善し悪しなんだからさ」

であれば問題ないだろう。曲はこれ以上ないほどに良いのだから。それに我々の多くは、もはやぼろ切れと化したポップシーンというタペストリーに、ジェイミー・ティーの形をした穴がぽっかりと空いてしまっているのを実感している。それもこれも、ジェイミー・ティーの作リ出す、とんがっていながら洗練されたパンク仕立てのポップスが世に送り出されなかったせいだ。だからこそ、彼の復帰がただただ楽しみで仕方ないのである。

最後に1つ、見え透いた質問を用意した。かつてのジェイミーであれば、“すべてはキッズのために”というアート・パンクの典型的な流儀にのっとり、不適切とみなされてあっさり却下されたであろう質問だ。だからこそ、今目の前にいる、年を重ねてより思慮深くなったジェイミー・トリーズに尋ねよう。ニュー・アルバム『キャリー・オン・ザ・グラッジ』に、どんな野望を抱いているのかと。その答えには、私と同じくらい彼自身も驚いたようだ。

「今回は確かに、野望を抱いているね。俺にしては本当に珍しいことだけど。俺の野望、それは姿を消さないってことかな。別に世界を支配しようなんて思っちゃいない。仕事をして、より多くの作品をみんなに喜んで聴いてもらって、それからまた新しい作品を作れたらいいなと思ってる。それが高望みじゃないことを願ってるよ」