BIOGRAPHY

フジコ・ヘミング

ゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコ/Ingrid Fuzjko v.Georgii-Hemming


12月5日ベルリン生まれ。年齢非公表。
母は現東京藝術大学出身のピアニスト・大月投網子、父はロシア系スウェーデン人の画家で建築家のジョスタ・ゲオルギー・ヘミング、実の弟は個性俳優の大月ウルフ。

母の手ひとつで東京に育つ。幼少の頃よりピアノを始め、レオニード・クロイツァー氏に師事。青山学院、東京藝大を経て、現・日本音楽コンクール、文化放送音楽賞など多数受賞、来日中のサンソン・フランソワにも絶賛を受ける。28歳でドイツへ留学。戦時の混乱で無国籍であったため難民ビザでの入国だった。現・ベルリン芸術大学を優秀な成績で卒業し、ヨーロッパでキャリアを重ね、現地新聞に “ショパンとリストを弾くために生まれてきたピアニスト”と評される。レナード・バーンスタインらからも認められて支援を受けるが、コンサート直前に風邪をこじらせて聴力を失い、演奏家としての成功を掴みそこねる。その後は治療に専念し国籍を取得、音楽教師として生計を立てながら演奏活動を続けるが、表舞台からは遠ざかることとなる。

母の死後、1995年に帰国し、再起をかけて奏楽堂などでコンサートを続ける。その演奏の評判が伝わり、1999年2月、NHK ETV特集『フジコ~あるピアニストの軌跡~』で紹介されると大反響となり、フジコブームが巻き起こる。「私の出番は、ずっと天国に行ってからだと思っていた」と語るように、この時フジコは60代後半になっていた。いくつになっても自分を信じて努力を続け、諦めることなく夢を追うその姿勢は、多くの人々を勇気づけた。遅咲きのアーティストでありながら、CDアルバムはクラシック界では異例の大ヒットを記録、コンサートチケットは入手困難に。その後はパリに居を構えて海外公演の足場とし、ヨーロッパ全域、北米、南米など毎年ワールドツアーを行い、ソロ公演だけでなく多くの著名オーケストラとの共演も重ねている。

2018年6月、フジコの知られざる生活を描いた映画『フジコ・ヘミングの時間』が公開されると、立ち見の出る異例のロングランヒットとなる。第22回上海国際映画祭に招待上映され、アジア、中東、ロシア圏など、海外でも公開されている。

ピアニストだけに留まらず、ファッション、インテリア、ライフスタイルなど、その強烈な個性が多くの支持を集め、特に父親譲りの絵の才能は内外から評価も高く、さまざまなアートワークの他に、少女時代に描いた書籍『フジコ・ヘミング14歳の夏休み絵日記』はベストセラーとなった。

奇跡のデビューから20年を超えた今も年間約60本に及ぶコンサートのオファーを受け、常にソールドアウトになるほどの人気を誇る稀有なアーティストである。

また、敬虔なクリスチャンとして、貧しい時代から慈善活動に関心が高く、日常の路上ホームレスへの施しはもとより、猫や犬などの動物愛護、恵まれない子どもたちへの教育支援、被災地への復興支援など、多くのチャリティー活動をライフワークとして続けている。